第88話 暮れなずむ空


「暗くなる前に宿へ帰りましょう」


燭台においた松明を右手で回収し、振り返ったクロウさんに微笑みとともに告げられる。


気が付けば太陽は姿を隠し、空を微かに染める朱色だけがその残滓を感じさせている。


水中に潜った時のようなほの暗さの中で行き先を示すように家々の燭台が東門へと続く水路の先へ伸びている。



そういえば今日は東の草原で風車小屋に泊まらせてもらおうと思っていたのだった。


街のすぐそばとは言え、門の外であるフィールドはモンスターも出現する。


夜のフィールドは街の明かりも届かず、見知らぬモンスターと遭遇した場合、不覚を取る可能性もある。


いくらバロンが強くて夜目が聞いても、一緒にいる私は暗闇に不慣れな獣人の小娘だ。バロンの殲滅網を潜り抜けて攻撃されたら避けられる自信がない。



「次は東に行く予定なんです。今度会う時には東のお土産を持ってきますね」


東へ旅立つ準備は今日済ませた。そのため、草原に建つ風車小屋で夜を明かした後には東の大国を目指して旅立つ予定だ。


次にクロウさんに会えるのは東の冒険が終わってからとなるだろう。また、しばらくクロウさんに会えないことを少し寂しく思いながら出立の挨拶を告げる。



西の大国で買ってきたお土産のように東の大国でも東ならではのお土産を持ち帰って来よう。


お菓子は渡したときに食べ過ぎるのも良くないからと一部受けとることを遠慮されてしまったので、今度は栄養価の高いお菓子以外の食べ物を探してみよう。


健康食品とか手に入らないかな。



「・・・あなたが無事に戻られること、それだけでお土産は十分ですよ」


東の大国で買うお土産に思いを馳せる私に、クロウさんは困ったように眉根を寄せ、お転婆な妹を見る兄のような表情で微笑む。


優しい微笑み、慈愛に満ちた眼差し、先程クロウさんの手を見た時には思ったよりもごつごつとした男の人らしい手に驚いてしまったけれど、


クロウさんの雰囲気は何時だって穏やかで神父様のイメージを崩さない。


わずかに暗い景色の中で灯りを片手に微笑む様子は人々を見守る一家の父という感じがする。



「じゃあ、行ってきます。クロウさん」


「行ってらっしゃい、ルイーゼさん」


暮れなずむ空が月白色から鈍色に変わり、漆黒へと移り変わっていく。


クロウさんの手に持つ灯りが帰り道の導として瞬くのを目に焼き付けて、東門に続く運河へと踵を返す。



『・・・・・あやつの手・・・剣を持つ者の手であったな』


東門へ向かうための船を探す傍らに、バロンが先程のクロウさんの手を思い出すように呟く。



「剣を?」


節くれだった手だとは思ったが、武術などの心得のない私には闘う人の手とそうでない人の手の区別がつかない。


胼胝があれば少しは分かったかもしれないが、見えたのは手の甲と指の外側だけで手のひらや中側は見えなかった。


剣を持つ人の胼胝がどこにできるのか知らないが、何かを握るのならば胼胝ができるのは内側だろう。


バロンはあのそう長いわけでもない時間に手の甲などを観察しただけで剣を持つか否かを判断できるなんて、さすがラスボス。強い。



「それじゃあ、クロウさんって強いのかな?」


手を見てわかるほど剣を握っている人ならば一定の心得があり、ある程度の強さを持っているのだろうか。


穏やかにほほ笑むクロウさんと剣などの荒事がうまく結びつかないが、ファンタジー世界の神父様ならば武術を修めていることもあるだろう。




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