第2話

 二年に進級してクラス替えや転入生の噂で慌ただしい春の陽気の中、嫩とは別クラスになってしまい、学校に来る意義の半分が失われた。壁越しに座っている嫩を想像してやり過ごすしかない。一層のこと複製して……って、複製出来ないのだった。何でも簡単に手に入れてきたから手中にない歯痒さは初めて感じるかもしれない。嫩の指の感触はいつでも再現されるけど。

 結局あの日、嫩の複製は出来なかった。嫩は元から一人、他のコピーを生み出した覚えはないのに。やはり生命の場合は簡単には出来ないのかもしれない。隈なく見たはずなんだけどな。思い出すと火照ってきた。欲情せずに考えれば、嫩が増えたら二人仲良く私を抱擁するハッピーエンドもあれど、私を巡って熾烈な争いを繰り広げる可能性もあるから、あれは軽率な行いだった。私ったら情に弱いから。性的な。

 だが嫩も満更ではなかったようだ。あれ以来嫩との関係は中身を伴って進捗し、学校の中でも鴛鴦の契りか地鶏のお中元セットくらいには思われているだろう。それ程美味しい関係だ。兎に角今では嫩がいない生活を考えたくない。軽率な承諾がこうして人生に風穴を開けるとはね。偶には軽々しさも必要になるものだね。

 そんな新学期初日、嫩が死んだ。

 二限の体育が終わって戻ると、何故か騒がしい廊下の噂話から隣クラスの誰々が自殺したと聞こえてきて、誰々の部分は何回耳を疑っても嫩の名前だった。三限開始より早く来た教師が本日休校の旨を知らせる前に教室を飛び出して階段を駆け下りる。現場と思しき場所はシートや警察に囲われて内部まで見ることはできない。けれど噂が嘘ではないと理解できた。

 泣きながら走って帰った。どうして嫩が。昨日まで快活な喜色を見せていたのに。だが妙な行動はあった。一限の途中、急に金切り声が聞こえたと思ったら、廊下を駆け抜け何処かへ行く嫩の姿が見えた。移動教室に遅れたのか、隣クラスの時間割まだ知らないけど、と思い見送ったが、あれは屋上に向かっていたのか。追いかけていればよかったという後悔を吐き捨てて走る。

 家に着いて玄関を開けると、嫩がソファに横たわっていた。

「嫩!」本当に居るとは思わなかったその景色に「よかったぁ……」安堵感を授かる。さっきまでの涙が喜びを意味するように流れを変えた。

 嫩の複製が成功した。生きている間は不可能だった複製が死後には出来た。壊れたら複製できない無機物とは違って、生命は死んでから漸く複製できるだろうか。しかし猫のことを考えると動物と人間では条件が異なるのだろうか。スーパーの野菜はどちらだ。収穫される時点で壊れた生命と言えるが売り物としては壊れていない。あるいは嫩が特別なのか。周りで死と顔を認識した人間がいなかったから分からない。謎の洪水に溺れて能力に気付いて苦悶だらけだった昔に立ち返ったみたいだ。

 一体何故オリジナルの嫩は自殺したのか。悩みがあるようには見えなかったし、感情を包み隠せる性格ではないと感じていたけれど。仲が深まっていると思っていたのは私の思い違いだったのか。だとしたら私の方が片想いしていたのではないか。せめて死ぬ直前に私の所に来るくらいはして欲しかった。

 しかし嫩は最後に見た制服姿でくたぁと臥していて生気がない。まさか複製は出来ても生命は蘇らないのかと再三の絶望を予期した瞬間、

「あゔゔゔぅああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」突然覚醒した嫩は四つん這いで台所へ飛びかかり洗い終わった包丁で自身の頸動脈を刺した。

 目の前で鮮血が散りばめられた。全てを観察してきたと思っていた嫩の身体から、触ったことのない液体が頬に熱を帯びて伝わる。その感触だけを残してばたん。今度は私の眼中で確かに死んだ。リビングと頭の中に真っ赤な色が塗りたくられた。

