殺人ヘアカット

第337話 殺人ヘアカット1


 僕はスマホのメッセージを見ながら、人がちらほらといる大通りを歩いていた。簡略化された地図の画像を見ながら、コンビニを右手に曲がる。


 メッセージの差出人の名前は小松(こまつ)秀伸(ひでのぶ)。

 僕の高校時代の友人だ。友人と思っているのはあっちだけだと思うけど。


「確か、ここでいいはず」


 人のいない通りに茶色に白のオシャレな書体で書かれた「Beauty Gate」という店の名前。小松くんは現在、ここで働いているらしい。店構えは洋風のカフェに似ているものの、窓ガラスには茶色と白のストライプのロールスクリーンが八分目まで降ろされていて、かがまないと中を見ることはできない。


 僕が呼ばれたお店がここであることは間違いないが、店の扉には「Close」と白いインクで書かれた木の板がかかっている。


 まぁ、僕は呼ばれた側なんだし、別に入っても構わないだろう。間違いでも、小松くんのことを悪者にしてしまえばいい。


「こんにちはー」


 入口から店の中に入る。もう九月になったとはいえ、外は暑かったからエアコンの涼しい風が肌に染みわたる。


「あ、すみません、今日はもう終わってるんですよ」


 受付でレジの点検をしていたらしい細身の男が困ったような顔をしていた。奥では小太りの男が客らしき、長い黒髪の女性の髪の先を切っていた。


 美容院に来るのは本当に久しぶりだ。


 笹川くんが探偵事務室セレストに来てからというもの、美容院に行くのが面倒な時は彼に髪の手入れを任せている。その度にお小言を言われながらも、彼は僕の髪を整えてくれる。


 今日だって、知り合いに頼まれて美容院に行くんだと話すと「え、俺以外の人に髪を切ってもらうんですか……?」と驚愕していた。


 僕に美容院に通ってほしいのか、自分で髪を切りたいのか、どっちかにしてほしい。


「僕、小松くんに呼ばれてきたんですけど」


 店内を見回しても小松くんの姿はない。

 高校時代から低身長の彼のことだ。それは今になっても変わらないだろう。


「ああ、秀伸の友達だったんだね!」


 困った表情から一変させ、受付のレジから手を離した男は、僕に笑顔を向けた。


「秀伸なら今買い出しに出てもらっているから、ちょっと待っててもらえるかな?」


 小さな待合室に通される。落ち着いた茶色と灰色の四角い椅子に座っていると、横からずいと紙を出された。


 ウーロン茶、カルピス、オレンジジュース……どうやら、メニュー表らしい。美容室にこんなものが何故用意してあるのか分からない。


「どれか飲みたいものはあるかい?」

「カルピスがいいです。美容室に飲み物のメニューがあるとは思いませんでした」

「カラーとかストレートとか、時間がかかるものがあるからその間、クッキーと飲み物を出してるんだよ」


 なるほど。僕はカラーもストレートも美容室で頼んだことがないから知らないが、確かに数時間も椅子に座らされたままだと飲み物が飲みたくなるのも分かる。


 待合室の小さなガラスのテーブルにコルクのコースターとカルピスの入った細長いグラスが置かれ、その前に長方形のクッキーが二枚入った個包装が置かれた。


「秀伸とはどんな関係なんだい?」


 なぜか、受付にいた彼は僕の斜め前の席に座る。


「高校時代の友人です」

「すごい仲がよかったの?」

「いえ、そこまでは……。今回もいきなりヘアカットの練習台になってくれと言われたので」


 そう。僕と小松くんはそこまで仲がいいわけではない。相手が何故か僕のことを信用しているということ以外は赤の他人という関係が一番しっくりくるだろう。


 高校の頃だって、ほとんど人と関わるつもりがなかった僕のところにやたらと謎を持ってきたりしていた変わり者だ。彼は大学を卒業した後に、どうやら美容師になりたいと思い立ったみたいで、今もまだ学業に励んでいると一方的に報告をしてきた。


