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「これは何と言うものですか。」
先生が女将さんの方を向いて聞いた。
「『オシンメサマ』です。この島では家に一つ必ず祀っているみたいですよ。私も越してきた時に初めて見てびっくりしたんですよ。」
「どういう物かは聞いていますか。」
「何の神様かは聞いていませんが、毎朝お供え物を変えるようにきつく言われていました。」
「オシンメサマに関する行事はあるんですか。」
「はい。ちょうど今度やる夏祭りがそうです。家々のオシンメサマを集めて何かやっているみたいですよ。」
「何かとは詳しくお聞かせ願えませんか。」
「私は詳しいことはわからないんですよ。留衣山でやっているくらいしか。女は祭りに参加してはいけないらしくて。」
僕も床の間に近寄って、「オシンメサマ」と呼ばれる木像をよく見るとそれは不気味な像だった。
それは人型をしていないのである。顔は人のようなのだが、胴体に四肢が見当たらないのである。回り込んで見てみたが、折れた跡のような四肢があった形跡は見当たらず、元から四肢など存在していないようであった。その像は元からナマコやイモムシのような生き物の上に人の頭が生えているような像として造られたらしい。
顔は両目の窪みと鼻筋の出っ張りが表現されているのみで、素朴な造りだった。必要な要素だけを簡潔に表現した顔は怒っているようにも、苦しんでいるようにも見えて、不気味を増していた。
「これはいつ頃のものなのでしょうか。」
僕は女将さんに聞いた。
「さあ、私が嫁いできた時にはありましたから。ずっと昔から祀っているみたいですよ。」
「どれくらい昔かはわかりますか。」
「わからないです。ただ、こういう風習は江戸時代にはあったみたいです。どこかの家に寛永年間の物があると聞きました。」
「ほかの家のオシンメサマもこんな形なのですか。」
「全部見たというわけではありませんが、似たようなものですよ。」
「ところで、」
先生が口を開いた。
「この島は養蚕をしているのでしょうか。」
女将さんは「ヨウサン」という言葉にピンと来ていないようだった。
「蚕です。蚕を飼っていた家とかはあるんでしょうか。」
「蚕ですか。聞いたことないですね。」
***
風呂から上がると先生の泊っている部屋を訪ねた。先生は浴衣姿でテレビを見ていた。大学ではワイシャツを着ているので新鮮だった。
「飯出君ってアンチ巨人だっけ。」
入るなり先生はそう言った。
「いいえ。野球に興味がありませんから。」
「ならよかった。今巨人が勝っていてね。」
「先生野球好きなんですか。」
「全然。ただこれくらいしかまともなのがやっていなくてね。まあ、座りなよ。」
僕は座布団を出して座った。ちょうどホームランを打ったらしく、テレビでは選手たちの歓喜の様子が映されていた。
「僕は今のところ、一切の結論を導いていないからね。」
僕が聞く前に先生が答えを言った。
「では、予想でいいので、教えてもらえませんか。」
「予想もつかない。飯出君は何か思いついたの。」
「周圏論的な伝播は考えられませんか。」
「全国にナマハゲのようなものが村の家々をめぐる祭りが分布しているように、オシンメサマも全国に広がっていったということか。」
「ええ、それで夷島と東北にだけ残ったというわけです。」
「そもそも周圏論の適応範囲は柳田自身によって方言だけに狭められたはずだよ。それだけで否定はできないけども。」
「でも、恐山のイタコ、沖縄のユタのような例もありますよ。日本の両端で巫女の文化が残っています。ただ、この島は養蚕をしていません。オシンメサマやオシラサマの伝承は馬娘婚姻譚と蚕の誕生がセットのはずです。」
「そこに関しては、北海道の例があるよ。あそこじゃオシラサマを漁業の神様だと位置づけている。ただ、これは江戸から明治にかけて和人が北海道へ入植した際に持ち込まれたものだけどね。」
「じゃあ、ここにも移住者が持ち込んだのではないでしょうか。江戸時代に作られたっていう像も移住者のもので。」
「だとしたら、もう少し東北の信仰形態と似ていなきゃおかしくないかい。蚕については、北海道の件があるからいいとしても、像が一体だけってことはないでしょうよ。男女一組の像が必要だよ。」
僕もわからなくなってきて黙ってしまった。テレビでは試合が終わっていて、巨人の選手がインタビューを受けていた。その後ろでは相手のチームの選手たちが肩を落としていた。
「全くわからん。」
しばらく考えていた様子だった先生もそう言って仰向けに倒れてしまった。
「まあ、調べてみるしかありませんね。」
「確かに、考えても無駄だね。」
「山にも行くんですか。」
「行くよ。僕ら男だもん。」
「なんで女人禁制なんですかね。」
「山に女性が入っちゃいけない理由は二つに大別されるよ。山の女神がどんな人より不細工だから、女性が入ると山の神様が嫉妬して山が荒れてしまうから。もう一つは女性の月のものや出産といったことを穢れとして忌み嫌っていたから。ここの、なんだっけ、」
「留衣山です。」
「そう、その留衣山はどっちなんだろうね。」
テレビでは天気予報で台風の情報を伝えていた。21日にこの島に上陸する予定だという。僕たちがこの島を出るのは20日だからギリギリ帰れそうだった。
考えが煮詰まってきたので、天気予報を見終えると僕は自分の部屋に戻った。電灯を消して横になったが、一階で見た不気味な神像が脳裏に焼き付いていてなかなか眠れなかった。
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