第345話 殺人ヘアカット9


「猫谷刑事、さっき僕のアリバイはないけど、あの二人のアリバイはあるって言ったよね?」

「言いましたね」

「あの二人のアリバイがある日を教えてくれる?」


 砂橋の言葉に猫谷刑事は首を捻ってから「少し待っていてください」と足早に事務室に向かったと思うとすぐにバインダーに挟まれた紙を持って帰ってきた。


「これがシフト表です。一月から今月までこのバインダーに挟まっています」

「本当にこのシフト通りにあの二人が出勤してきたかは分かる?」

「一応、出勤カードがあるみたいです」


 明らかに砂橋は待合室にいる二人を疑っている。


 待合室にいる二人は砂橋のことを疑っているため、お互い様だろう。これで第三者が犯人だと言われれば、拍子抜けだ。


「丹山沙代里の時は西片さんが出勤。稲垣範人の時は島津さんが出勤。本田千代の時は西片さんが出勤。浅井博樹の時は、二人とも出勤。青樹利恵の時は西片さんが出勤。中津比呂の時は島津さんが出勤。うん、見事にアリバイがあるみたいだ」


 シフト表を二枚ほど捲り、七月から九月まで、猫谷刑事の手帳に書かれた日付と見比べながら、砂橋は二人の出勤を確認した。


「……砂橋はずっと眠っていたと言っていたよな? 悲鳴が聞こえたのに一度も起きなかったのか?」

「ずっとぐっすり寝ていたね」

「睡眠薬でも飲んでいたのか?」


 砂橋は思い当たる節でもあったのか「あー」と気の抜けた声をあげた。


「カルピスを飲んだよ。クッキーももらった」

「誰にもらった」

「島津さん」


 俺は待合室で座っている島津を一瞥した。

 彼が砂橋に睡眠薬を飲ませ、砂橋が眠っている間に小松を殺したとする。


 しかし、島津が犯人だとすると西片が砂橋が犯人だと言っている証言がおかしいことになる。いや、おかしくないのか。西片が島津を庇うために嘘をついていると考えれば、二人が砂橋を犯人にしたがるのも分かる気がする。


「……島津が犯人だとするのなら、西片は島津を庇って嘘の証言をしてるのか?」

「共犯でしょ。どう考えても」


 砂橋はシフト表が挟まったバインダーを猫谷刑事の胸に押し付けた。しかし、猫谷刑事の手帳は返さない。


「お互いに休みの日に被害者を見繕う。それで、同じ殺し方をして死体を放置。殺し方さえ合っていれば、連続殺人鬼と思われるでしょ」


「じゃあ、あの二人が……。いや、待て。浅井博樹が殺害された日は二人とも出勤しているだろ? その日、二人が殺人を行うのは不可能じゃないか?」


 シフト表を見る限り、二人とも出勤している時はたいてい開店の十時から閉店の二十時まで店にいることになっている。いくらこの店に客があまり来ないとしても、店に誰もいなくなることはないだろう。


「それが引っかかるんだよねぇ……。まぁ、シフト表なんてどうとでもできるだろうし、出勤と退勤の時間をカードで記録できるとしても、お互いにカードを渡していればいい話だし」


 いくらでもアリバイは崩すことができる。


 しかし、現段階ではアリバイを崩そうと思えば崩せる二人の男性ではなく、アリバイが一切ない砂橋の方が犯人らしいだろう。


「そもそも、ここまで僕のアリバイが成立しないことってある?」

「砂橋さん、恨まれることが多いでしょうから、わざと罪を被せられたとかじゃないんですか?」


 猫谷刑事が真顔でそう言うと砂橋は否定もせずに肩を竦めた。否定ぐらいしてほしいが、砂橋が誰かに恨まれて罪をなすりつけられるということはありえそうだから俺も否定はできない。


「僕の予定を全部知ってるのは弾正くらいしかありえないよ。あとは笹川くんかな」


 俺も笹川も砂橋に無理やり罪をなすりつけようとはしていない。それに、俺も笹川も他人に砂橋のスケジュールを教えたりしないだろう。


「あ、あー、まぁ、うん、いたよ。弾正と笹川くん以外に僕のスケジュール知ってた人間」

「誰だ?」


 砂橋のスケジュールをわざわざ知ろうとする人間がいるとは思えない。砂橋が誰もいないシャワーベッドを指さした。


「小松くん」

「……被害者か」

「元々、ヘアカットの練習台になってほしいって言われてて、休日を聞かれていたんだよね。しかも、七月から。偶然ではないよね」


 ヘアカットの練習のために砂橋に聞いた休みの日にちを、島津と西片がなんらかの拍子に知って、わざと砂橋が休みの日に殺人を犯した。


 そのような素っ頓狂な殺人計画があってたまるか。

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