第353話 教授のラブレター騒動2


「余っちゃったから一緒にプレゼミの発表することになったね。よろしくね、松永くん」


 目の前にいる砂橋のことはよく知っていると言うほどではないが、前に他の講義で欠席していた時のノートを写させてもらった恩がある。


 そういえば、あの時の恩を返していなかったなと思いつつ「よろしくお願いします」と俺は砂橋にぺこりと頭を下げた。


「近代文学の短編を一つ、この指示された中から選んで発表だって」


 浜元教授の「文学プレゼミA」を受講している生徒は十四人。そして、今回、二人一組になって、指定された短編の中から一つを選び、それについて考察などをした上での発表をすることになっている。


 目つきが悪いからなのか、他に問題があるのかは知らないが、俺は余ってしまい、それを見かねた砂橋が声をかけてきたのだ。


「余ってるのあんまりないね」

「グループを決めた人間がさっさと決めて出て行ってしまったからな」


 もう昼食の時間だ。浜元教授は席の一つに座って、文庫本を開いていた。本のカバーが邪魔で何を読んでいるかは分からない。グループ決めが終わったことと発表をしたい短編を選んだことを報告した生徒から教室を出て行ってるのだ。


 いつの間にか、教室には俺達と浜元教授だけになっていた。


「浜元教授、何が残ってるんですか?」

「砂橋くん、ペアは決まりましたか?」

「松永くんとです」


 砂橋はさっさと浜元教授の席の前まで回り込んでいた。俺も自分の荷物をテーブルに置いたまま、話を聞きに行く。浜元教授の前には、紙が一枚あり、簡単な表にグループの番号と名前は二つ、そして、発表する短編の題名と作者名が書かれていた。


 その横には今回、浜元教授がこの中から選ぶといいと言った十の数の短編の題名と作者名がある。


「松永くん、選びたい?」

「いや……」

「じゃあ、僕たち、これでお願いします」


 砂橋は「水族館」と書かれた題名を指さした。浜元教授は文庫本を閉じて、万年筆を握るとさらさらと砂橋の名前と俺の名前を書き始めた。


「好きなのかい?」

「いえ、直感です。どれも読んだことがないので」


 砂橋はそう言い切ると、俺を振り返った。


「松永くんは読んだことある?」

「いや、ないが……」


 浜元教授の前で読んでいないとはっきり言ってもいいのだろうか。文学に関係するゼミを体験させてもらっているのだから、少なくとも「どれも読んだことがない」と胸を張るべきではないと思うのだが。


 しかし、浜元教授は砂橋と俺に微笑んだ。


「それなら、考察に関して元々の知識が邪魔することなく、スムーズに考察を述べることができますね」


 よかったよかったと浜元教授は言って、俺達の名前を書いた紙をクリアファイルの中にしまうと席から立って「お疲れ様です」と俺達に礼をして教室を出て行ってしまった。


 砂橋と俺はとりあえず、連絡先を交換し、砂橋は今日はこの後講義がないからという理由で図書館に籠もることにしたらしい。


 ついでに発表の役に立ちそうな資料も見つけてくると言っていた。


「お、松永! いや、弾正先生とお呼びした方がいいかな?」


 食堂の丸テーブルで今日のAランチである味噌カツ定食を前に合掌していたところに軽薄な声が聞こえてくる。

 後ろを振り返る間もなく、丸テーブルの向かいの椅子に宮岸が座ってくる。


「その名前で呼ぶな」


「なんでだよ、公募小説出しまくってるんだろ? お前だったら、絶対に賞取ってすぐに小説家としてデビューするんだから、今から呼んだって構わないだろ」


 大学一年生の時のフランス語の講義で一緒になった宮岸は、俺と学部が違い、総合英語学科の生徒だ。しかし、小説を読むのが趣味ということで、俺の小説を読ませたところ「面白い!」と絶賛してもらえて、それから二年の後期の今も付き合いを続けている。


 被っている講義などはなくなったし、二年に入った途端にあか抜けたように髪色を明るい金髪に染めてきた宮岸は「俺の名前に合わせてみた!」と胸を張っていた。


 ちなみに彼の名前は「金助」だ。


「で? 進捗はどんな感じ?」

「歴史小説が七割。宮岸が書け書けとうるさかった恋愛小説が一割……いや、プロットもできていない」

「恋愛小説、苦手すぎだろ」


 俺は頭を抱える。


 確かに俺は恋愛小説を書くのが下手くそだ。歴史小説の中での恋愛、ミステリー小説の中での恋愛。何かに付け加えられた恋愛を書くことに抵抗はないのに、いざ「恋愛を書け」と言われると何を書いていいか分からなくなる。


「好きな子とかできたことないわけ?」

「あいにく、ないな」

「合コンとか一緒に行くか?」

「知ってるぞ。髪まで染めたくせに今も合コンとかに行けずにいるの」

「な、なんだよ! 俺だってお前が一緒に行ってくれるなら行ってるさ!」


 頭を金色に変えたところで変わらない。


 この宮岸金助という男は女性が苦手なのだ。宮岸には歳の離れた兄がいるのだが、その兄がさらに自分よりも一回りも年上の女性を結婚相手として連れてきて、その女性は宮岸に仲良くしたいなと媚びを売ってきたことにより、一気に女性という女性が苦手になってしまったらしい。


 そのような体たらくで共学のこの大学によく通おうと思ったものだ。


「で? 友達はできたのか? 俺達が恋愛をしたことない朴念仁だとしてもお前に新しい友達ができれば、そいつが恋愛をしたことがあるかもしれないだろ?」


 友達と言っても過言ではない人物はいただろうかと首を捻る。サークルの人間を宮岸に紹介しようものなら、強引な勧誘から始まるので遠慮しておきたい。


 ならば、これから関わる機会も多くなる砂橋はどうだろうか。


 砂橋の態度からして、当たり障りのない交友関係を築いていそうだ。今度、砂橋と昼食を共にする機会があったら、宮岸も誘ってみよう。


「今度、一緒に昼飯を食べないか聞いてみる」

「やった! どんな奴だ!」

「……特に、これといった印象はないが……背は小さい。砂橋という名前だ」

「じゃあ、砂橋にも俺のことちゃんと言っておいてくれよ!」

「ああ、分かった」


 砂橋に関して言えるのはこれぐらいだろう。明るい茶色の跳ねっ毛と深い青色のロングコートと、黒いリュックサック。それが砂橋を表している要素だろう。


「明日は授業はいつからだ?」

「一時限目から講義だ」


 しかも、プレゼミでお世話になっている浜元教授の授業だ。手を抜くわけにもいかない。眠るなどもってのほかだ。


 その後、俺は三時限目と四時限目の講義を受けた。演劇サークルも火曜日である今日は活動していないため、帰る前に図書館に寄って、砂橋の手伝いをしようかとも思ったが「今日はもう帰る」と砂橋から連絡が入ったので、俺はさっさと家に帰って、執筆作業に励むことにした。

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