第14話/混濁①

 目を覚ますと、机にうつ伏せるように座っていた。

 顔を上げると、目の前に見知った後頭部がある。不意に振り返ったそいつは、おぅ、起きたか、なんて声を掛けてくる。


「もうすぐ、ホームルームが始まるぞ」

 辺りを見渡すと、騒がしい高校の日常が広がっている。なんだ、夢か……。悪夢だな。


亮介りょうすけ……」


「お、俺の名前を知ってんのか。俺ってば有名人?」

 何を言ってるんだ? この三年間、ほぼ毎日顔を合わせてただろうが。


「お前の名前はなんてんだ?」


「……なんの冗談だ? 新入生ごっこか? あんまり面白くないぞ、それ」


「お前こそ、どういうコントだ? オチがわからねぇ……。まさに俺たちは新入生だろうが、よ?」


 俺は小さく息を呑む。制服に目を落とすと、真新しい。まさに、新入生のそれである。懐のポケットをまさぐる。手に触れた硬い感触を取り出す。そこには入学祝に買ってもらったスマホが入っていた。三年間、苦楽をともにして傷だらけのはずの戦友は、生まれたての赤ん坊のように綺麗な肌をしていた。


 スマホの真っ暗な画面に、顔が映っている。俺ではない顔。震える指でスマホを開き、自撮りモードで自らの顔を映し出す。俺は絶句した。


 そこに映し出されたのは、大里の顔だった。ふっくらとした丸顔に、今にも飛び出しそうなギョロ目。悪い意味で個性的な顔立ち。稀代のイケメン高校生、中間爽哉なかまそうや端正たんせいな容貌とは大きくかけ離れている。


「おいおい、お前は自撮りが趣味なのか、その顔で」

 亮介が茶化すように笑った。


 声も出なかった。思考が止まり、頭の中をハテナマークだけが駆け巡る。すがるようにスマホを叩きカレンダーを呼び出すと、そこには三年前の西暦と日付が記されていた。途端に椅子から跳ね上がり、トイレに駆け込む。そして、便器に倒れ込むように吐いた。チャイムが鳴り響く。しかし、俺は立ち上がれなかった。ホームルームには出なかった。




 男子トイレの個室で、ずっとうずくまって考えていた。どういう事だ。何が起こった。胸ポケットに差し込まれたネームプレートを摘まみだす。そこには確かに「中間」と俺の苗字が彫り込まれていた。俺は、中間爽哉で間違いない。


 おかしな事、一点目。

 俺は新入生の入学式まで、時間を遡っている。スマホに記された日付は、何度見ても三年前の、あの入学式の朝を示していた。


 おかしな事、二点目。

 俺の容姿が、大里になっている。顔だけではない。体型も長身痩躯から、中肉中背へ。身体の動きも鈍さを感じる。まるで砂袋を抱えているようだ。自然と息が浅くなる。


 おかしな事、三点目。

 頭の中には、イケメンとしての俺の記憶しかない。生まれてから今まで、俺は稀代のイケメンとして、国宝の如く丁重に取り扱われてきた、その記憶しかない。卒業式の日に刺され、息絶えたあの時までの記憶ははっきりしている。しかし、この醜男ぶおとことしての記憶が全くない。生まれてから今まで辿った生活の記憶だけではない。今朝、家から学校まで、どうやって行き着いたかも判然としない。すっぱりと抜け落ちている。


「……そうだ、千絵……」

 千絵であれば、何か知っているかもしれない。それに、大里はいるのか。まさか、一卵性双生児の如く同じ顔が二つ、同じ教室に並んでいるとでもいうのか。


 その時、チャイムが鳴った。ホームルームが終わった合図だ。


 俺は震える足をしかりつけるように伸ばすと、男子トイレの個室から這い出した。

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