第5話 酒香を纏った憧れ

「……う、んん……んふぁ?」


 自分の呻き声で目が覚めるという経験は初めての事だった。


「……??ここは?」


 ぼんやりと覚醒し始める意識が、周囲を観察し始める。最初の知覚は、椅子に座っているということ。次に分かったのは、彫刻の入った机に、明るい小さめのシャンデリア。他にも、いかにも高級そうなポットに、書類の詰まった棚の数々。

 それはつい最近、それこそ今日見たばかりの風景。

 出てきた答えは一つ。


「……生徒会室?」



「―――正解ですわ」



 ―――唐突な音と共に、ゾワッと背筋を寒気が走り抜けた。いとも簡単に、私の意識を夢見ごごちから連れ戻す程の。

 耳元で囁かれたその声は、だった。


「あま……ぶき、会長??」

「はい、そうです」


 首ごと右に向けた視線が金色の髪を捉えると、会長の両手が私の肩へと置かれる。

 いや、置いたというよりもといったほうが正しいような??

 そして、そんな短い距離だからこそ匂う、香水の香りと、


……微弱な、お酒の匂い。


 それが引き金となったように、脳内でシナプスがスパークし、気を失う直前の記憶が浮かび上がってくる。

 極至近距離にいる会長が、校内で麦シュワしていた光景が浮かび上がってき―――


「―――宮水さん??」

「っ!? は、はいっ?!」


 まるでこちらの思考を遮る様に、会長が呼びかけてくる。

ゆえに上げてしまった素っ頓狂な声にも、会長は何も反応を返さない

……な、何だろう。

後ろから嫌なプレッシャーを感じてしまう。会長には伝わらない例えだろうけど、ドドドドドドドドド、と少年漫画の様に効果音付きのオーラを纏っていそうだった。


 というか、今気づいた。両手が椅子の後ろに回されていて、動かせなくなっているのだ。腕を振るわせてみれば、聞こえてくるガチャガチャという軽い音。

 

 ……まさか、手錠??

 うそでしょ?


 そんな推測が立った瞬間に、会長がこう私に聞いてくる。

「正直に、お答えいただきたいのですけれど……先程、私が飲んでいた。何を飲んでいたか、お分かりで?」

「わ、分かりませ」

、お答え頂きたいのですが」

「ひっ」


 圧が、圧が強すぎる。

 いつもと変わらないその柔和な笑みに、今だけは全く別の感情が込められているような気がしてならない。

 もう言われた通り、正直に答えるしかない。


「え、あっ、その……っ! ―――び、ビール! のんで…いましたよね…?」


 変に裏返った声が喉から出た。

 何と言うか、そう答えるだけでもう精一杯。

 なんだか、ちょっぴり体が震えて、視界が潤んできた。


 会長が怖い?

 そんな自問が生まれる。


 怖い、のかもしれない。

 そんな自答が生まれる。


 ……会長を、恩人を怖いと思うタイミングが来るなんて思ってもみなかった。そんな想像をする必要もなかった。だって、見ず知らずの私を親切に助けてくれる人の怖さなんて、考えられる訳がない。

 どうすればいいのだろう。

 今私は、いったいどうするのが正解なのだろう。


「………………………………………………………………………………………………」

「あ、あの……会長」


 長い沈黙があった。多分、三十秒にも満たないけれど、酷く長い沈黙が。

 それを破ったのは、会長の小さな呟きと、

「……そうですわよね」

「ぇ?」


 直後に噴き出た、悲鳴だった。

「そうですわよねぇぇぇぇぇぇぇぇっっ~~~~~!!!!」

「え、えっ??」

 そのおおよそお嬢様が上げないであろう大声に、思考がピッと止まってしまう。


「そうですわよねっ!ビールを飲んでしまっていたことを見られたに決まっておりますわよねっ!分かっておりましたわっっ!!宮水さんが気をお失いになられた原因はそれだと分かっておりましたけれど……っ!こう、頭をぶつけられた衝撃で、生徒会室で見た光景全部忘れてしまうとかっ、はたまた、記憶喪失になられるとか淡い期待を抱いておりましたが!!そんな!都合よく!物事が進むはずありませんわよねぇっ!!」

「か、会長!?」


 ご乱心、あるいは、パニック。

 その文字列がピッタリな暴れ具合を見せる会長。ブンブンと金髪が衝動に任せて空中を暴れまわる。


「ど、どどどど、どうすればいいのでしょう??バレッ、バレてしまいましたわ…っ!この神聖な教室で、お酒を嗜んでしまうような上戸だと!知られてしまいましたわっ!」

「いや嗜みってレベルの飲みっぷりではありませんでしたがっ!?」

 ゴクゴクと麦酒を飲み干せる人は、酒豪というのですよ??

 あと『嗜む』と『上戸』は対義語ですからっ!!