 それが二ヶ月前から、ヘアカットの練習台になってほしいと何度も頼み込まれ、今に至る。


 仕事があるから無理と断っていたら仕事のスケジュールを教えてくれと頼み込まれ、さらにはお金は払うし、探偵の依頼としてヘアカットをさせてくれと頼み込む始末。


 笹川くんとはまた違ったベクトルで面倒な人間だとは思っていたけど、果たして、ヘアカットをするだけなのに依頼料をとっていいものか。


 まぁ、お金を払ってくれるというのなら、もらうけど。


「君の名前は?」

「砂橋です」


「俺は島津(しまづ)って言うんだ。この「Beauty Gate」のオーナー。あと、あそこでカットをしているのが、俺の相棒の西片(にしかた)。あいつとは専門学校の時からの付き合いなんだ」


「二人でこの美容院を起ち上げたんですか?」


「ああ。他の美容院で色々学ばせてもらった末に二人で美容院を作ろうって話になって、こうしてここに俺たちの城を築き上げたんだ」


 それで小松くんはここで働かせてもらいながら、勉強をしているというわけか。にしても、僕のことを呼び出したのは小松くんのくせに待たせるとは。


 スマホで時間を確認すると現在時刻は午後四時五分。もうすでに五分も遅刻している。


 ため息をつきたくなるのをこらえて、僕はカルピスを口に含み、クッキーの個包装を開けた。


 小松くんに最後に会ったのは確か高校の卒業式だった。卒業式が面倒で学校の屋上に忍び込んで湯浅先生と一緒に自作の花火を打ち上げようとしていた時に、屋上にやってきて「集合写真撮るって!」とおせっかいにも呼びに来た。


 花火の筒の発射口を向けて、追い払った記憶がある。


 それが小松くんを見た最後の記憶。


 あれからどんな風に成長しているのだろうかと思いながら待っていると、小松くんは僕がカルピスとクッキーを平らげたあたりでやっと戻ってきた。


「遅いよ、小松くん」

「砂橋くん! ありがとう、来てくれて!」


 小松くんは僕の手を掴むと上下へ激しく振った。


 身長は島津さんに比べるとずいぶん低いが、高校の頃よりは伸びているらしく、僕よりも十センチぐらい高くなっていた。いや、十センチは言い過ぎかもしれない。


「呼び出しておいて、人のことを待たせるってどういう神経してるの?」


「ごめんごめん。買い出しをしてたから。あ、何か食べる? 機嫌を損ねてるだろうなと思って色々買ってきたんだ」


 ビニール袋の中から小松くんがお菓子のパッケージをいくつも取り出してきた。


 そんなにたくさん買ってくるのなら、さっさと帰ってこいと思わなくもないが「全部あげるよ」と言われてしまえば、悪い気はしない。


「あとでゆっくりとお菓子はいただくとして、ヘアカットはすぐに始めるの?」

「どんな髪型にしたいとかある?」

「ないけど。変な髪型にはしないでよ」

「ストレートにするのは?」

「帰るよ」

「ごめんごめん! 嘘! ストレートにはしないから!」


 カラーもストレートもなし、単純に少し伸びてきたからいつも通りの長さまで前髪と後ろ髪を切ってもらいたい。そして、髪も軽くしてもらいたいということも話した。


 小松くんは「分かった」と頷いた。


「じゃあ、まずはシャンプーするから」


 そういって、奥に連れて行かれるとカット台の向こうにはベッド型の診察台みたいなシャワー台が三つほど並んでいた。昔、美容院か床屋に行った時には座ったまま前にかがんでシャンプーされていた記憶があるのだが、今は寝転がったまま髪を洗われるのか。


「砂橋くんが来てくれて本当によかったよ。話したいことがたくさんあるんだ」


 彼に促されるまま、シャンプー台に寝転がり、顔に薄い布をかけられた。


 髪を濡らされて、洗われる感覚に僕は小松くんの言葉を聞くこともなく、目を瞑った。

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