第3話

「ハル、久しぶり」

 久し振りの登校、嫩のいない学校、嫩を失った抜け殻という三点から周囲の憐憫が私の孤独感を補強する休み時間、別のクラスから呼んでもない使者がきた。

「自殺騒動でショック受けて休んでいたんでしょ?死んだ子と仲良かったんだよね。 でも大丈夫、これからはあたしが親友になるから」

 馴れ馴れしくそう言うこの人間は何処かで見覚えがあるが、嫩以外に注力する余裕はないので首を傾げる最低限の反応に留めた。

「あれ覚えてない?幼稚園で一緒だった人見ひとみだよ、人見。寂しさのあまり忘れようとして忘れちゃったパターン?だったら待たせてごめんね。去年からここに転入してきたんだぁ」

 その名を聞いて思い出した。当時只管名前を耳元で囁かれていたから。確かに幼稚園で同じだった奴だ。勝手にハルと呼んできて、四六時中付き纏ってくる厚かましい女だった。こいつのせいで人間嫌いになった節もあったのではないか。これは面倒なことになりそうだと無視を決め込むことにした。

 全ての語りかけを独り言にしているのに、この十年近くで精神の図太さも成長したのか、人見は気にせず私に粘着する。家に行きたいとしつこく言われ、それだけは「やめろ」と返事したが最後、「わぁー話しかけてくれたぁ」と口の調子が右肩上がり、しかも結局平気な顔して跡を付けられ、人見と共に玄関前まで来てしまった。

 嫩は複製しようとしても出来ないということは家の隅で放心状態かな。まぁ希死状態でもいいや。何にせよ死んだはずの嫩や血塗れの内装を見たら怖気付いて引き返すだろう。そう思って招き入れると、人見は斬新なデザインと勘違いしたのか平然と「広い家だねぇー」と感想を述べる。お化け屋敷とか平気なタイプなのかな。いや早く帰ってよ。人見は舐め回すように部屋の装飾を把握する。まさかこいつにも複製能力が、あるとしたら既に私を複製してコピーとの戯れに専念しているはずだからないだろう。この世界に複製能力を持つ者は私以外にはいないと思う。いたらとっくにニュースになっているだろうから。

「あの女の臭いがする」人見がくんくん鼻を鳴らす。そりゃ血が染み込んでいるもの。

「あ、あれだぁ!」すると人見は案の定寝転んでいる嫩を私より早く見つけて指差す。

「あれれ、死んだはずじゃなかったっけ?……まぁいいや」違和感は寛大な心によって見過ごされた。これでも驚嘆しないのかよ。だが興味はあるらしく嫩の方へ近寄る。嫩に危害を加える真似をした時のため心の準備をする。人見は嫩の顔を覗き込んではぁやっぱりかぁと呟いた。

「この子って幼稚園でハルにくっついてた奴でしょ」

 一瞬、何を言っているか分からない。

「いつも顔は隠されたけど髪質や口元は絶対にあいつと同じだ。あたしは眼が良いから分かる」

 まだ、何を言っているか分からない。

「しかもあたしにも似ている。だから劣化コピーって呼んでいた。いつの間にか現れてあっという間に去ったけど。あたしの真似してハルの隣居座ってんじゃねーよこのクズってね」

 分かってしまいそうなのを抑えて分からない。

「あたし、本当はずっとハルの側についていたかった。だけど親に隣町へ連れて行かれて会えなくなっちゃった。大人になったら探そうと思って調べた住所に行っても誰もいないんだもん。去年は辛かったなぁ。でもやっと会えた。ずっと寂しかったんだから」

 それは分からなくていい。

「ねぇハル。あたしはハルのことをずっと考えてきた。ハルは昔から何処か影があって、そんなところが素敵だった。あたしだけだよ、ハルの全てを愛せる人」

 それは本気で分かりたくない。

「確か親いないんだよね?じゃあ完全に孤独だ。この子もよく分からないけど死んでいるんでしょ?こんなやつのことなんて綺麗さっぱり忘れてさ、あたしと住もうよ。ハルを一番幸せにできるのはあたしだよ?」

 いや嫩だけど。でも今の嫩は。翳りが生じる心の油断をついて人見が私の左手を握ってくる。嫩と違って強引な接着と有無を言わさない目付きに気分が悪くなる。何故ならその目付きは嫩と異なるものではなかったから。あぁもう分かるしかないのか。