 しかし、私の叫びにも一切反応してくれない会長。

 頭を抱えて「どうしよう」と五文字を繰り返している。

 かと、思ったら急に私の正面に回ってきて、再び叫びだす会長。


「宮水さんっ!!」

「は、はいっ!?」

「わたくしは、わたくしは一体何をどうすればいいのでしょうか??!」

「それを私に聞くんですかぁっ!? って! ち、近っ! 近いっ!!」


 私の顔のすぐ目の前に、会長の美貌が迫る。

 瞳の動きも、まつ毛の一本一本さえ判別できる距離で、だ。


 というか、やっぱり会長、酔っぱらっているのではないだろうか?

 何とか体裁を整えているようには見えるけれど、どうにも正常な思考ができてないようにしか思えない。


「お、教えてくださいましっ!? と、とと、とりあえず!脳天にチョップすれば記憶を消していただけますかっっ??」

「何、言ってるんですっ!? 私はご都合主義のお人形じゃないんですけどっ!! とっ、とにかく! お、落ち着いてください! わっ、わわっ、ちょっとっ、椅子を揺らさないで肩をつかまないでくださっっうわああっ!?」


 グラリと左へ傾いた椅子と共に、肩から倒れていく私の体。

 もう一度言うけれど、私の両腕は手錠でロックされているのだ。

まともに受け身一つとれなかったせいで、主に左腕に強い衝撃と痛みが走る。


「いっ、痛ったぁ……」


 幸いなことに、脱臼などしていない。

 加えて、どうやらプラスチック製だった手錠が衝撃で壊れてしまったようで、両腕が動かせるようになっていた。

よ、良かった……これで、とりあえず仰向けになれた、


束の間。


「水宮さんっ」

「……うっ?! ……な、なぜ上にまたがるんです…っ!? 会長っ!」


 私のお腹の辺りに会長が乗っかってきたのだ。

 でも、それだけじゃない。


「うひぃ……っ!」


白く細い両手を、私の頭部が間に来るよう床につけたのだ。まさしく床ドン。

自然と視線が、会長の物と絡んでしまうし、再び鼻先までの距離が縮められていく。


「ち、近いっ! 近いですって!」

 

すると、


「お、お願いがありますわっ!」

「な、なんでしょう?!」

「私がこの部屋でお酒を飲んでいたことを……いいえ、そもそもお酒を飲むような人だと言いふらさないでほしいのですっ!」


―――そんなこと会長は、涙目で言ってきたのだ。


「言いふらす、だなんてそんなこと」

「誰にも、誰にも言わないでほしいのですっ!もしそうなってしまったなら、責任問題になってしまいますっ! 会長の任もとかれ聖トリミアス学園祭も中止になってしまうやもしれません……っ!」

「だ、大丈夫ですっ! い、言いませんって……あのっ、だから、近いっ」

「もし約束を守っていただけるなら、私っ、宮水さんのために、なんでも致しますわっ、なんでもですっ! 何なら、私の個人資産を全て付与しても構いませんわっ」

「っ!? そ、そういうことは冗談でも言っちゃダメかと! ってだから、近いって! ああもう分かりました分かりましたっ! クラスメイトにも先輩にも誰にもっ! 誰にも言いませんからっ! それ以上顔を近づけないでくださいっ!!」


 必死にそこまで叫んで、やっと会長の動きが止まる。

 ピタッと、動きが止まって、

 そして―――


「ほんとう??」


―――そう敬語の抜けた言葉が零れた瞬間に、ポロリと私の頬にも水滴が落ちる。

 それは、会長の涙だった。

酔うと泣き上戸になるからなのか、パニックになっているからなのか、あるいは安堵なのか……正しい涙の意味は、私には分からないけれど、子供の様に泣いている会長相手に、厳しいことは何も言えなかった。


 気付けば、私の右手は会長の頭を撫でていた。サラリサラリと、優しく。

 失礼が過ぎるかもしれないが、そうするのが良いような気がしてしまって。


「大丈夫ですよ。私、今ここで見たこと、誰にも言いませんから」

「……約束して、いただけますか?」

「はい、勿論です」


 口には出さなかったけれど、私はこうも思っていた。

 約束を守るぐらい、一年前の恩に比べれば安いものだ、なんてカッコつけていた。


「あ、ありがとう……ございます、わ」

「な、泣かないでください…! あ、えっとハンカチ……あぁ、そうだ今日は三上さん借りて、それしかないけど―――」


 ―――ちなみに、この瞬間。

 ―――私はまたしても、ミスを犯していたのだ。


 それは三つの油断。

 一つは、意識をポケットからハンカチを取り出すことに向けて、会長の動きをしっかり見ていなかったこと。

 二つ目は、会長は多少なりとも酔っぱらっているという事実を忘れていたこと。


「……宮水さん?」

「え?あ、はい、なんでしょ――――――っんっっ!?」


 そして最後に、会長が酔ったら、いわゆる―――『キス魔』になってしまうかもしれないという可能性の考慮。


 どれか一つだけでも脳裏に浮かんでいれば防げたかもしれない事故が起きたことを、私は唇の温度と柔さで知った。



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