第295話 緋色の部屋25


「それじゃあ、噛み砕いて説明しようか」


 砂橋くんはテーブルの上に置いてあった自分のスマホに向かって、改めて話し始めた。


「いやぁ、分からなかったんだよね。低温火傷の痣が出るほど何度も足を焼かれているのに暑いと感じて起きたりすることもなかった木村結人が」


 砂橋くんはもうすでに全てを話し終えた佐川さんにも、通話の向こうの二人にも聞かせるようにして声を出した。


「火がついてすぐに起きないほど、彼は深い眠りに落ちていた。でも、普通だったら起きるでしょう?いくら、通話中によく寝る人でも、炎に眠気は勝てない」


 それはそうだ。


 肌が焼ける痛みや熱さ。炎に焼かれているのに眠り続けられるだろうか。いくら炎が好きな僕でも「熱い!」と起きてのたうちまわって、炎を消そうとするだろう。


 しかし、燃えた部分はテーブルの前から広がることはなく、その場でとどまっていた。


「そして、木村結人は佐川さんとの通話中に、ワインを飲んでいた。高瀬さんからのプレゼントであるワインをね。たぶん、睡眠薬でも入っていたんじゃないかな?」


 日記にも佐川さんの証言からも分かる通り、木村さんは何度も通話で高瀬さんからもらっていたプレゼントを自慢していた。ブレスレットやワイン。その他にもいろいろなものを。


「そして、こっちの佐川さんの家の冷蔵庫の中には、木村結人の家の冷蔵庫の中にあったワインボトルと全く同じものがあった。佐川さんは羨ましくって、分けてもらったんだって」


 先ほど、弾正くんに電話をかける前に砂橋くんは佐川さんに話を全て聞いた。


『分けてもらった?ワインをか?』


 木村結人さんと佐川英雄さんは、幼馴染であるが、佐川さんは木村さんのことを嫌な奴だと嫌っていた。木村さんの方もいちいち自慢をしていて、佐川さんが自分のことを嫌っていることは承知していただろう。


 日記を読んだ僕には、木村さんが散々自慢しているものを佐川さんに分け与えるような人間だとは思えない。


「うん。佐川さん、合鍵を隠れて作ってたみたいでね」


『……は?木村結人の?』


 弾正くんが驚きの声をあげる。無理もない。僕も佐川さんの口から合鍵の話が出た時は目を丸くした。


「通話で木村さんが自慢していたワインボトルと全く一緒のものを買って、空にした佐川さんは、木村さんが仕事でいない隙を見計らって、作った合鍵を使い、木村さんの家に侵入して、冷蔵庫の中のワインボトルから中身を半分くらいもらうと、高瀬さんが木村さんに渡したボトルを持ち帰り、自分が持ってきたボトルは木村さんの冷蔵庫の中に入れた」


 何故、そんなことをするのか、僕には理解できなかった。


 そこまで人間関係や自慢された物に固執してしまうことがあるのだろうか。


 いや、僕が思っている普通が他人に適応されるわけではない。僕が普通しないと思っていることでも他人は平気でやってのける。佐川さんはそのような人間だったということだ。


「木村さんは高瀬さんからプレゼントされたものを全てビデオ通話で佐川さんに自慢していた。そして、唯一、プレゼントされた飲食物がワインだ。そして、佐川さんに自慢するために絶対に木村さんはワインを飲む」


 ワインボトルが火に呑まれることがなく、冷蔵庫の中にあったのは、木村さんが自分が通話中に寝ることを自覚していたからだろう。恋人にもらったワインを一晩中、熱帯夜の部屋の中で放っておくことなどできない。


