第4話 思い出に浸り〇〇に溺れる

「ふはぁぁぁぁぁぁっっ………かれた」

 時刻はすでに午後七時。私は、ベッドへ身を投げ、うつ伏せでそう呻いていた。お嬢様学園の生徒としては適していないし、誰かに見られたら恥ずかしさに失神しそうな光景ではあるけれど……これが気持ちいいんだ……やめられない。


 五月の半ばに入り始め、徐々に徐々に熱くなり始めた気候もあってか、なんだか今日の疲労具合は大きかった。しわが着き始めた長袖の制服も、もう少しすれば半袖へと変わってしまうだろう。


 ゴロン、と仰向けになって白い天井を見ていると、自然とポワンと浮かんでくる今日の出来事。パパパッと素早くスライドショーしていく記憶の中で、意識に止まるのは一つの瞬間。


「……天吹会長、かぁ」

 そう私はポツリと呟いた。それは、懐かしい感情から来たもの。

 帰り道に三上さんに問い詰められて答えたことではあるけれど、会長と初めて出会ったのは、一年前。新入生として入学式へと出席しようとしていた時だった。


 絶対に遅刻できない、と一年前の私はかなり早くに校門前まで到着していた。それはもう、校門前に立っていた案内係の先生に早すぎませんかと言われる位。


 そして、先生にこんな指示を受けた。

『真っ直ぐ行って校舎の入口までついたら右に曲がって……あー、そこまでいけば、後は案内標識が立ってるから』


 それに私は元気よく『はい!』と答えて、進んで行った。

 優雅さの欠片もないその返事に、恐らく先生は苦笑していたけれど、一切私は気づくことなく歩いた。


 何故なら私は夢中だったから。どこを見ても綺麗という感想が出てきてしまうほどに整えられた、学園の庭をキラキラした目で見つめることに。


 入学式会場の教会へとたどり着くまでは順調だった。言われた通り標識に従って進めは目の前のとても大きなそれが見えたから。

 だけど、そこで私はこう思っちゃったんだよね……


 境界周辺の庭園……散策したいなぁ、って。


 ―――当然、迷ったんだけどね。


 迷路のように整えられていた場所に入ってしまったのが運の尽き。身長よりも高い緑の壁に囲まれて、走っても走ってもたどり着くのは行き止まり。

 開始の五十分前を指していたはずの長針は、いつの間にか十分前へと変わっていた。


 運動好きでもない私は、酸欠と焦りと不安から心臓は破裂しそうなぐらいに早鐘を鳴らしていたし、視界もぼんやり歪んでいた。


 もう走れないし、入学式にも間に合わない。


 そう私が、膝をついて諦めを抱いた時。美しいその声が私に掛けられたのだ。


『あらあら?あなた新入生よね?こんなところで何をしているのかしら?』


 天吹会長だった。

 

 会長自身のスカートが汚れるのも気にせずに私の元へと座り込んで、手持ちのハンカチーフで私の汗と、涙を、拭いてくれた。優しい手つきだった。

 

 そして、会長は私を教会まで連れ戻してくれた。私の右手をひいて、太陽に金髪を煌めせながら。


 その背中に、私は尊敬と憧れを抱いたのだ。


 朝のお出迎えをしている子たちほど絶対的なものじゃないけれど、心の中にしっかりと形をもって。


 その後の入学式で私は会長の名前を知った。

 天吹 姫。

 その六音は、私の脳にしっかりと刻まれてしまった。いまだクラスメイトの名前も覚えきれてない私にも、一発で。


 意識が現実に戻る。

 ムクリと私は体を起こして、私はゆっくりと学習机へと向かう。何となく、学習意欲が湧いてきたのだ。

 だって、会長があの場に現れていなければ、きっと私は学業特待生としての資格を失っていたから。途方もなく高い学費を払えないまま、退学になっていただろうから。

 そう思って、私は鞄を開けて参考書をーーー


 ーーーあれ?

 ふと私は気づいた。鞄の奥にB5サイズの封筒が見えることに。

 スッと血の気が引いた感覚と共に、脳裏に一つの仮説が浮かぶ。


 もしかして私、ホームルームの報告書、出してない??




 そう思って、全力ダッシュで生徒会室まで届けに行った私。

 時刻はもう七時半を回っているし、生徒会室には誰もいない可能性の方が高いのは確かなんだけれど……それでも、私は雑用を終わらせなければと焦り、室内の電気がついているこりゃ幸いと室内へと入ってしまったのだ。

 ノックという日本中誰でも出来る当たり前のルールを守らずに。


 それが、これまでの人生最大のミス。

 憧れが砕かれるという不運を招く、最悪なミスだった。


 あぁ、見てしまった。

 着ぐるみの頭が取り外した瞬間の様に。

 煙草をくわえたアイドルのスクープ写真の様に。

 衝撃的な光景を。


『夜に生徒会室へと雑用を澄ましに行ったら、奥で憧れ生徒会長がビールを開けて麦シュワしている光景』……なんて、最悪なものを見てしまった。

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