第27話/小澤詩織⑤

 翌日、宣言通り、詩織は学校へやってきた。表面上は何の変りもない、今まで通りの詩織だった。ただ、少し痩せただろうか。


 そして、大里の周囲にも変化があった。まとわりつくように辺りを囲んでいた女子は減り、入れ代わり立ち代わりでそのメンバーを変えていた。話し声が穏やかになり、秩序の一端を漂わせている。


 当初、硬い表情をしていた詩織だったが、香奈に伴われて大里の元へ歩み寄った。頭を下げる詩織に対して、大里は笑顔で励ましていた。その表情にはほのかな明るさが戻っている。いくつか言葉を交わし合い立ち去ろうとした詩織は、その様子を伺っていた俺と目が合った。俺は思わず、目を反らしてしまう。


 俺の胸には熱いものが込み上げていた。本当に良かった。守りきれた、大切なものを。今度こそは失わなかった。不意に熱くなる目頭を、天井をにらんで誤魔化した。


 ふと気がつくと、目の前に詩織が、香奈と並んで立っていた。


「……助けてくれたらしいね」

 詩織の顔には戸惑いの色が浮かんでいた。助ける理由が見当たらない。下心が透けて見える。そんな声が聞こえるような、明らかな困惑だった。


「俺は何もしていない。全ては大里の意思だ」

 すべての役得を放棄するように、敢えて大里を持ち上げて答えた。


「そう……。でも、ありがと」


「どうしまして」

 詩織の顔には悲しみをはらんだ微笑みが漂っている。


「おぅ。元気になったのか?」

 前の席の亮介がハツラツな声を詩織へ向けた。俺は感謝した。今の俺では、安易に声を掛けられない。失意に付け込んで、好意を引き出そうとしている奴だと思われたくなかった。相変わらずひねくれている。俺は思わず自嘲した。


「あ、笑った」

 詩織が無邪気に声を上げた。


「へ?」

 俺の口からは間抜けな声が出た。


「良かったー。なんか睨まれてるんだと思って。嫌な役を押し付けちゃったのかな、って」

 俺は勘ぐり過ぎていたのかもしれない。そこにいたのは、いつもの詩織だった。


「睨んでねーよ。この顔は生まれつきだ」

 詩織は破顔した。緩んだ口元が皮肉っぽく歪む。


「まぁ、なかなか味のある顔だよね」


「言ってくれるね。素直に誉め言葉だと受け取っとくよ。前向きにならないと、地獄のような人生なもんでね」

 後ろで香奈が笑いを堪えている。


「いや、素直に格好いいよ」

 俺は目を丸くした。そんなストレートな言葉、詩織の口から聞いた試しがない。


「顔以外は、ね」

 俺はずっこけた。香奈がこらえ切れずに、噴き出した。


「本気にしないでよ。でも、本当に……」

 詩織は満面の笑みで言った。


「感謝してるよ」


 その後光が差す無邪気な笑顔に、心を奪われた。頭のてっぺんからつま先へ、稲妻が駆け抜けるように痺れが走る。俺の魂は今、激しく輝いてるに違いない。




 すべての疲れを許すような満足感を胸に、帰路へついた。しかし、今回は危なかった。危うく、手遅れになる所だった。俺はこうなる事を予見しておきながら、祈る事しかしなかった。放っておけば、電車が線路の上を行くように成り行き通りに物事が進むものだとばかり考えていた。それは誤りだった。結果、無為に長く詩織を傷つけてしまった。


 帰る途中で寄った文具屋で、三年連用の手帳を買った。自宅に辿り着いた俺は部屋へこもり、思い出せる限りの記憶を辿っては、手帳へ書き殴る。これから起こることを、そして、その要因を。できるかぎり詳細に。人間関係を反芻しながら書いた。それはさながら、逆向き瞑想めいそうの様相を呈していた。


 書き終わったのは、深夜になってからだった。それでもまだ、穴だらけである。だが、手応えはあった。次に俺が為すべき事は……

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