第257話 姿のない文通相手9
「人が誰もいないね」
紫色に染められたラベンダーソフトを首を傾げながら食べ終わった砂橋は、謎解きの正解を報告しに指定された場所に行くことはなく、羊の柵にもたれかかって、つまらなさそうに歩いている羊の群れを眺めた。
人はまばらで羊の柵の中に入り、餌をあげている人物はいない。振り返れば、無人の餌販売所があり、箱の中に百円をいれれば、勝手に餌を取って行っていいという仕組みになっているらしい。
羊の柵の前には看板が立てかけられており、そこには羊は餌を求めて、群れてきたり、頭突きをしてきたり、飛び掛かってくることもあるということが書かれていた。羊はそんなにも気性が荒いものだろうかと首を傾げた。
「餌代、払おうか」
「あ、大丈夫です。弾正、払ってよ」
砂橋は清水の申し出を断って、俺の方を見てきた。
結局人に払わせるんじゃないのか。
俺は財布を開いたが、百円玉はなく、かといって五十円玉や十円玉が百円に足りる程あるわけではなかった。
代わりに小銭類の中にあるのは五百円玉だけだった。
「……」
俺はどうにでもなれと五百円玉を箱の中に入れた。
「弾正?」
そして、羊の餌であるせんべいのようなものが入っているプラスチックのコップを手に取り、砂橋に無言で押し付けることを五回ほど繰り返した。
「五百円入れたの?」
「餌をやりたかったんだろ?」
「やりたいって言ったけど」
面倒事に巻き込まれたので、このぐらいの意趣返しは問題ないだろう。
「言っておくが、俺は餌をやらないぞ。清水の話を聞かないといけないからな」
「はぁ~?」
砂橋は納得がいかないような顔をしていたが、俺に小言を言うこともなく、かといって清水に餌を押し付けることもなかった。五つのプラスチックのコップを左腕を使って抱えて、右手で二重の柵を開けて、羊たちがいる柵の中へと向かっていった。
「さっきの手紙のことだが、大野百合子とはどういう関係なんだ?」
「文通相手です。最初はネットで知り合ったんですけど」
羊たちの柵に両手を乗せて、ぼんやりと群れから離れた羊を見ていた清水の隣に立って、柵に肘を乗せて、砂橋を眺めながら話を聞くことにした。
「僕も百合子さんも手紙が好きなんです。でも友達はそこまで手紙のやり取りが好きな人はいないし、誰と手紙のやり取りをしようか悩んでたんですよね。そんな時にネットで試しに文通相手を探していた僕に百合子さんが連絡をしてくれたんですよ」
ネットでの出会いということは、清水は実際の大野百合子のことは知らないんだろうか。
もしそうなら、百合子が実際に会いたいと言っているのに場所と日時を明記しなかった理由も分かるような気がする。本当に百合子は清水に会いたいと思っているのだろうか。
おもむろに清水が鞄の中から一眼レフカメラを取り出して、群れから離れた羊へと向けた。
「僕の趣味がカメラなんです。それこそ、コンテストとかにも出したりして……プロのカメラマンになるのが夢だったんです。でもまぁ、挫折とかももちろんあって……どうして自分が写真を撮りたいのか分からなくなる時とか」
コンテストや賞は、正解がない。
俺は写真のコンテストのことは存じないが、小説の賞など、審査員の好みの問題や賞の傾向、その時に流行っているものなど、色々なものに左右される。
正解はないが、ある一定の実力を求められ、その実力の面はクリアしても、後は運に任せるしかない世界だ。
もちろん、コンテストや賞で輝く作品がある中、日の目を浴びない作品がいくつもあり、その分、挫折や絶望などがあるのだろう。
そのような気持ちを俺も知らないわけではない。
「そんな時に百合子さんはずっと僕の写真を好きだと言ってくれたんです。僕の写真に勇気づけられた、僕の写真を見て嬉しくなるってずっと言ってくれたんです」
「だから、謎解きなんて変なものを送られても会いに来ようと思ったのか」
かしゃりと清水の人差し指の動きに合わせて、一眼レフカメラから音が鳴る。
「ネットで知り合って、僕は百合子さんの見た目さえ一切知りません。知り合った場所でもあるSNSは数年前に閉鎖されたので、僕と彼女の繋がりはもう手紙しかないんです」
ネットで知り合った相手であるのならば、最悪ネットを通して連絡したらいいのではないかと思ったが、どうやらそれは無理らしい。
清水が百合子に会うためには、謎を解かなければいけない。
俺が清水の方へと目を向けていた時、視界の端で砂橋が五匹の羊に囲まれ、腹にずつきを食らい、後ろから乗りかかられていた気がして、思わず、そちらの方を見てしまっていた。
「清水、あれの様子も撮ってくれないか?」
「いいですよ。あとで写真のデータを送りますね」
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