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彼が僕に頼んだことは、これから彼がやろうとしていることに比べたらずっと簡単な仕事だった。


「そんなことを今生の別れみたいに言わないでくださいよ。」


 僕は努めて笑顔を浮かべていたが、それが自然な表情に見えたかは自信がなかった。


***


その日の夕食はとりわけ豪華だった。鶏や魚などたくさんの種類のフライが特に魅力的だった。


「お別れパーティにしようと思ったんですけど、台風で予定が狂っちゃいましたね。でも賞味期限は待ってくれないので、今日にしました。」


 女将さんは料理を運びながらそう言った。フライはとてもおいしく、ついたくさん食べてしまった。

熊沢さんに比べて、子供みたいにフライにかぶりつく僕はなんて卑小な存在なんだろうか。食事を終えて部屋で横になっているときに、僕はそんなことを思っていた。自分の中で想像する理想の自分があまりにも大きすぎて、現実のケシ粒みたいな自分が押しつぶされそうだった。いくら頭を掻きむしったところで、現実の自分の矮小さは変わらず、呼吸を整えるのがやっとだった。

部屋の扉が開けられ、廊下の光が差し込んだ。電灯を消した状態になれていた僕の目は、突然の世界の明転についていけなかった。


「トランプやらない?」


 先生の声だった。僕の周りを包んでいた膜に空気穴が開いたように、急に息がしやすくなった。


「またババ抜きですか?」


 僕は毒づいて見せたが、本当はうれしかった。独りで考え込んでいても、思考は悪い方に向かってしまうのが常だからだ。今は誰かと話して、そういう考えから気をそらしたかった。


「ううん。今日はジジ抜き。」


 僕が返答する前に先生は座り込んでトランプをシャッフルし始めていた。


***


 二人でやるには少し物足りないが、ジジ抜きは存外飽きなかった。もう十二時を回っており、風の音はいつの間にか大きくなっていた。


「生まれで行動が制限されるのは差別だ。人として許してはいけない。」


 僕が引くカードを選んでいるときに、何の脈絡もなく先生が言い出した。何か新手の心理戦かと思って身構えた。僕が先生の手札から一枚引くと、先生はまた口を開いた。


「けど、生まれで常人にはなしえないことが出来るようになるのもまた辛いことだよ。」


 僕は先生が何を言いたいのか理解しかねた。


「政治の話ですか。先に言っておきますが僕はノンポリです。」


教え子である熊沢さんの境遇に対する憤りを政府にぶつけたくなったのかと思った。


「僕もだよ。しばらく選挙には行っていないし。」

「じゃあ、何の話ですか。」

「熊沢君の生い立ちの話。まあ、今日まで見てきたことから気づいたかもしれないけど、熊沢君には常人には出来ないことが出来るわけだ。彼が言ってたことだから出まかせかもしれないけどね。」

「『能力』みたいなことですか。」

「『能力』なのかな。どちらかというと『縁起』なような気がするな。『能力』っていうとなんだか、後天的に得られるものみたいなニュアンスじゃない。」


 結局ジジ抜きは3時過ぎまで続いた。外の風の音は時間が経つにつれてひどくなっており、うるさくて眠れたものではなかった。

 常世神を鎮められるのは、熊沢さんの生まれによるものだというが、それなら、彼の家族にも出来るのではないだろうか。僕は彼の様子を見て、進んで犠牲になろうとしている雰囲気があった。先生の言う「縁起」を断ち切りたいのかもしれない。僕は一般家庭に生まれたから想像しがたいが、高貴な家の生まれにはそれなりの苦悩という物もあるのかもしれない。

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