第4話
子どもの頃から使っている机に木製のベッド。好奇心から作った自作の本棚には申し訳程度に数冊の本が並んでいる。
年頃の男が使う部屋にしては簡素な部屋だと我ながら思う。
机に置いてある魔石を利用したランプを使おうか迷ったが、窓から差し込む青白い月明りでこと足りそうなので手は付けない。
夜も更け他の家もそろそろ寝静まる頃。部屋の中は驚くほどに静寂に包まれていた。
外界からの音は途絶えた静かな空間で1人でいると今日の出来事が脳裏に去来する。
ボーっと眺めてた蒼い空や白い雲。夏場は服を脱ぎ捨て飛び込んで遊んだ川。もう2度と戻ることはない純真で馬鹿みたいに、思ったことは何でも叶うと信じていた自分が過ごしていた村の風景。
――――忘れちゃったの?
「……覚えてるよ」
不意に思い出したマリの言葉に苛立ちを孕ませた声で答える。
「覚えてるに決まってるだろ……」
机の上にあるランプだけではない。
本棚以上の冊数の本に新聞の切り抜き。年季の入った自筆のノート。
忘れられるわけないんだ。
『大人になったら2人で旅をする!!』
おもむろに開いた古いノートには、汚くも見覚えのある字で綴られた落書きがまだ残ってる。
『いきなり旅に出るなんて言っても絶対許してくれないだろうなぁ』
『そうだな……父さんたちにオレたちが旅に出ても大丈夫だって思ってもらわないと』
『それじゃアタシもルストも家事や剣術頑張って一人前って認めてもらえるよう頑張らないとね!』
『あぁ成人の儀までにそれぞれ頑張って一人前になる。約束だ』
――沢山の人に語り継がれるアタシたちが憧れた英雄みたいに、2人でまだ誰も見たことも聞いたこともない大冒険をしよう。
幼き日に交わした約束は今も覚えている。
だから剣術の訓練に真剣に打ち込んだ。野営の知識も学んだ。できる努力は片っ端からやった。
だけど――。
クシャっと手にしていたノートのページに皺ができたところでオレは我に返った。
無意識に手に力を入れていたようだ。ノートを机に上に直し重い足取りで向かったベッドに背中を預け、また記憶の海に身を委ねる。
呼び起こした記憶は何年か……4,5年程度の大して昔でもある日。
「号外号外!」といって村じゃ見慣れない良い服を着た男がばら撒いた新聞の記事にソレは綴られていた。
『世界地図ついに完成!』の一文。
本文には大国が莫大な資金と人員を投入し世界の隅々まで探索し尽くし、後日何編にも分けてその経緯を本として出版される旨が載っていた。
村の蔵書庫に幾つかある本を読んだが、子どもながらに悟ってしまったのだ。
この世界にはもう『オレたちの分の冒険』なんて無いんだって。
それからの日々は無味乾燥としていて、コマ送りのように早く過ぎ去っていった。
昨日までの自分がまるで別人だったかのような感覚。
あれだけ輝いていた見えた将来には靄がかかり、掛けがえの無い想いも揺るがない決意も嘘になってしまった。
歳を重ねるごとに己が如何に無知だったのか思い知った。
それでも往生際悪く諦めきれずに悩んだ。
こんなんでいいのかって何度問いかけたことか。
オレがいなくなったら母さんたちはどうなる? 今は元気だけど衛兵の仕事も楽じゃない。オレが2人の力になってやらないでどうする? そもそも何もかもわかりきっているのに冒険なんてする必要ないじゃないか。変わらないといけないこともあると自分に言い聞かせた。
旅の道中で自分とマリを守るためにと始めた剣術を続ける理由を衛兵隊に入るためだと挿げ替え。
会うたびに旅だ冒険だと甘言を謳うマリに素っ気ないふりをして。
夢を変えてから、父さんたちが向けてくる戸惑いと罪悪感のこもった視線に気づかないふりをして。
そうやっていつか、取り返しがつかないくらい先の将来が来れば諦めがつくだろうと願って過ごしてきた。
「それなのに……なんでお前は変わらないんだよ」
脳裏に映るのはマリの笑顔だった。
十何年と歳月を経ても変わることなく夢を掲げる幼馴染がオレの目には眩しかった。もしかしたら……と思わせる言葉に絆されそうになった。
偽り隠していた心に胸を強く締め付けられる。
――現実を見ろ。
オレと同じようにマリもいつかは自分がどれだけ荒唐無稽な夢を語っていたかを理解し、無理だと悟るはずだ。
だが違った。マリはいつも夢を口にしていた。
『アタシこの前パパに鍛冶教えてもらったんだ。これで旅先でルストの剣とか、金具が壊れても治せるよ!」』
『ルストはどう? 山賊の1人や2人倒せるくらい強くなった?』
『もうアタシたちも来年には成人だね。昔した約束覚えてる? ほらっ』
『絶対ないだろうけど一応のため成人の儀の――――』
そこで急遽オレは現実に引き戻された。
何故か? 誰かが部屋の扉をノックしたからだ。
「ルスト、もう寝たかい?」
「いや起きてるよ」
どうやら扉の向こうにいるのは父さんらしい。
返事をしてから扉を開けると父さんは、ちょいちょいと手招きして言った。
「マリちゃんのお父さん。シュミットさんがルストに用があるらしくて訪ねてきたんんだ。居間に通そうとしたんだけど玄関でいいって言われてね。だから早く行きなさい」
「う、うん。わかったよ」
シュミットさんがオレに用? まるで心辺りがない。
強いていうなら昼間マリを泣かせてしまったことだが、マリは機嫌が悪くなるとこっちが謝るまで徹底的に無視するタイプなので、昼間のことはシュミットさんは知らないと思う。
玄関に行くと母さんと何やら話をしている恰幅の良い男性が見えた。背は低いながらも手足は衛兵の父さんの倍は太い。身に纏うつなぎは所々焦げたあとがある。
顎に髭を蓄えた
「やぁルスト君。こんな夜更けにスマンな」
「いえまだ起きてたので大丈夫ですけど、オレにどんな用ですか?」
目の前で見るとオジサンは何故か額に汗を掻いていた。それに息もついさっきまで走ってたかのように荒い。
スーハ―……と息を整えたシュミットさんは眼力を強めて一言。
「マリが家に帰ってこないんだ」
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