第279話 緋色の部屋9


 どうぞ、と高瀬に促されて家の中へと入った砂橋に続いて、湯浅先生、そして俺が家の中へと入った。玄関には男性のものであろうスニーカーと革靴が無造作に置かれていた。


 もうすでにいない人物の持ち物だと思うと狭い玄関で自分の靴がそれに触れてしまうのも少し躊躇われた。


「さすがに匂いはそこまで残ってないか……」


 大きく俺の前で深呼吸をした湯浅先生の言葉に俺はぎょっとした。


 もしかしたら、この人も砂橋と同じで依頼人の心境をろくに考えもせずに自分の欲望に忠実に思ったことを口走ってしまう性格なのか。まずい。それは非常にまずい。


 今回の依頼は、亡くなった依頼人の恋人の死についての調査だ。心に大きな傷を負った依頼人の前で、変なことを口走られても困る。


 そういえば、先ほどの自販機の前での会話ですっかり忘れていたが、湯浅先生は火に興奮する異常者なのだ。


 警戒を怠ってはいけないと、調査への同行を砂橋に許してもらえなかった笹川にも何度も注意された。


 早速その警戒を忘れていた。


「合鍵は元々木村結人さんにもらっていたんですよね?」

「え、あ、はい。もう少ししたら一緒に暮らそうって話も出ていましたし……」


 それにしても、よく恋人が調査をしたいと言い出して、それを木村結人の両親は了承したな。


 もしかしたら、木村結人の両親の息子の死について、まだ納得できていない部分があるのかもしれない。だから、高瀬が調査をしたいと言った時にそれを了承したのだ。


「……」


 話が続かない。

 恋人を失った彼女にどう声をかけていいのかも分からない。

 しかも、こんな玄関先で。


「恋人さんとの出会いとかはどんな感じだったんですか?」

「出会い、ですか?」


 砂橋がひょっこりとリビングの扉から顔を出して、助け船を出してきた。俺はその船に乗ることにして、何度か頷いた。すると、高瀬は言葉を考えながら、俯いた。下唇を親指と人差し指で軽く挟む。


「そうですね。出会いは、ずっと前です。結人と私は幼馴染だったんです。子供の頃に家が近くて、よく三人で遊んでいたんです」

「三人?」


 高瀬は自分の言葉に「ああ」と反応して、こくりと頷いた。


「私と結人と、あと一人、幼馴染がいるんです。三人とも小中高と学校が一緒で、大学は私と結人だけが一緒だったんです」


「本当に長い付き合いなんですね」


 俺はもう小学校の頃に仲がよかった人間など思い出せないが。


 小学校の頃からの付き合いということは、お互いの半生を知っている仲だったのだろう。そんな人間が死んだのだ。辛くないわけがない。


「告白されたのは高校の卒業式の時です」


 聞こうか否か迷っていたことを彼女が先に口にした。


 聞きたいと顔に出ていただろうかと、俺は思わず自分の顔に手を伸ばしかけて、やめた。


「私が決めた大学に幼馴染二人も行くと言い出して、二人ともそこまで頭が良くないのに頑張って……そしたら、結人が受かったんです。だから、付き合ってくれと言われました」


 結人だけではなく、もう一人の幼馴染も一緒の大学に行こうとしていたのか。そして、受かったのは結人だけだったと。


 もしかしたら、その二人は受かった方が高瀬に告白できるという賭けでもしていたのだろうか。わざわざ幼馴染と一緒の大学に行こうとする理由はこの場合、色恋の可能性が高い。


「馬鹿みたいですよね。わざわざ一緒の大学に来なくっても、普通に告白すればいいのに」


「……そうですね」


 告白をしたことがない俺には想像することしかできないが、告白される側にも相応の気持ちがあるのだろう。


「それじゃあ、高校の卒業式から結人さんとは付き合ってたんですね」

「はい。社会人になってもずっと。結人以外の彼氏は作らなかったですね」


 これで二股していたなどと言われたら、なんと返答していいか分からなくなるため、ほっとした。


 そういえば、湯浅先生と砂橋はなんの調査をしているのだろう。


 火事の調査と聞いても俺には二人が何をするか皆目見当もつかない。


「立ち話もなんですから、お茶でも淹れましょうか?」

「それなら手伝います」


 俺も特にすることがないのに、彼女だけに手伝わせるのも気が引ける。

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