第22話 なぜトヨタのクルマは売れるのか
「なぜトヨタのクルマは売れるのか。」
先週、アル〇ァードを始めて運転ししました。
さすがに売れているだけあってええクルマでした。自分が偉くなったと感じさせてくれるクルマでした。だから前に遅い車がいると「あおり運転」してもええかなあと思ってしまいました。また、ある速度域まではとてもよく走るように感じました。出足がええですよね。つまり運転が上手くなったと感じ、もしかしたらZと同じ速さで走れるんじゃあないかと思わせてくれました。危険な感じがまったくしない。スピード感が希薄で運転感覚も希薄で、もしかしたら限界ギリギリで走っていてもドライバーにはそれがまったく伝わってこない。さすがトヨタじゃのうと思いました。ドライバーのマインドコントロールさえしてくれるのです。でも物理には逆らえずにアンダーをものすごく出してしまって(←下手くそ)になりかけて冷や冷やしたこともありました。
ついでにワシは、売れ筋のルー〇ー、タン〇にも乗ってみました。
ルミタンは、顔の大きなクルマでした。前から見るとノア・ボクシーと見間違えるぐらいに大きく見える。サイズ的にはパクリ元となったスズキのソリオとあまり変わらないはずなのに、どういうマジックかとにかく大きく立派に見えるクルマでした。でも運転したら、これはちょっとひどいクルマじゃなあと思いました。まずエンジンがダメ。力がない。スカスカ。CVTでごまかして無理やり加速させているような感じで、ソリオの方が100倍ええと思いました。足回り、ブレーキ然りです。これはサイズの割に大きく立派に見えるけど中身はスカスカでクルマとしてはソリオの足元にも及びませんねえ。騒々しいし。なしてこっちの方が売れているのかさっぱり分かりませんが、ソリオを知らないでこっちだけに乗ったら、なんも気づかないで「こんあもんかなあ。」とそれなりに満足するかもしれません。またトヨタ車ばかり乗っている方には、ええクルマだと感じるのかもしれません。失礼ながら素人好みの典型的なトヨタ車でした。
ついでに「プリウス」にも乗って、トヨタの売れ筋3台を押さえておきたかったのですが、残念ながら叶いませんでした。まあしゃあないか。
うーん。
トヨタのクルマはなぜ売れているのか。
なぜ売れているんでしょうね。
消費者の立場から考えると答えは明白です。それは、値段の割に「いいクルマ」だからだと思います。また、消費者が何を求めているかを察知し、それを優先してクルマ作りをする。つまりニーズとドンピシャのクルマをライバルよりちょっと安く提供するわけですから売れないわけがない。
あくまでワシの私見に過ぎないのですが、トヨタのクルマのいいところを思いつくままに挙げてみますと「見栄えがする」「高級感がある」「威張れる」「値段の割にいろいろ装備がついる」「タイヤも太くて薄いのがついている」「安心感がある」「壊れない」「質感が高い」「販売網が充実していて値引きも大きい」「さらに燃費もよくてある程度の速度や運転状況においては走りがとてもいいように感じる」などなどあって、要するに普通の消費者にとっては「買い得感」がとても高いのだと思います。
トヨタのクルマ、ええクルマに違いありません。ところがワシたちのような元走り屋もどきのクルマに一言持っているちょい悪いおやじたちに聞いてみますとね。ちょっと気になるところも挙がってきています。
「エンジンが楽しくない」「足回りが弱い」「限界性能が低い」「ハンドリングがやわ」「路面状況がつかみにくい」などなどです。さらに「ガタが来るのが早い」「古くなるのも早い」「旧車が魅力的ではない」「味がない」「素人好み」「カッコ悪い」「面白みがない」「あっという間に味が落ちる(刺身ですか?)」まあ、昔から言われていることなのでそうかもしれませんねえ。あのちょっと前まではバカ売れしていたCHRの惨状を見ると、なんか考えさせられることもあります。CHRを買ったワシの友達も落胆していましたからね。
さらにおっさんからは、こんな意見もありまして驚きました。
「ワシが走っていた頃の80年代のトヨタ。だめじゃったね。ちょっとエンジンをいじくるとすぐ壊れた。日産や三菱のエンジンは丈夫じゃったね。ブローしても直せるから。トヨタのエンジンは一回ブローしたらブロックまでダメになるから。」
