第5話



 教室へ戻ると、二階堂たちに加えて、クルリが席に座っていた。


「あっれ〜、クルリちゃんじゃん。部活はどうしたの?」


 そう言って話しかけると、クルリはこちらを眠たげな目で睨む。


「今日は早く練習が終わったから一緒に勉強しに来たわ」

「おぉー、なんか優しいねぇー」

「言ったでしょ。私は基本的に優しいわよ。それにこうして勉強したいのは私なんだから」


 クルリは一つ息を吐くとカバンから勉強道具を出し始めた。


「2人は仲が良いわね! 何かあるのかしら?」


 六花が目を輝かせてクルリに訊ねる。


「別に何もないわよ」

「本当に?」


 六花がぐいっとクルリに近づく。クルリはそれを苦手そうに身体を逸らす。


「本当よ。それに……いえ、何でもないわ。あんな軽薄そうなのを好むのがいるのかしら」

「酷いぞー。俺、傷ついちゃう」


 クルリはため息混じりに頭を左右に振る。


「たしかにそうね」

「ちょっと、六花さーん。同意しちゃうと君も同じだぞー」


 俺はそう言って座っていた席に戻り、彼女らの会話に参加する。


 そんな俺をじっと見る視線が1つある事に気が付く。しかし、気が付いておきながら、俺は無視する事にした。





 勉強が進み、時間は知らぬ間に経っていた。日が出てないと、今が何時なのか判断がしづらい。


 部活へ行ったはずの八千が教室に戻ってきて、ようやく今が夜の7時前だと気が付いた。


「あれ? みんな、まだ勉強してたの?」

「ミナちゃん、おかえりなさい」


 百合川はガバっと机から身体を起こして、勢い良く立ち上がると、八千に近寄り、抱きついた。


「ん、ただいま。汗臭いからくっ付かれると、ちょっとアレだけど……」

「大丈夫よ、堪能しているわ」


 八千は苦笑いを浮かべ、胸に顔を埋める百合川の頭を撫でた。


「やっぱり、制汗剤と汗が混ざって良い匂いね。堪らないわ」

「あー、なんかセクハラされてる気分」


 苦笑いした八千は顔を上げた百合川の額を人差し指で小突いた後に肩に手を置いて百合川を離した。


「みんなはまだ勉強していくの?」


 八千が訊ねると、みんなの反応を待った。


「いや、もう帰ろうかなって感じだな」

「そうだね。こんな時間になってるなんて気が付かなかったし」


 シキと二階堂がそう答える。


「雨降っていると時間を忘れちゃうのよね」


 六花が困ったように窓の外へ目を配らせる。


「たしかにね。ずっと暗いから時間わかんなくなるかも」


 八千が六花につられて窓の外を見た。


「んじゃ、勉強はここまでにして、みんなで帰りましょうか」


 俺はそう言って教科書を閉じると、シキ達は「そうだな」と同意するように声を揃えて、勉強道具の片付けを始めた。


「八千は大丈夫だったか?」

「うん。大丈夫だよ。忘れ物しちゃったから、部活のみんなに先に帰ってもらってたし」

「なら、都合が良かった」


 周りより先に片付けを終えると、忘れ物を取り終えた八千の隣に並ぶ。


 先程、百合川が言っていた通り、八千から制汗剤の甘い香りがする。


「その制汗剤、何の匂いだ?」

「え?」


 八千は驚いたようにこちらを見た後に頬をわずかに赤くして睨んだ。


「……クラッシュベリー」

「何で睨むのさ」

「いや、だって恥ずかしいし」

「恥ずかしい?」


 八千は俺から目を逸らすと少し俯く。

 俺の方が背が高いので、八千の表情は横からではよく見えない。


「……私だって、女の子だし。その、男の子に匂い嗅がれるのは、ちょっと恥ずかしい」


 八千は俺の顔をじっと見上げた。

 熱っぽい頬に潤んだ瞳、拗ねたように尖らせた唇。


 普段の八千では考えられない反応に俺は思わず唖然としてしまうが、なんだかおかしくて笑ってしまった。


「あははっ」

「なに? 変じゃないでしょ?」

「そうだな。変じゃない。ごめんごめん。配慮が足りなかった」

「そうだよ。乙女に失礼だよ」


 拗ねたように八千は俺から目を逸らした。

 その様子を見ていると背中をつねられる。


「いてててててっ!」


 後ろを見ればクルリがこちらを睨んでいた。


「なになに?」

「いや、なんかムカついたからよ」

「突然、酷いよ。クルリちゃーん」

「悪かったわ。あなた、少し元気なかったから気にしてたけど、大丈夫そうね」


 クルリの言葉に俺の心臓は驚いたように跳ね上がった。


「八千さん、部活お疲れ様」

「ありがとうー。クルリちゃんも部活お疲れ様!」


 顔には出なかったのかクルリは俺を無視して、八千に話しかけ始めた。


 クルリは人の僅かな変化に鋭い。

 まさか、クルリにまで失恋気分なのがバレそうになるとは思わなかった。

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