第339話 殺人ヘアカット3
俺が美容室「Beauty Gate」に駆けつけると周りには警察が何人もいて、黄色と黒のテープの向こうへ行こうとするのを警官に止められた。
すると、美容室から出てきた熊岸警部が出てきてくれて、俺は呆気なくテープをくぐることができた。
「砂橋は?」
「入れば分かる」
熊岸警部は相当疲れた顔をしていた。事件に砂橋が関わっているなら、疲れるのも当然だろう。
熊岸警部の後に続いて、美容院に入り、俺は思わず、口元を手で覆った。
噎せ返るほどの血の匂い。
そして、床に広がっている血だまり。
ここが美容院ではなく、病院だと言われてもしっくりするほどの惨状だった。店に入ってすぐ目の前の待合室らしき場所に二人ほど、座っているのが見えた。
小太りの男性と、高身長の眼鏡の男だ。
そして、俺は熊岸警部からもらったビニールを靴の上から履いて、奥へと向かった。目の前が待合室で、左手にはレジ。奥の通路を挟むようにして、右側に三つ。左側に二つのカットのための椅子と鏡が交互に並び、その間に血だまりが広がっている。
俺は血だまりの手前、二つ並んだ椅子の一つに座って、足を組んで肩を竦めていた砂橋を発見した。
着ている深い青色だったはずのロングコートも、ズボンも服もスニーカーも両手も血塗れだ。
思わず、息を呑むと熊岸警部が呟いた。
「砂橋に怪我はない」
あいつの表情を見れば、そんなことはすぐに分かる。
砂橋はけらけらと笑っているのに対して、事情聴取をしていると思われる猫谷刑事は険しい表情をしている。あれは、砂橋のことを疑っている顔だ。
無理もない。今までも砂橋は現場で猫谷刑事のことをからかっていたのだ。
「……砂橋」
「あ、弾正、来てくれたんだ?」
「お前な……」
俺が近づいたのを確認して、笑顔を向けてくる砂橋に思わずため息が漏れる。
「ついにやったのか?」
「僕じゃないよ」
にこやかに答える。
「僕がこんな馬鹿なことするわけないじゃん」
こんな馬鹿というのは、殺人なんかするわけないじゃんということではなく、こんな馬鹿な殺し方するわけないじゃんと言いたいのが手にとるように分かってしまう自分が嫌だ。
俺は周りを見た。
すると、一番奥の診察台に白いテープが貼られていた。人型を模した白いテープの輪郭から、そこに死体があったのだと分かる。しかし、おかしなことに診察台の周りにはそれほど血がない。
ヘアカットのために並んだ五つほどの席がある通路には血だまりが広がっているというのに、シャワー用の三つのベッドの一番奥に行くにつれ、床に広がっている血の量が減っている。
「熊岸警部、弾正の方に連絡してくれてありがとう」
「……ああ、親に連絡するのは、全力で拒否されたからな」
なるほど。それで俺がこの場に呼ばれたわけだ。夕食を用意する前でよかった。食べていたら、この場で吐いていたかもしれない。
「今回は何に巻き込まれたんだ?」
「うーん。さぁ? たまたまやってきた美容院が殺人の現場になっただけじゃない?」
砂橋は肩を竦める。
その答えに疑問を覚える。砂橋は殺人を見ていたわけでもなく、殺人を行ったわけではない。
「お前はいつからここにいたんだ?」
「午後四時くらいからかな。知り合いに呼ばれてね。ここに来たんだよ」
「知り合いか」
「うん」
こいつの知り合いと聞くと身構えてしまう。もしかして、待合室のような場所で待っている男二人が砂橋の知り合いだろうか。美容師に知り合いがいるとは聞いたことがない。
「ここで何があったんだ?」
「知らないよ」
「は?」
「だって、僕、ずっと寝てたんだもん」
砂橋の答えに猫谷刑事が「ずっとこれです」とお手上げだというように両手をあげていた。
「近くでこんな凄惨な殺人が行われたというのに寝てただけはおかしいでしょう」
「だから、本当に寝てただけなんだって」
「だったら、その返り血はどうしたんですか」
「知らないって」
猫谷刑事と砂橋のことやり取りは、俺が来る前からずっと行われていたらしく、俺の隣で熊岸警部がため息を吐いた。
砂橋をなんとかしてほしくて俺を呼んだのなら、失敗だ。
もし砂橋が今回の殺人に加担しているとしても、俺に砂橋を自白させることはできない。犯人じゃなくても、砂橋に重要なことを喋らせることはできないだろう。
「砂橋……」
「弾正、今日、そっちの家行ってもいい? お風呂貸してよ」
俺は思わず顔を顰めた。もしかして、自分の家でその血塗れの服を洗いたくないから来ると言っているのか。
「……このままだと、俺の家で風呂に入る前に警察署に連れて行かれるぞ」
「絶対お腹すくからやだなぁ。かつ丼とか出してくれるならいいけど」
今の時間は午後六時。今から警察署で事情聴取をするとなると本当に砂橋は取調室でかつ丼を注文しかねない。
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