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先生が指さした人骨の額の部分にはそこには円い穴が開いていた。

 穿頭手術、もしくはトレパネーション。頭骨に人工的に穴をあける手術で、医学が未熟だった時代にヨーロッパを中心に呪術の一種として行われてきた。インカ文明の遺跡でも穿頭手術が施されたとみられる骨が見つかっている。


「穿頭手術ですか。日本でそんな骨は見つかっていませんよ。」


 熊沢さんは興奮していた。自分が日本初の発見に立ち会えて嬉しいのだろう。僕はまだ骨を踏んだという衝撃に取りつかれて、穿頭の施された骨を見つけた喜びは分かち合えなかった。


「おや、これはなんだ。」


 そう言って人骨の手元から先生が拾ったものは、昨晩川凪さんに見せてもらったティアラにそっくりだった。


「これは、川凪さんのでしょうか。」

「様式は酷似しているが、ディティールが違うよ。」


 先生が具体的な箇所を示してくれたが、僕の寝不足の頭では昨日の見たティアラを細部まで思い出すことはできなかった。


「先生、もっと奥を照らしてみてください。」


 熊沢さんが何かを見つけたようであった。先生がライトを向けた先にはさらにたくさんの人骨があった。数は十を越えていた。


「なんだこれ。どれもトレパネーションを受けている。」


 熊沢さんが言った。僕は確かめる勇気がなかった。

ここは祭祀の場所の跡であろうか。だとしたらここで行われていたことは昨晩社でやった庚申講をはるかに超える凄惨なものである。僕は寒気がした。大勢の人が死んでいる場所に足を踏み入れたことを後悔した。


「とにかく先に進んでみましょう。」


 先生と熊沢さんが奥へ進んでいった。人骨に囲まれるのもぞっとしないので僕は仕方なく二人についていった。

洞窟は20メートル余りで行き止まりだった。洞窟の最奥部を照らすと何か人工物が浮かび上がってきた。

近づいてみるとそれは小さな社だった。ちょうど民家の庭にあるお稲荷様の社くらいの大きさだった。


「こんなものはありえない。」

「移住前には駆逐されてたんじゃないんですか。」


 社を観察した先生と熊沢さんが驚愕の声を上げていた。


「何が珍しいんですか。」


 最後尾の僕は社から少し離れたところで二人に声を掛けた。


「『常世神』を祀っているんだよ。」


 先生が社を指さしながら言った。その声は心なしか震えているようだった。その指の先には「常世神」という文字が照らされていた。だが、僕はそれを見てもその特異さがわからなかった。


「『常世神』って、何ですか。」

「流行り神の一つだよ。流行り神っていうくらいだから、その信仰は一時的なものだ。」

「流行り神というと、伊東四朗とかですか。」

「シロウ違いだ。もっと北だよ。」


 先生が呆れたように言った。


「常世神の何が珍しいかというと、」


 熊沢さんが前に進み出て続けた。


「7世紀中ごろに弾圧されてその信仰が廃されたからなんだ。」


 熊沢さんは教壇に立つ教師のような口ぶりだった。

 常世神とは、常世の国に生えているとされる橘の木につくイモムシを指すとされている。

現世利益、とりわけ個人の欲望を満たすという触れ込みで広められた常世神は、それまで来世利益やムラの永続の神ばかりを信じていた日本人にとってはまたとない神であり、瞬く間に日本中に信者が増えていき、ついには都までもが荒廃した。

結局はそれをよしとしなかった豪族、秦河勝が武力によって常世神を崇める教団を徹底的に弾圧し信仰は消滅したとされている。それは夷島への移住が始まるずっと昔、飛鳥時代の話である。


「イモムシって、先生昨日見たのも巨大人面イモムシですよね。」


 二人は黙ったままだった。だが首を縦に振る気配を感じた。

 僕も社に近づいてみるとそこにはまだ腐っていない夏ミカンが供えてあった。


「つい最近も人が来た様子があるのに、どうして骨が放置されているんでしょうか。」

「何か生贄的なものか。」


 先生が一度冷静になった。考えてみればおかしいことが多い。腐っていない夏ミカンが供えてあるということは、人の手が入っているということである。だとすればその人はこの骨に気づいていながら放置していたことになる。

 なぜ放置していたのか。それは後ろめたいことがあったからに違いない。


「ともかく神主に聞いてみよう。」


 先生を先頭に、僕たちはさっき来た道を戻った。二人の歩調は行きの道とは段違いに早かった。僕は着いていくのが大変だった。

島で祀られている四肢がなく胴体が不定形の神像。先生と熊沢さんを襲いかけた巨大人面イモムシ。秘匿されているように設置された常世神の社。多数の事実が分かっていたが、それぞれの関係は不明瞭だった。だが、いま霧が晴れてつながりがはっきりと見えてきた。


「常世神は道教思想の影響があったとする説もあるんだ。」


 前を歩く熊沢さんが言った。カフェインですでに心拍数が上がっているうえに獣道を早歩きしている僕は相槌を打つのがやっとだった。


「その説では、三尸が曲解されてイモムシが神の姿だと考えられるようになったとされている。昨日の祭り、本来の庚申講ではなく、独自の常世神を祀るための物だったのではないだろうか。」

「それにだ、」


 先生が口を開いた。


「常世神がいるとされる橘は常世の国から田道間守が日本に持ち帰った。常世の国とは五神山と同一視されている。そして五神山のうち二つは海に沈んだとされている。」


 この島の言い伝えでは「オシンメサマ」はもと居た島が沈んで夷島にやってきたとされていると、今は亡き波山翁が言っていた。

 僕らはもう、イモムシの怪物、常世神を実在するものだとして語っていた。

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