 だから、彼はグラスなどにワインを入れて、少しずつワインを堪能していたのだろう。


「高瀬さんがどこまで予測していたのかは知らないけど、佐川さんは喜んで話してくれたよ」


 砂橋くんは楽しそうに口の端を吊り上げた。


「通話中に結人が寝落ちたら、ストーブが引火したりしないか心配だよ、って」


 佐川さんはその証言をした後に自らの証言を決定づける証拠を差し出してきた。

 それはスマホの録音された音声。

 高瀬さんとの通話の音声だった。


「通話でそんなことを言ったらだめだよ、高瀬さん?佐川さんはあなたとの通話の録音をぜーんぶ残しているんだから」


 常軌を逸しているとはこのことを言うのか。

 僕はできれば、佐川くんの心は理解したくないと強く思った。


 俺は閉じられた冷蔵庫の方を見た。


 あの中にはワインボトルがある。その中身は果たしてなんの変哲もないワインか、それとも、睡眠薬などがいれられたワインなのか。


 後者だとしたら、間違いなく、高瀬はこの事件の共犯ということになるだろう。


「……その男の言葉を信じるんですか?」

『うん』


 しかし、前者なら、砂橋は恋人を幼馴染の手により失ってしまった女性を冤罪で追い詰めていることになる。


「英雄くん、どうして、そんなことを言うの!私は結人がストーブをつけっぱなしにしたりしていたのを心配だって言っていただけなのに!」


 高瀬の目尻には涙の粒が浮かんでいた。


「砂橋さんも、どうして……私が結人を殺すようにワインに睡眠薬をいれたなんてことを言うんですか!」


 佐川が妄言をでっちあげている可能性もある。

 幼馴染の家にこっそり合鍵を作って忍び込んでワインを盗むような奴だ。


 高瀬の涙が通話では見えてないからか、砂橋はあっけらかんと返答をしてきた。


『佐川さんに、罪を認めたら、もしかしたら高瀬さんと一緒の罪を背負うことになるかもしれないよって言ったら、喜んで自白してくれたよ?』


 背筋が寒くなるのが分かった。


 唐突に砂橋でも湯浅先生でもない男の声がスマホの向こうからする。


『帆奈美!俺は分かってるからな!』


 帆奈美と高瀬のことを親し気に呼ぶ男はきっと幼馴染の佐川だろう。その声に高瀬は涙を拭おうとする手を止めた。


『やっぱり、帆奈美は結人じゃなくて俺と一緒になりたかったんだよな!受験でお前を賭けるんじゃなくてもっと別のことでお前を賭ければよかっ』


「気持ち悪いのよ、アンタ達!」


 突如、俺の横から金切り声があがった。


 思わず高瀬を見ると、涙は流れておらず、これでもかというほど目を見開いて、俺の持っているスマホを凝視すると彼女は佐川に話す隙も与えずに怒鳴り始めた。


「本当にいつもいつもアンタ達、気持ち悪いのよ!幼馴染?好きになる運命?結婚が約束された仲?ふざけんじゃないわよ!いつまで経っても私の後ろをついてきて!他の人と恋愛しようとしたら、毎回邪魔してきて!男の人と話すだけで「俺のものに手を出すんじゃねぇよ!」って怒鳴りつけて!もう!ほんとに!うんざりなのよ!付き合うのも嫌だって言ってるのに「付き合う以外の選択肢はないんだ」とか意味不明なこと言って、毎日毎日付きまとってくるし!私には恋愛感情は一切ないどころか不愉快で、離れようとしてアンタ達じゃ受からないような大学に志願したのに、そこまでついてきて!会社にもついてきて!いつまで経っても私のことを自分たちの所有物みたいに扱って!本当に気持ち悪い!もうこれで終わると思ったのに、今度は一緒の罪を背負う?罪なら一人で背負いなさいよ!私を巻き込むんじゃないわよ!」



 俺は思わず、目を丸くしたまま、固まっていた。

 一息に叫んだ高瀬は肩で息をしていた。


『……へ?』


 通話の向こうでは佐川の情けない声が聞こえてきた。


「……弾正さん、もう通話切ってください」


 高瀬に睨みつけられて俺は通話を切った。そこまで佐川を嫌っていたのか。


 いや、佐川だけではない。今の彼女の話からすると。


「あなたは、木村結人のことを好きじゃなかったのか」

「どうして、あんな気持ち悪い生物を好きにならないといけないのよ」


 高瀬はそう言葉を吐き捨てた。


「付き合うって首を縦に振らないと、いつまで経っても私の後をついてきて、付き合うことを強要して、私の両親や自分の両親にも付き合い始めたとか言って、外堀も埋めて、私のいない隙に私の両親に結婚をさせてくださいって言いにいったり……両親もそれを信じちゃってるし……」


 話を聞けば聞くほど、亡くなった木村と火事の原因を作った佐川の異常さが分かる。


 そんな人間と、小学校から高校、木村とは大学から会社までずっと一緒にいたのだ。しかし、離れようと思えばいくらでも離れられたのではないだろうか。


「……こいつらと離れるためならお金もたくさん用意して、両親とも一生会わない覚悟をしないと離れられない。だから、これでもう離れられると思ったの」


 俺は、砂橋と小学校から今まで進路も全て一緒だとしたら、お互い気が狂って死んでしまうと思った。


 高瀬も離れるためなら、死を以て離れるしかないと思ったのだろうか。


「……私だって、普通に、他の人と恋愛したかった」


 高瀬のその呟きに俺はなんと返していいか分からなかった。

 黙っていると俺の手の中のスマホが震える。砂橋からメールが届いていた。


『こっちにあったワインボトルには睡眠薬が入ってたよ。そっちもすぐに調べられるから、高瀬さんが何もしないように見張っててね』


 やるせなさが突き刺さる。


「睡眠薬、出たんですね」


 俺の表情を見て、察した高瀬がため息を吐いた。


「本当に気持ち悪いことしかしない男……。わざわざ合鍵を作ってワインの中身まで盗むなんて、最悪」


 彼女は、気持ち悪いと称した男二人のせいで殺意を抱き、そして、その男たちの気持ち悪さのせいで、犯行が明るみに出てしまった。


「……でも、そうですね。罪になって、牢屋にでも入ったら、やっと離れられるんですね」


 彼女はおかしそうに「ふふっ」と笑うと、堰を切ったように大きな笑い声をあげた。

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