第284話 緋色の部屋14


「ていうか、先生?さっきからずっと木村結人の写真を眺めてるみたいだけど、顔でも気に入ったの?」


 確かに、背格好が知りたいという意見はもっともかもしれないと思ったが、それにしても、先ほどからずっとスマホの写真を見ているような気がする。


「そんなに見てたかい?でも、顔は全然気にしていなかったな~。僕が見てたのは、足だよ」


 そう言いながら、彼はテーブルの上に自分のスマホを置いて、写真をこちらに見せてきた。


 ひつまぶしを食べるまでは木村結人の写真を見ないでおこうと決めていた俺の考えが簡単に捻じ曲げられた。


 写真の中央で木村結人がカメラに向かってピースをしていた。満面の笑顔で、上半身裸の彼の向こうには川が映っている。男性用の黒い水着の下から伸びている木村結人の足を湯浅先生は指さした。


「彼の足首、脛あたりを見てごらん」


 そう言いながら湯浅先生が写真を拡大する。足には痣のようなものが見られた。何かにぶつかってできた痣かと問われたら、そうではないと答えることができる、網目状に広がった赤い痣が木村結人の右足にあった。


「この網目状の痣は、電気ストーブによる低温火傷なんだよ」

「低温火傷?こんな痣になるの?」

「まだ大丈夫な方だけどね。これは、電気ストーブの傍に座っていたかな?」


 右足の外側に網目状の痣がある。


 木村結人の家でも、ノートパソコンが乗っていた黒焦げのテーブルから見たら、電気ストーブは右側にあった。


「この写真は最近のものかな」


「火事の一週間前に会社の同期と一緒に河原でバーベキューをしていた時の写真だと言って送ってもらいました」


 俺や砂橋よりもしっかりと高瀬から情報をもらっている。


「じゃあ、その低温火傷ができるほど、木村結人は日常的に近い位置にあるストーブをつけていたってこと?」

「そうなるね」


 湯浅先生はそこまで言うとスマホを自分のポケットへと戻した。


 日常的に木村結人がストーブを自分の近い場所に置いていて、最近も電源をいれていたとなると、彼が死んだ火事が事故だという裏付けがどんどん固まっていくような気がした。


 別に、本当は木村結人は死んでいなかったとか、これは殺人事件で木村結人を殺した犯人がいるなどという突拍子もない小説の中のようなことが起こってほしいとは思わないが、それでも「これは単純に事故でした」と高瀬に報告するのはいかがなものか。


「そういえば、僕、弾正くんのこと全然知らないな」


 ひつまぶしを食べていると、俺の向かいに座っている湯浅先生がいきなりそう言い始めた。


「歳はいくつだい?」

「砂橋と同じです」


 隣でひつまぶしを口に運んでいる砂橋を見るが、こちらに興味もないのか、目も合わない。どうやら、俺が湯浅先生に話を聞くのはダメらしいが、先生が俺のことについて尋ねるのは大丈夫らしい。


 まぁ、ダメだと砂橋が思ったら、すかさず止めに入ってくるだろう。


「砂橋とは大学の頃に会ってから、腐れ縁がずっと続いてます」

「そうだったんだね。砂橋くんが大学でいい出会いをしたようで僕は安心したよ」


 いい出会いとは、砂橋も俺も言い難いが、否定するのはやめておいた。砂橋が過去について聞くなと言ってきたせいで、俺には湯浅先生が砂橋のことをどこまで知っているのかも分からない。


 しかし、聞くなと言われたら聞きたくなるのも人間の性というもので。


「湯浅先生は化学の教師をしていたんですよね」

「昔はね。今は何もしてないけど」

「やっぱり、無職……」

「否定はしないよ」


 やっぱり、無職だったのか。隣で砂橋が肩を震わせている。


「いくつか発明したもので特許はとっていて、それで生活はしてるんだけどね」

「……」


 それだけで生活をしても支障がないということは、すごいことだが、そのようなことを湯浅先生がしているとは考えにくい。いや、人を見た目で判断するのはいけないことだ。


 俺も度々小説家だと自己紹介しても半信半疑で信じてもらえないことがある。砂橋は俺と一緒にいると、俺が探偵だと間違えられることもある。


 人は見た目で判断できない。


 そもそも、目の前にいる湯浅先生は、本当に火に興奮するような危ない人なのか。


 砂橋はこの質問を止めたりしないだろうか。止められるとしても、どうしても聞いておきたい。


「湯浅先生は、火に興奮するというのは本当ですか」


 湯浅先生は口をあんぐりと開けて、砂橋が俺の隣で爆笑した。


「ふっ、あははっ、弾正、あのね、あれは僕と先生のジョークみたいなもので……、ふふっ」

「そ、そうか……砂橋くんと通話した時、君は砂橋くんの傍にいたんだね」


 砂橋は笑いながらも説明をして、湯浅先生は胸ポケットから取り出したハンカチで額を拭いた。


「先生は確かに火は好きだけど、それで性的興奮を得る人じゃないよ、ははっ」


「砂橋くん、君、わざと通話で私にいつもの冗談を言ったんだろう?それで人をからかうのはやめた方がいいんじゃないかな?」


 湯浅先生は赤くなった顔全体をハンカチで撫でるようにして拭くと、肩を落とした。


 俺も笹川も砂橋の冗談を真に受けてしまったというわけだ。

 しかし、湯浅先生が火が好きというのは本当のことらしい。


「僕が火を好きだと公言しているのは本当だよ。ゆらゆらとろうそくの先で揺れる炎を見ていると何時間でもぼーっとできるし……でもねぇ、さすがに興奮はしないよ」


「……すみません」


 砂橋が言っていたこととはいえ、それをまるっきり信じて、初対面の相手を火に興奮する変態として扱ってしまっていた。俺は思わず謝罪をすると湯浅先生は両手をあげて、ぶんぶんと横に振った。


「いやいや、悪いのは砂橋くんだよ」


 砂橋はと言うと、ソファーの上で腹を抑え、身体をくの字にして、時折笑い声を漏らしていた。どうやら、本当に砂橋の思惑に引っかかってしまったみたいだ。


「まさか、自分の知らないところで変態に仕立て上げられてるなんてね……」


「ごめんって、先生。ほら、その方が第一印象で無害だと思ってもらえるんじゃない?」


「変態と思われるよりは、なんだこの頭が爆発した人って思われる方がましだよ」


 湯浅先生の意見はもっともだ。


 火に興奮する変態だという思い込みがなければ、湯浅先生に対する俺の第一印象は「なんだ、この頭は」で終わっただろう。


 俺はこれ以上質問すると墓穴をもっと深く掘ってしまうだろうと思い、自分の前に置かれたひつまぶしの残りを喉へとかき込んだ。

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