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島は東京よりも日差しが強かったが、自然が豊富に残っている分、東京より涼しかった。都会はアスファルトからの輻射熱や室外機からの排熱やらで随分と熱せられていることがよくわかる。
港からは町役場の波山さんが迎えに来てくれると言っていたが、まだ来ていないようだった。僕と先生は屋根の下のベンチに座って波山さんを待つことにした。
「おめえら、東京から来たのかい?」
通りがかりの老人が僕らに尋ねた。老人の言葉は独特なイントネーションだった。
「東京からじゃないんです。P県の方から。」
先生が笑顔を浮かべながら答える。現地の人と話すのがとても好きなのだと思った。大学でつまらなそうに背を丸めてしゃべる姿からは想像できないくらい、いきいきとしていた。
「ああ、P大学の先生さまだ。よくぞまあ、こんな遠いところまで。」
「これも研究の一環ですから。お父さんは昔からここに住んでいるですか。」
「生まれてからずっとだな。島も寂しくなっただ。孫もここで生まれたんだけどな、ハイスクール行くからって島離れてしまっただよ。」
老人は横文字の部分をえらくいい発音で言った。だが、ごく自然に英単語が出てきたようで、鼻につくことはなかった。大学にいるイタい奴も横文字の混じった話し方をするが、そういう奴の言葉が尋常じゃないくらい鼻につくのとは対照的だった。
「お孫さんも夏休みには帰ってくるんじゃないんですか。」
「ああ。ついこの前帰ってきただよ。グランパ、東京じゃハイスクールって言わねえで高等学校と言うだっておいらを笑っとったよ。島のもんは訛っとるからね。」
英単語を訛りだと認識しているのが不思議だった。大学のイタい奴に話を戻すと、そういう奴は気取って横文字を使うし、そういう話し方をする自分に酔っている。この老人はそう言った奴らと違ってとても素朴な人のようだった。
目の前に白いバンが止まった。中からスーツを着た若い男性が降りてきて、僕らの方へ歩いてきた。
「四谷さんですか。お待たせしてしまい申し訳ないです。町役場の波山です。」
波山も老人同様のイントネーションだった。だが彼の言葉は標準語だった。
「いえ、それほど待っていませんよ。」
「それはよかった。それじゃあ、車用意したんで、宿の方へお送りします。」
僕らは老人に挨拶をして車に乗り込んだ。老人は僕らに向かって手を振っていた。手に持ったタバコの煙がゆらゆらと左右に大きく揺れながら昇っていた。
車を運転している間も波山は僕らに話しかけてきた。
「本土と違って随分と訛っているでしょう。」
「ええ、さっきのご老人も結構訛っていましたね。」
四谷先生は車に乗るなり寝てしまったので、ずっと僕が答えていた。
「気づきましたか、お年寄りは結構横文字使うでしょう。」
「ハイスクールとか言っていたのは気づきました。」
「そんな感じのです。でもあの人らは西洋かぶれな訳じゃないんですよ。戦後しばらくはここはアメリカでしたから、その時の名残です。」
そういうのをクレオールとかピジンとかと言うのだろう。クレオール言語は日本にはないと思っていたから驚いた。
夷島は東京からフェリーで丸一日かかる離島だ。フェリーは一週間に一本しかないため、僕たちも一週間滞在することになる。周囲に他の島はなく、まさに絶海の孤島である。島の真ん中には留衣山があり、留衣山の南側に街が広がっている。人口は500人程度だが、狭い街に固まって住んでいるため、人がまばらというわけではなかった。
バンは信号がない道路を快調に走っていた。10分もたたないうちに目的の旅館に着いた。先生はもう熟睡しており、私が肩を揺すらないと起きなかった。
旅館は木造2階建ての大きな建物で、歴史を感じさせられる。聞けば戦前に建てられていて、当時はずいぶんとにぎわっていたそうだ。古い看板に書かれた「旅館 エビス」という字はかろうじて読むことができた。
「四谷様、飯出様、遠いとこからよくぞいらっしゃいました。女将の船木です。」
僕らがバンから降りると女将さんがやってきて丁寧に頭を下げて言った。女将さんは流暢な標準語を喋っていた。
「どうも、しばらくお世話になります。四谷です。」
さっきまで深い眠りについていた先生が、しゃっきりとあいさつしていた。僕も先生に続いた。
「それじゃあ、お荷物運びますね。」
「軽いんで結構ですよ。」
「そうですか。それならお言葉に甘えて。」
実際僕らが持ってきた荷物は少なかった。スマホ一台あれば写真も動画も音声も記録できる。フィールドワークにはこれ一台あればほとんど大丈夫だった。衣服も洗濯機が使えるということだったから少なくて済んだ。
僕らが通された部屋はともに二階で、隣り同士だった。窓からは港が見渡せた。窓を開けると風が通って気持ちよかった。
夕食は六時からということだったから、僕たちは数時間暇だった。僕と先生は港まで下りて行って竜宮社を訪れた。明治時代に本州から集まった移住者たちが、豊漁や船の安全を祈願して建てたもので、赤を中心とした派手な色使いで目立っていた。社殿は小さく、神主が常駐しているわけではなさそうだった。
僕らがしばらく見ている間、竜宮社に参拝に来るものはいなかった。そもそもこの島に昔から住んでいた人々にこういう神社を建てるという文化はなかったのかもしれない。昔から漁業が盛んだったはずのこの島で、漁業関連の神社が明治になって建てられていることからもそう考えられる。恐らくは明治になってよそから移住してきた人たちが建てたのだろう。
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