 新学期早々この日以降、私は学校を休んだ。ただでさえ教室に行く必要性は薄れていたけど。忘れられない演出に演出家としての敗北感に打ち拉がれたという以上に、学校では嫩は死んだことになっているので、嫩を家に置いて登校したりドッキリでしたと看板片手に嫩と登校したりするのは難しいと思ったからだ。実際死んだが私の隣では生きている。そして忘れられないというのは、現在進行形で嫩は死のうとしているから。ほら、我が家の屋上から何かが飛び降りた音がした。今回は死ねなかったらしくまた階段を上っていった。私はもう寝る時間だから構ってあげられないけど。

 私は嫩を複製し続けることにした。私の前で倒れたあの後も嫩は無事に複製できた。死の姿を直接見たものだから複製の可不可、コピーの状態など心底憂慮したが、無傷の落ち着いた状態で生まれ出てきて一定時間放心した。最後の姿と言っても死ぬ間際では死の前に猶予があるということだろうか。そして思い出したように暴れ出す。

 あれから何度死んだかな。最初は一日に数十回死んだ。あまりにぴょんぴょん飛び降りるものだから私まで飛び降りそうになったという訳ではなかったが。飛び降りは定番として自傷、溺死、窒息死、食中毒等々、文明の発達を示さんばかりに多種多様な道具も使用してくれた。覚醒する度に打ち上がる奇声や死体が警察沙汰になる前に場所を移ることにし、数体の屍と共に山の中腹の別荘へ引っ越した。ここなら誰にも見つからないし存分に嫩を扱える。山奥を視察すると恐らく山一番の巨大樹とその周辺の広い土地を見つけたので、そこに嫩の墓を造ることにした。

 転居序でに刃物や紐状の道具は大方処分したが、それでも嫩は趣向を凝らして自分の命を棄てようとする。木々や川、動物達といった豊かな自然を利用して自然に還ろうとする嫩を私の家に戻す。そうそう、動植物の複製を改めて試してみると、枯れたり死んだりしていない限り複製はしっかり出来た。やはり人間が例外であるだけだ。話と嫩を戻して外に出ないよう家に閉じ込めたある時、嫩はブツがないか捜し回った後、どうしようかと悩んで愈々比喩ではなく自分で自分の首を絞め始めた。綺麗だった手の甲の血管を浮き上がらせ窒息と衝動の間で争い、必死に押さえる私を押し退けて絶命した。その手法が余りに痛々しかったので軟禁するのは辞めにした。

 そもそも何故暴れるのかという点について、複製は身体だけでなく精神も対象とするという仮説を立てた。最初に自殺をした日に見た嫩を複製した時、同時に希死念慮まで複製し、以来ずっと希死念慮を複製し続けざるを得なくなっている。ちなみに放心状態を最後の記憶として複製してみても自殺は止まらなかった。だからあの時駆ける嫩を見ていなければ、最後に見た元気な姿まま複製できたことになる。はは、死にたくなるのはどっちだろうね。どっちもか。しかしあの異様な嫩を見ない訳にはいかなかっただろと天に訴える。

 何故永眠させず複製し続けるかと言えば、もしかすれば人間の場合は複製に時間制限があるかもしれないという懼れもあるが、何より嫩が生きていない時間を成る可く作りたくなかったからだ。たとえ死のうとしていても。生き存えさせることがこの繰り返しの解決に繋がるとただ信じることにした。先程の様子を見ると誤解されるかもしれないが、嫩の自殺は出来る限り止めようとはしている。ただし二十四時間営業で警戒していると私が死んでしまうし、無いとは思うが就寝中に私を殺しにきたらそこで閉店なので、夜の自殺だけは止めていない。落ち着くような寂しいような星空を眺める。

 朝の日課は死体を複製品の荷台で墓まで運ぶこと。戻ったら嫩がまた倒れている。延々とこんな調子だから、あの時の嫩は何処に行ったんだろうと脱力する。早く元に戻って欲しい。嫩は忘れているかもしれないけど、あの日私は初めて本物の愛を貰った。それからずっと愛を与えてくれた。だから私はまだ好きだよ。そう屍に語りかける。

 引っ越しから一年経った頃、実際に嫩の希死念慮は微々として改善されていった。放心時間の長さや朝に運ぶ死体の数からそれを実感する。複製し続けるのは無意味ではないようで報われた気がした。

 半日家を空けるくらいは問題が無さそうだったので、玄関の鍵を閉め山を降りる。私も一応社会に属する人間ということで、一年ぶりの学校に赴いた。


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