第340話 殺人ヘアカット4
「そもそも、お前はどうしてここに来たんだ?」
俺の記憶が正しければ、砂橋は美容室や床屋にわざわざ行くよりも自分で適当に髪を切ろうとして、笹川に止められ、結局笹川に髪を整えてもらっていたはずだ。それなのに、どうして美容室なんかに来ているのか。
「高校の時の知り合いがここで働いてたんだよ。それでヘアカットの練習台になってほしいって言われたんだ」
「高校の時の知り合い……あの二人のうち、どちらなんだ?」
俺は待合室でうなだれている小太りの男性と眼鏡の男性を親指で指さした。砂橋は首を振る。
「僕の知り合いはあそこにいたんだよ」
待合室とは反対の、シャワーベッドの白い人型のテープを砂橋が指し示す。
「……まさか」
「ヘアカットしてくれるっていうから来たのにさ。……まぁ、カットは終わってるみたいだけど」
俺は思わず顔を顰めた。
知り合いが死んだのに、その態度はなんだと問い質したいが、そんなことをしても無意味だろう。
「弾正、こっちに」
熊岸警部に誘われ、俺はレジの内側にある扉をくぐる。中は事務室となっており、ごちゃごちゃと物が多い。
「被害者は?」
「小松秀伸。二十四歳。現在、専門学生でこの美容室でバイトをしていた。一人暮らしをしていて、両親は他県に住んでいて、すぐには来れないらしい」
「砂橋は高校の知り合いだと言ってましたが……」
「それも調べた。本当のようだ」
つまり、砂橋が通っていた高校に、死んだ小松も通っていたのか。砂橋と小松がどのような知り合いだったのか気になる。
「やっぱり、今回の事件、砂橋が犯人だと考えているんですか?」
熊岸警部は神妙な顔つきになって、数秒黙り込んだ。その反応だけで砂橋が犯人だと思われていることが分かる。
しかし、砂橋があのような殺人を行うことができるだろうか。
小松秀伸は、成人男性だ。
殺した小松秀伸を奥のシャワーベッドまで運ぶことを砂橋ができるとは思えない。
「もし、砂橋が犯人ではないという確信が得られなかったら」
顎に手を当てて、考え込んでいると熊岸警部が俺の思考を遮る。
「家族に連絡を入れないといけなくなる」
俺は熊岸警部を事務室に残して、椅子に座ったままの砂橋の前に立つ猫谷刑事を押しのけた。
「砂橋。夕飯までに自分の潔白を証明しろ」
「なんで?」
「家族に連絡を入れられたくないだろ」
「……」
砂橋は何も言わずに眉間に皺を寄せた。心の底から面倒だと言いたいのが分かる。座っている砂橋の両肩を掴んだせいで、べっとりと俺の掌にも血が付着した。
迷惑そうな顔をした猫谷刑事が優しくもポケットティッシュを手渡してきた。
「状況は分かるか?」
「それが本当に分からないんだよね。僕、シャンプーをしてもらう時に寝ちゃって、起きたら、ここに座ってたんだもん」
砂橋が嘘をついている可能性は低い。家族に連絡を入れられると言われて、尚、砂橋がこの事件を長引かせるわけがない。
「砂橋さんは発見された時に椅子に座って、鏡の前に置かれた血塗れのナイフをじっと見ていたそうです」
猫谷刑事が砂橋の前の鏡を指さした。雑誌などが置かれている鏡の前の台にも血の跡がついている。
「起きたら、血なまぐさいし、目の前には血塗れのナイフがあるし、小松くんは奥で血塗れだし、警察の人が入ってくるし、もうびっくり」
びっくりしている人間はため息をついて肩を竦めたりしない。俺が砂橋の言っている状況に置かれたら、驚きのあまり叫び声もあげずに椅子から転げ落ちて、目の当てられない状態になるに違いない。
「小松くんはどんな状態で死んでたの? 僕、近づくなって言われてたから分からないんだよね」
「それは……」
猫谷刑事が口ごもる。彼にとって、砂橋は今容疑者だ。事件の捜査状況を教えることに抵抗があるのだろう。
「教えてやれ、猫谷」
「熊岸警部、でも……」
「俺が許す」
熊岸警部はそれだけ言うと、震え出したスマホを耳に当てながら、外に出て行ってしまった。そんな彼を呼び止めることができずに、猫谷刑事は手帳を開いた。
「被害者である小松秀伸の死因は、失血死だと思われます。腹部に複数の刺し傷と、頸動脈を切られた跡がありました」
間違いなく死んでいるだろう。
そして、血だまりの位置からして、小松は五つの椅子の間の通路で殺され、その後、一番奥のシャワーベッドへと引きずられた。
「通報があったのは五時。小松秀伸自身から助けを求めるような内容と、悲鳴などが聞こえたと言われています」
「まぁ、一時間ではこの量の血は渇かないよねぇ」
靴も血塗れになっているからお構いなし、砂橋はぴちゃぴちゃと靴の底で血だまりを叩いた。
今から一時間前に通報があった。小松はその時はまだ生きていた。そして、砂橋はこの場にいたが、寝ていた、ということか。叫び声が上がっているのに寝続けていたなど、ありえるのだろうか。
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