「普通に乗るならええクルマじゃと思うけど、何かにこだわって乗るなら魅力なかったね。例えば競争するとか。」うーん。確かワシが入り浸っていたチューニングショップのおっちゃんも同じようなことを言っていましたね。
そういえばこんな話を聞いたこともあります。
「トヨタは賢い会社じゃから、無駄銭は一銭も使わない。たとえばほら、スープラの280馬力のエンジン。トヨタは、一般の人は10秒以上全開にしないというデータを持っているから、それ相応の強度のエンジンを作る。もちろんよく走るし普通に乗っている限りは絶対に壊れたりしない。日産なんか例えば普通のL型でさえ、400馬力500馬力に耐えられるように、そういう想定で作るからお金がかかる。トヨタはそんなお金があったら、内装を良くしたりカセットつけたり、そういう一般の人が喜ぶ装備を付ける。この違いが判るか。どっちが賢いか明白じゃろう。でもワシは日産の方が好きじゃけどね。」
「トヨタ?スタビライザーよりもカセットの会社じゃね。普通の人はスタビライザーつけてカーブの安定感が増したとか絶対にわからないと思う。それよりもカセット。わかりやすいからねえ。素人うけがええよ。そりゃあ。」
ついでにトヨタのクルマに乗っている人のイメージを聞いてみました。
「まああんまりクルマに興味やこだわりがない人が乗っている。」「偉そうにしている。」「あおり運転しそう。でも本人はあおり運転だと気が付いていない。」とか「運転が下手。しまりのない運転をする。」とか「素人が多い。」「限界まで走らない。」「クルマは走ればいいと思っている。」とか「空気を読めない。右折時に右に寄って後ろのクルマの妨害をしないとかまったく考えない。」とか、けっこういろいろな偏見に近いイメージが出るのには驚きました。ワシも密かにそう思うことがありましたけどね。ようするにクルマにあまり興味がない、こだわりのない人が乗っているイメージでした。これは明らかに偏見だとも言えなくもないのですが、多くの人が乗っているので、つまりいろんな人が乗っている関係で、そういう人が多いと感じるのかもしれません。
他にも
「高級そうなシートでも座ると疲れる。」「見てくれ重視。本当は細いタイヤの方が乗り心地がいいとかそういうことを知らないし感じない人が多い。」とか「意味のない魔改造をしているクルマが多い。例えばミニバンに超扁平タイヤにシャコタン。まともに走れるはずがない。」
などなどいろいろ出るわ出るわ。
はっきり言って「偏見」だと思いますが、トヨタのクルマを快く思っていない人がけっこういるのは事実で、そういう人はそろってクルマが好きな人。クルマで走ることが好きな人。クルマを妻よりも愛している人。年金暮らしなのにクルマ道楽で破産しそうな人(ワシのこと)が多かったように思いました。
「トヨタのクルマはなぜ売れているのか。」
そろそろワシなりの結論を申し上げます。
それは「売れることだけを考えてクルマだけを作っているから。」です。
さらに、いろいろな意味でクルマが大衆化し、また白物家電化し、クルマにこだわる人がいなくなってきたからだと思います。つまり我が国には「自動車文化」というものがあまり育たなかったのだと思います。だからクルマ好きが減った。クルマを愛する人が減った。所有したり走る喜びを求める人が減った。なしてかというとそんなクルマは結局は売れなかったからです。そうじゃあないクルマが売れて、そんなクルマで育ってきたからです。結果として若者を中心とする自動車離れが進んで、クルマが売れなくなった。なんかそんな構図が見えてきたように思います。だからトヨタのクルマだけは売れているのだと思います。クルマにこだわりのない人にとっては、これ以上の選択肢はないからです。
だってこのご時世で、普通の人は限界まで走ろうとか、ちょっと峠に行ってみようとか、夜中に高速に乗ってみようとか絶対に考えませんから。監視カメラも警察もSNSも世間の目もうるさくて、がんじがらめの世の中ですから。一ミリでも非合法なことをすればすべてを失いかねない世の中ですから。まあ当たり前っちゃあ当たり前のことで、平和なことはいいことだと思いますが、合法内でもクルマは十分に楽しめますし、自分の趣味や世界を広げるツールとしては素晴らしいと思うのは、ワシだけなのでしょうか。
