第38話 アイドル危機一髪11


「午後五時にその会社の社長室に行けばいいんですね。服装はどっちがいいです?女性か男性」

「同性の方が話聞きやすいでしょ。女性で」

「分かりました」


 俺は自分の腕時計を見た。現在は午後一時。メイク係ってどんな服装や髪型だろうな、と考えつつ、自分の財布を開いて中身を確認する。


「それじゃあ、ちょっと準備行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい」

「ああ、砂橋さん」


 とりあえず、調べた内容を口頭で伝えておこうと振り返ると砂橋さんは首を傾げて俺の言葉を待った。


「桃実のSNSから彼女の自宅を特定できるような痕跡はありませんでした。写真をあげるのも一日遅れにしているようなので、彼女のSNS管理はわりとしっかりしているみたいです」


 自宅の中を映すような写真はあまりなく、映っているとしても手元ぐらいで間取りが分かるような写真は一枚もなかった。日常に関する写真はほとんどあげられておらず、ライブ終わりにメンバーと撮った写真やロケなどで撮った写真があげられるのみだ。しかも、その写真も写真を撮った次の日など時間を置いてあげられるので、現在位置を特定させるようなこともない。

 SNSの桃実のアカウントを見ていて「思いのほか、きちんとしている」という印象を受けた。


「へぇ。じゃあ、SNSからのストーカーの線はない?」

「相手がハッカーとかじゃない限り、ですけど。ああ、あと桃実が裏のアカウントとか持っていなければの話です」


 特定の人間しか見れないように鍵をかけているアカウントのことを裏のアカウント、鍵アカウントと言う。彼女がその存在を俺たちに教えてない場合もありうる。

 疑い始めたらきりがないので、桃実のことを信じるとしよう。


「じゃあ、周囲の人間。あとは距離の近いファンとかに絞ろう。僕はこれから監視カメラの設置に行ってくるからね」

「はい、分かりました」


 ふと、砂橋さんのデスクの上にフルーツフィールドのライブで売られていたらしいパンフレットが置かれていた。そういえば、公式ホームページでライブの情報が出ていた。確か昨日だった気がする。砂橋さんは行ったのだろうか。誘ってくれればよかったのに。

 行ってきます、と再度声をかけて事務所から出た足でオフィスビルの外の階段を上り、三階へと入る。


 一階には喫茶店、二階には探偵事務所、三階にはコスプレショップがある。

 コスプレショップ「Cat TaiL」。


 店内には色の系統ごとに十種類以上あるウィッグが長さごとに管理されていて、ウィッグの手入れ専用の道具や、衣装づくりのための道具など、多くの道具が完備されている。服は普通の店で買えるとしてもここまでウィッグが店頭に並んで見て確認できる店は少ない。


「笹川さん、いらっしゃい。今日も来てくれたんですね」


 レジで作業をしていた女性が顔をあげてこちらを確認すると笑顔を向けてきた。彼女の名前は常盤さん。この店のオーナーでもあり、いつもレジあたりにいる。俺ももうここの常連で、ポイントカードは五枚に突入している。


「はい。今日は……ミディアムの黒髪を買おうと思って。あとメイク道具も」


 服は家にあるものでなんとかなるだろう。


「そういえば、笹川さんの言っていた憧れの人とは最近どうなんですか?」


 そして、常盤さんは俺が一人で生活をするようになってから、唯一何も考えず世間話ができる相手だ。


「大変でしたよ。この前もいきなり依頼だって言って山奥に行ったと思ったら「ちょっと死体のふりするから連絡しないでね」とかメール来て……焦って電話かけまくったら着拒されました」


 俺の言葉に常盤さんは思わずと言ったように噴き出して、そのまま大きな笑い声をあげた。常盤さんは黒髪を緩く結んで右肩から垂らしている女性だ。おしとやかという言葉が似合うが、見た目に反して笑いの沸点は低いし、大きな声をあげて笑う。


 他に客も来ていないため、レジから出てきた常盤さんが黒い色合いのウィッグの前に立つ俺の隣に並んだ。


「冷たくされても離れないんなんて、本当に好きなのね」

「好き、というか……憧れというか」


 砂橋さんに対して恋愛感情などは抱いていない。ただただ傍で支えられればと思っているだけだ。


「まるで好きなアイドルを隣で応援してるみたいね」

「ああ、確かに。そんな感じです」


 常盤さんの例えがとてもしっくりと来た。ちょうどいい長さの髪を選んで「これを買います」と言うと彼女はそれと同じ長さと色の新品のウィッグを取り出してきて、レジへと向かった。


「他に買うものはないですか?」

「大丈夫です」


 俺は商品を受け取るとさっさと店を出た。ここから歩いて十分のマンションの三階に俺の借りている部屋がある。一つの部屋が完全に衣装部屋と化している2LDKの自宅。


「さて……今日の服はどうしようか」


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