第6話 酔いを冷ませず、夢を見ず

 ガチャリと寮の玄関を開いた私を出迎えるのは、眩しい朝日。

 制服を着た私は昨日…そう、ちょっと衝撃的な事故があった昨日と同じように、学園への道を一人歩いていく。


「はぁ……」


 口からはまぁまぁな頻度で溜息が漏れてしまう。立ち姿も、きっと猫背のだらしない感じになってしまっているだろう。加えて、頭も痛いし、全身が微妙に火照ったようになっている。まさしく、風邪の引き始めのような症状。

 なぜそんなことになっているのかといえばもう簡単。


 一睡もできなかった。羊を数えてみたりもしたけれど、ダメだった。

 だって、眠くなるとフラッシュバックするんだもの。

 キスの瞬間。触れあった唇の温度、天吹会長の温度と柔さを。

 

 ……うわぁ……思い出すだけでドキドキする。

 心臓が跳ねて……うわまって……顔があつい…………うわぁあああっ……!


「って! 思い出しちゃダメでしょうが私っ!!」


 って言い聞かせても、瞼って言うか脳全部に


 ……微妙なお酒臭ささえ、スパイスかな―――ッて馬鹿ッ!!!


「あーダメダメ!! 思い出すんじゃないよ私っ!!」


 バッ、と私は首を振ってポワポワ浮かんでいた回想を振りはらう。その私の動きと声に、前を本を読みながら歩いていた少女がビクッとこちらを振り返って、そして、歩く速度を上げていた。ごめんね、と心の中で謝りながら、また私はため息をつく。


 もう昨日からずっとこんな感じ。ベッドで横になっている間も、ちょっとウトウトしてきたかなって思ったら、パッと思い出しての繰り返し。

 キスシーンと、会長の無邪気な笑顔を、思い出しては悶えるばかり。


「……どうしよう」


 そう呟いた私の脳裏に浮かぶのは、昨夜の回想。


『……説明の義務が、わたくしにはあるでしょう』


 と、私の上からどいた会長がそう申告してきたのだった。仕切り直しと、紅茶を入れてくれながら。


『……どうして、生徒会室で飲酒なんかしていたんですか』


 その問いには、飲酒自体を咎めるニュアンスなど一切ない。つい二年前に、未成年飲酒禁止法に大きな改正が入ったからだ。ニュースでみたおぼろげな知識だけれど、精神的にはともかく、身体発達的にはほとんど成熟しきっている青年であれば、適度な量のアルコールは、個人差はあれど、全く健康に害がないという論文が発表されたのが大きなきっかけだった。


 で、その論文を元に未成年飲酒禁止法第一条は、十六歳以上であれば、酒を飲んでも良いということになった……まぁ代わりに煙草の喫煙制限がさらに強くなったのは……何と言うか、ご愁傷様なんだけど……


 まぁ、とにかくそんなわけで、私に会長を責めるつもりなど全くなかった。会長がそう言った手続きをしていないとは考えられなかったから。

 私が聞きたかったのは、なんで自室まで我慢せずに、人の目につく生徒会室で飲んでしまったのかという点。

 

 会長もそれは分かっていたようで、こう短く返事をしてくれた。


『たいした理由などありません。ただの―――やけ酒』

『え?』

『やけ酒、ですわ…完全に』


 そこで一度言葉を切って、揺れる紅茶の水面を見つめる会長。


『今日、放課後にここへいらした時、働いている生徒会役員がおりましたわよね?』

『はい。みんな忙しそうに仕事をしていました』

『えぇ、そうですわよね……実は、ですね……今年度の生徒会は、一学年の皆さんが多く志願して下さり、非常に賑やかに日々の活動をしていたのですわ…………ですけれど……』

『なにか、あったんですか?』

『……えぇ。宮水さんがこの部屋から出ていかれて数十分後の事。一人の役員が、私の机の上に一枚の書類を出したのですわ』


 そこで、目を閉じ俯くようにしてこういった。


『それは―――退会請願書、でした』





「「「「「「ごきげんよう!!!天吹生徒会長!!!!!!」」」」」」

「うひゃいっ!!!?な、何っ……って、あぁ…いつものね」


 どれだけ思考に没頭していたのだろう。もう慣れ切っているはずの恒例行事に驚いてしまうなんて。というか、気づいたらもう校舎に着いているなんて……いくら何でも集中しすぎだ。歩きスマホの方が、まだ周囲に気を配れているだけ安全だろうに。


「はぁぁ……ちょっと気にしないでいたいんだけどなぁ、会長の事」


 無理だろうとは思いながらも、そんな言葉が零れる。

 このままじゃ、授業も全く集中できないまま終わってしまうだろうし、まったく寝ていないつけを、居眠りという形で払うことになってしまうかもしれない。

 仕方がないから、三上さんに頼んでノートを見せてもらおう。

 そう思って、私は教室のドアを開いた。

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