第285話 緋色の部屋15


 ごちそうさまでした、と両手を合わせる湯浅先生を後目に砂橋が笹川に青色のカバーに覆われた木村結人のスマホを手渡していた。


「やることは分かってるよね?」

「はい。大丈夫です」


 俺と湯浅先生はテーブルの上のひつまぶしが入っていた容器を片付けていた。


「弾正くんは、下の名前は?」

「影虎です」

「弾正はペンネーム?」

「はい、そうです」


 弾正なんて苗字の人間は多くないだろう。珍しい苗字だ。俺の本当の苗字は珍しくもないものだが。


「……もしかして、苗字は松永くん?」

「え」


 俺は思わず、目を丸くして、湯浅先生を見た。丸眼鏡の奥の目が細められる。


「ああ、やっぱり。そうだと思った」

「どうして、俺の苗字……」

「なんとなくだよ」


 湯浅先生はそれだけ言うと、空になった四人分の湯飲みを持って、給湯室へと行ってしまった。


 いったいどういうことだ。なんとなくで数多の苗字から俺の苗字を当ててくるとは。


「あ」


 給湯室から湯浅先生の声が聞こえた。


「砂橋くん、砂橋くん。高瀬さんから連絡が来たよ」


 給湯室から顔を覗かせた湯浅先生に砂橋はくすくすと笑った。


 距離は離れていなかった。砂橋は俺と湯浅先生のやり取りを見ていたはずだ。何も言わないということは湯浅先生が俺の苗字を当てても不思議でないと思っていたか、俺の苗字を湯浅先生が当てられるほどのヒントを砂橋が渡していたか。


「それじゃあ、これから三人で一緒に通話相手かもしれない人達に会いに行く?」


「今のところ、話を聞いても大丈夫だと言っているのは会社の山内さんと緒川さんみたいだよ。英雄さんはまだ連絡が取れないみたいです」


 それなら二人に連絡をとってみようかと話している砂橋と湯浅先生を少し遠くに感じる。


「それじゃあ、話題にもあがったことだし、今回はビデオ通話で山内さんと緒川さんに話を聞こうか」

「ビデオ通話で?」


 砂橋が笹川の方を見ると、笹川は砂橋の言いたいことが分かったらしく、急いで席から立ち上がり、他のデスクに置いてあるノートパソコンを来客用ソファーの前のテーブルへと移動させた。


「確か、このあたりにカメラが……」


 砂橋のものでも笹川のものでもないデスクの引き出しを開けて、笹川がプラスチックの箱を出してきたからと思うと、ノートパソコンを開いて、パソコンのモニターの上に小さなレンズがついた機械を取り付けた。


「彼は機械に強いんだね」

「まぁ、雑事は全部笹川くんに任せてるからね。今は修行中の身だよ」


 湯浅先生の言葉に砂橋が答えた。


 笹川に会ったのは俺と砂橋がこの探偵事務所に来るようになって数か月した頃のことだったが、いまだに彼は修行中の身だったのか。いつのなったら、一人前の探偵だと認めてもらえるんだろうか。


 そもそも、砂橋の時はそんな修行期間があったか?


 俺が砂橋の方へと訝し気な視線を向けると砂橋はにこりと微笑んだ。


「砂橋さん、これで通話は大丈夫だと思います。どのアプリを使うとか指定はありますか?」

「湯浅先生、高瀬さんとのやり取りを見せてもらえる?」

「ああ、いいよ」


 湯浅先生は自分の赤いカバーのスマホを渡した。カバーにも炎のマークが描かれている。そんなに炎が好きなのなら、砂橋にああ言ってからかわれるのもしょうがないだろう。

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