第296話 緋色の部屋【完】


「砂橋くんはどこから気づいていたんだい?」


 カモミールティーを二口ほど飲んだ僕は向かいの席に座る砂橋くんにそう聞いた。砂橋くんの隣に座る弾正くんは少し疲れたように視線をずっと下へと向けていた。


 通話を終わらせた後、高瀬さんとしばらく木村さんの家で二人きりになった彼が、高瀬さんから何を聞いたのか僕らは聞いていない。きっと高瀬さんは弾正くんに何かを話したんだろう。


「気づいたというか、気になってたんだけど、好きな人が死んだっていうのに、あんな淡々と依頼しに来たりするのかなとは最初から思ってたよ」


 砂橋くんは薄く切られた苺がいくつも挟まっている綺麗な断面のミルフィーユにフォークをつきたてた。


「質問もなにもなく、流れ作業のような依頼と確認。彼女は事件の可能性があるとは最初から言っていなかった。でも、しつこく火事のことを調べろと言ってきた」


 確かに、最初の一日で事故だろうという判断はできた。しかし、高瀬さんは調査を続行してくれと言った。


 その理由は何故か。


 彼女が「気持ち悪い」と断言した佐川さんの存在が残っているからだ。


 木村さんの恋人である彼女なら、火事が起こる前に木村さんが佐川さんと通話をするのも聞いていたかもしれない。


「木村結人と佐川英雄は、高瀬帆奈美に対する執着がひどかった。だから、高瀬さんは木村結人だけではなく、佐川英雄も離すために彼に罪を犯させようとした」


 砂橋くんの考えが合っているかどうかは、本人に聞かないと分からないだろう。


 人が人を殺したいと思う理由を、本人以外の人間が理解することはできない。少なくとも人を殺したいと本気で思ったことのない僕には一切理解できない。今も昔も。


 無表情で「殺したい人がいるんだ」と言った生徒の気持ちを僕はいまだに理解できない。


「たぶん、警察に事故だって判断されたから、探偵にでも調べてもらって佐川さんの犯行を暴いてもらおうとしたんだろうね。結果、自分のやったことも明るみに出ちゃった」


「……はぁ」


 弾正くんが大きなため息をついたかと思うと、目の前のアイスコーヒーを一思いに飲み干した。


「砂橋、もう俺を依頼人と二人きりにしないでくれ」


 やっぱり、弾正くんは大変な目にあったらしい。


「ごめんって。でも、高瀬さんに危害は加えられなかったでしょ?よかったじゃん。女性と二人きりになれて」


 弾正くんは何か言いたそうに砂橋くんを睨みつけたが、また大きなため息をついた。


「とりあえず、砂橋くんが元気そうに生活しているのが見れてよかったよ」


 僕は自分の分と砂橋くんと弾正くんの分の御茶代をテーブルの上に置いた。久しぶりに教え子に会ったのだ。これぐらいはしてもいいだろう。何より、昨日は僕の方がひつまぶしを奢ってもらったのだし。


「ありがとう、先生。来てくれて。僕も久しぶりに会えて、楽しかったよ」

「弾正くんもお疲れ様」

「いや……はぁ……、湯浅先生もお疲れ様です」


 僕は二人と軽く挨拶を交わすと探偵事務所セレストの下にある喫茶店を出た。ガラスの向こうでお互いに言葉を交わしているらしい砂橋くんと弾正くんの姿が見える。


『先生。僕、人を殺したいんです』


 昔、床に座って、推理小説を何冊も積み上げていた生徒は僕が渡したビーカー入りのコーヒーを飲みながら、そう言った。


 いったい誰を殺したいんだいと聞くとその生徒は少しだけ考えてから、口を開いた。


『松永景虎。まずはそいつから殺したいんです』


 僕は喫茶店に背を向けた。


 教え子ものびのびとやっているようだし、また何か新しい面白い道具でも開発しようと僕はわくわくしながら、家路につくことにした。

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