 そう思っていると嫩が立ち上がった。異色な声色に眠りが妨げられたのかいつもより早い目覚めで、その異分子を首を傾けて捉える。

「!!!!んぎぎぎぎぎぎぎぎいいいいいいいいいややあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!」

 焦点が合った瞬間嫩は劈く悲鳴を上げて転がりながらこの場を抜け出た。玄関を蹴飛ばして森林を目指す姿を、追いかけようと思ったがいつにない速さのため玄関前で立ち止まる。また自殺しに行った。そしてその様子を人見に見られた。

「うるせーな…………やっぱり生きてたのかぁ。そんでもってやっぱり気にかけているのかぁ」

 居間に残る人見の声が後ろから聞こえる。

「そんなにあの子のことが好きなの?」

 背中から人見が問いかける。振り返ろうと思って、踏み止まる。

 私は忘れていた全てを思い出した。確かに私と人見と一緒に、嫩は同じ幼稚園にいた。私は人見に付き纏われて迷惑していて、「こんなやつ殴りつけて性根から直してやる」と幼いながら思っていた。実際に殴りつけると怒られるから、サンドバッグとして「もう一人増やせたらいいのになぁ」と考えた。そうして祈ったら目の前にもう一人の人見が現れた。夢かどうかの確認も兼ねて予定通り一発平手打ちを贈ったら、案外すぐに泣き出して以来大人しくなった。静かになれば可愛く思えて私の家で飼ってみた。複製能力は当時新鮮で、色んな物を複製して同じく複製された人見を楽しませた。幼稚園にも誘って元のいけ図々しい人見と会うことがあれば、こんな恥ずかしい振る舞いを真似しないようにと目隠ししていた。しかし出自不明の余所者を園内に留めることはできず、先生に見つかると他の町の施設に連れて行かれてしまった。以来その子とは出会うことがなかった。

 嫩は人見のコピーだった。人見の顔を見た時に何処か嫌な予感はあった。考えてみれば腰の肉付きや髪型こそ一致しないが、顔の部分的な構成は特に昔の人見と似ている。 今の人見はメイクがきつい。だから直ぐには結びつかなかったのか。

 そして今の嫩の行動。人見を見たことで嫩の希死念慮が急騰した。実験を思い起こせば、植物コピーはそのオリジナルに近付けても異変がない一方で、動物コピーはそのオリジナルに鉢合わせると木に突進を繰り返すなど自傷行為に走った。「見る」ことでコピーがオリジナルの前に屈服するという点、その他複製の法則にも人間と動物に差異はないから、人間に限って死後も複製できるとは考えない方がよかった。コピーである嫩が特別だっただけだ。

 するとここで人見を見てしまうと嫩の記憶が上書きされる。嫩の自殺がもう完遂していれば、十年近くかけて造り上げられたあの嫩は二度と戻ってこない。後ろでのほほんとしている奴のコピーが生まれるだけだ。

「困っちゃうね他人の家だってのに」

 それだけは絶対に避けたい。嫩と人見は起源が同じでも今では全く異なる人格を宿している。嫩は嫩だ。

「……あれ、ハルどうして目を閉じているの?目を開けてよ。大変だよ、今の追いかけなくて良いの?」

 人見の声が向きを変えて迫りくる。こいつ何処まで分かってやっているんだ。下手に開眼して動けば人見を映す可能性があるから今はまだ何もしない。大丈夫、人見さえ見なければ嫩はいつでも複製できる。

「ねぇ、あたしを見てよ」

 人見の手が顔を包んできた。これは不味いかと、元の家に置いてきた筋トレ兼防犯用超重量ハンマーを複製して声の主の頭上に落とす準備をした。頼むから死なないでよ。

「………………まぁいいや。今日は様子見。無理矢理ってのは趣味じゃないし。時間が経てばあたしの良さ、あたしとの思い出、気付いてくれるよね?じゃあまた来るから」

 私を前科持ちにするのは保留してくれたらしい。嫩をカウントすれば累犯どころの騒ぎでないけど。人見はそう言うと玄関を開けて私から離れた。

「………………………………あ、そうそう!皆にはここのこと秘密にしておくから安心してね。あたしとハルのヒ・ミ・ツっ」

 閉まる音がしていなかったので怪しいと思っていたら案の定。すると今度はしっかりドアを閉めてすたすた足音を遠ざけた。これから窓とか気を付けないと。人見がいない部屋で、やっと光が射した景色には嫩がいる。

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