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熊沢さんが語ったのは留衣山信仰のことだった。夷島において留衣山は神の宿る山と考えられていること。戦前まで留衣山は女人禁制だったが、今は緩められて祭りの日以外は女性でも入れること。女人禁制が敷かれていた理由は、マタギのように醜い山の神様は嫉妬して山が荒れるからではなく、女性には血の穢れがありそれをオシンメサマが嫌うからであること。
「なるほど。東北のオシンメサマ信仰では女性が穢れているとは考えられていませんよね。やはり、ドクターマッケンジーの勘違いってのが濃厚ですね。」
熊沢さんが一通り話し終わってから僕は言った。
「少し調べれば福島と夷島では同じオシンメサマでも信仰形態がまるで違うことがわかってくる。そこでここからは私の仮説なんだが、」
彼は仮説というところに念を押した。
「果たして、夷島で祀られているカミの正体は何か、考えてみたんだ。」
「ぜひ聞かせてください。」
「あくまで私の仮説だということを忘れないでくれ。如何せん、この島の住民は外部の者に対して口が固いし、そもそも記録が少ない。だが、確かなのは四肢のない人のような形をした木像が神像としてあがめられていることだ。四肢の欠損した姿を見て何か思い浮かばないかい。」
「ヒルコですか。」
「そう。私は最初あの神像をみてヒルコを思い浮かべたよ。そこで私はこう考えた。葦舟に乗せて流されたヒルコがこの夷島にたどり着いたのだと。」
「なるほど。それは思いつきませんでした。」
「エビス」とは海からの漂流物を神格化したときの呼び名である。葦舟が流された先がこの島だとすると、「夷島」という島名もうなづける。
「しかし、沈んだ島の部分と整合性が取れていないんだ。」
熊沢さんは肩を落として見せた。
「ただ、南洋では島は魚のように流動的なものだと考えられていた。日本でもオノゴロ島ができる以前、島は固まっておらずラーメンのスープに浮かぶ油のようだったと考えられていた。偶然の一致か、ラヴクラフトはルルイエを南洋のあたりに配置した。夷島でも島を同様にとらえていた可能性もあるし、ヒルコと沈んだ島の伝説は後に習合されたと考えてもいいのかもしれないがね。」
「いろいろな方向からの影響があったと考えるのが妥当ですかね。」
それから僕は昼食を食べるために図書館を後にした。熊沢さんはもう少し残っているようだった。
***
「僕たちみたいに調査に来た若者と会いましたよ。」
先生と一緒に昼食を食べているときに言った。
「へえ。お祭り見に来たのかな。」
「いえ、『オシンメサマ』に標的を絞っていたみたいです。」
「『オシンメサマ』を事前に知っていたんだ。どっかの大学の人なのかな。」
「その辺は聞きそびれました。熊沢さんって方です。」
『熊沢』という名前を聞いた先生は箸を止め、僕の顔を見た。
「下の名前は。」
「そこも聞きそびれました。」
「何歳くらいだった。」
「25歳前後だと。」
「色白で整った顔立ちの。」
「ええ、よくわかりましたね。もしかしてフェリーに居ましたか。」
「いえ、古い知り合いだよ。」
「どんな関係ですか。」
僕の問いに先生は曖昧な応答をして、わざとらしくご飯をかき込み始めた。
食事が終わってから、図書館で仕入れた情報を先生に伝えた。
「『オシンメサマ』とは絶海の孤島の住民による独特な信仰であるわけだね。これだけ隔絶されているわけだから、似ている信仰が他に見当たらないのもうなずけるね。」
僕の話を聞いて先生はそう言った。
「しかし、今日まで島にいてもそんなに変わっているなという感じはしませんけど。」
僕が言うと、先生は口に人差し指を当てて、静かにするように命じた。僕は目をつぶって耳を澄ませた。激しい雨音の向こうで、金属が打ち鳴らされる音がかすかに聞こえてくる。
「波山さんの葬式だそうだ。」
その音は留衣山から聞こえてくる。多数の打楽器を打ち鳴らしているようだが、メロディーどころかリズムさえもない、ただ乱雑に叩いているだけのようだった。
「『夢』みたいだ。」
先生がつぶやいた。
先生の言わんとしていることはよくわからなかった。老人の大往生を祝う意図など微塵も感じられなかった。大雨の降る中、山中で乱痴気騒ぎを起こしている様子は想像するだけで身の毛がよだつ。
打楽器の音は非常に小さいのだが、一度聞こえてしまうと、雨音をかいくぐって僕の耳に真っ先に入ってくるようになってしまった。無秩序に打ち鳴らされる打楽器の音に潜む演奏者の狂気が僕にも伝染しそうで恐ろしかった。
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