8月16日

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昨日の大雨が嘘のようである。朝から雲一つない快晴であった。

 役場の波山さんに連絡したところ問題ないということだったので、今日は一昨日亡くなった波山翁にお線香をあげに行こうということになった。

 波山翁の家まですぐのところで、わざと大きな音を立てて窓が閉められた。天気がいいのに庭で洗濯物を干している人は誰もいなかった。ただ、中途半端に服が干されていた物干しは見受けられた。僕らが来るのを察知して急いで家の中へ戻ったのだろう。僕らは怪しい部外者となってしまったのだ。

 この様子だと波山さんの家族から文句を言われそうで、急に家へ行くのが怖くなってきた。だが、その心配は杞憂だった。波山さんの家には川凪さんがいたからだ。


「親戚だったんですか。」


 僕は聞いた。


「いえ、ヤマニシのじいさんは奥さんに先立たれて、息子さんたちもみんな島を出てってしまったんで、私が番をしているんですよ。」


 川凪さんがそう言った。

波山翁の骸はなかった。昨日のうちに山へ埋葬したということだった。この島ではまだ土葬文化が残っているらしい。

先日波山翁と話をした部屋には祭壇が設けてあった。僕らは祭壇に線香を手向けた。

 祭壇にはミカンだけが供えてあった。川凪さんによると、ミカンを供えるのはこの島の習わしらしい。

 一昨日会ったばかりの人が亡くなり、埋葬までされているとは到底信じられなかった。この部屋も祭壇がある以外以前の状態を保っていたのが、彼の死という現実を受け入れないことに拍車を掛けているのかもしれない。

 僕は部屋を見回した。祭壇の他にもう一つ、前回と違う部分があった。タンスの上に置かれているクリアケースの一つが空なのだ。以前は空のクリアケースなどなかったはずだった。


「先生、あのクリアケースって何が入っていましたっけ。」

「ちょっと待ってくれ。先日全部写真を撮ったはずだから。」


 先生はスマホを取り出した。そして、この前来た時に撮った写真と部屋に飾ってあるものとを比べ出した。


「『オシンメサマ』だよ。この島で一番最古の。」

「オシンメサマがないんですか。」


 川凪さんはひどく驚いた様子だった。


「そんなはずありません。この家の物はご家族がいらっしゃるまで動かさないことになっています。」

「落ちついてください、川凪さん。波山さんが動かしたのかもしれない。」

「そうですよね。しかし、それにしても気味が悪いですな。最古のオシンメサマはいわくつきなんですよ。」


 そうだった。元の持ち主が祀らなくなった途端に一家が全滅したという霊験の折り紙付きの代物なのだ。持ち主の死と同時に忽然と消え失せたいわくつきの神像は、それを崇めていない僕でさえ不気味なのだから、幼いころから祀っている島民にとってはこれほど恐ろしいことはないだろう。

 空のクリアケースを前に、僕はさらに肌が粟立った。クリアケースの底の部分に、ナメクジか何かが這った跡のように赤茶色のしみが3本ついていたのだ。これがいつついたのかわからないし、血じゃないのかもしれない。だが、川凪さんをこれ以上怖がらせないためにも、僕の発見は黙っておくことにした。僕が恐怖心を一挙に引き受けることにした。

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