実はこうなることを危惧されて、1970年代から日本の自動車界に警鐘を鳴らし続けていた方がいらっしゃいました。徳大寺有恒先生です。「自動車文化」の在り方やクルマの素晴らしさについて語っておられました。昭和の頃にはもう気づいていらっしゃったのです。こうなってしまうことに。それが「間違いだらけのクルマ選び」でした。ワシは全巻を所有していて、第一巻を読むとすでにこのようなことが書いてあり徳大寺先生の慧眼に感心させられてしまいました。でも徳大寺先生でも止められなかった。
「そう考えると、私の間違いだらけのクルマ選びもたいしたことはなかったなあ。」
と、書いておられたのを読んだワシはなぜかしんみりしてしまいました。
そういえばワシたちが若い頃の挨拶と言えば
「何に乗っとるの?」
「すごいねえ。」
から始まり、それが見知らぬ人とのコミュニケーションのツールだったように記憶しています。何もかもが熱くて、情熱的で、がんばって少しでも自分の生活を向上させてええクルマに乗りたいと思っていた時代でもありました。
みんがクルマが好きで燃えていた熱き時代。もう帰ってこないでしょうねえ。
まとめに入りましょう。
トヨタのクルマは確かにええクルマだと思います。でもそれは「クルマのクルマたるところ以外でええクルマだと思うのです。
「クルマのクルマたるところ」って。それは具体的に言うと「走る・止まる・曲がる」という運動性能の部分です。詳しく説明します。ワシは「クルマは走ってなんぼ」だと思っています。「運転することが楽しい」「運転が上手くなる」こと。それは周りに気を遣い、クルマの挙動に敏感で、クルマにも気遣いを忘れずに、それらは「安全運転」には不可欠だと思うのです。
「クルマのクルマたるところ」以外の部分とは。それは見た目が良くて豪華で見栄が張れて装備がいろいろついていて、そういう部分です。
一般人はそういうものに目を奪われて、そういうことを重視してクルマを選ぶようになりました。トヨタはさらにその要求を満たすために、そういうクルマを作る。それに魅せられてクルマを買う。ようするに負のスパイラルが生まれてくるのです。最悪なことに少々骨のあった他のメーカも売れるクルマ作りに追従するしか生き残る術がなかったようです。。こうして日本の自動車文化は地に落ちてしまった。さらにドライバーの質も地に落ちつつある。運転が下手くそ。周りの空気が読めない。クルマの挙動がつかめない。だから事故が増える。巻き添えになる。いざということに対応できる技量がない。そういうことだとワシは思います。
「ええクルマ」ってなんじゃろうと考えると、究極は「安全」だと思います。それはABSとか衝突安全性とかトラクションコントロールとかそういうことではなくて、事故を起さないことです。つまりドライバーの意識と技量の問題だと思います。それを育ててくれるクルマこそが「いいクルマ」だとワシは思うのです。
売れればいいという考えで、売れるクルマ作りをしてきたトヨタは、結果としてドライバーの意識と技量を低下させてしまったように思います。素人。質の低下。自動車文化はこうして台無しになってしまったのです。まさに30年も前に徳大寺先生が予言された通りに日本の自動車文化は「商売優先」に突き進んでしまいました。
誰が悪いのか。それはワシたち一人一人です。木ばかり見ていて結局森を見ることができなかった結果だと思います。大きなお世話かも知れませんが、「踏み間違え」とか「あおり運転」とか「マナーが悪い」とか「空気を読めない」とか「他のクルマに平気で迷惑をかける」とか、それによる「交通事故」等々はそのすべてはその結果だと思います。結局ドライバーが育たなかった、育てるクルマ作りができなかった、そういう文化というか良心が商売優先に駆逐されてしまった結果じゃあないでしょうか。
みんな。もっとクルマを好きになろうよ。それから一人のドライバーとして「誇り」と「思いやり」を意識して運転しようよ。そうしたらきっともっと素晴らしいことに気づけるはずだから。とワシは思います。
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