第37話 アイドル危機一髪10


 社長から桃実が探偵事務所を教えてもらったのだろうとは思っていたが、羽田グループまで絡んでくるとは思わなかった。

 しかし、それはあまり気にすることはない。


「でも、会社に所属してる一人のアイドルに教えるような探偵事務所でもないですよね? 他にも普通の探偵事務所はいくらでもあったのに、何故紹介を?」


 そもそも何故桃実が社長にストーカーの相談をしたのか。マネージャーには相談するだろうが、いきなり社長に相談するとは思えない。


「……他に口外しないと約束してもらえるかい?」


 僕は肩を竦めた。


「僕が口外しなくとも、桃実さんは社長相手に枕営業してるかもって噂が出回っているみたいですよ」


 僕の言葉に社長は目を丸くした。アイドルや社員などの間でされる下世話な噂は社長のところには来なかったのだろう。ましてや彼は当事者だ。噂話はしても聞かれてはまずいと思って注意を払われていたのだろう。

 古畑社長は大きくため息をついた。


「噂の出どころは……?」

「それは僕にも分かりません。苺果さんから話を聞きましたが、噂は八月の初めぐらいから聞き始めたと言ってました。それはそうと記者だと名乗っている相手にこんなネタを話すなんて教育が足りないと思いますよ」

「痛いところをつきますね」


 彼は額に浮かぶ汗をポケットから取り出したハンカチで拭いた。


「苺果はあの五人の中でも一番まじめな子なんですが……」

「たぶん、そのまじめさが悪い方向に働いてると思いますよ。悪いことは見逃せないんでしょう。たとえ、それが証拠のない噂話だとしても」


 ああいうのが一番厄介だし、お友達になりたくない部類だ。他にもお友達になりたくない性格の人間は世界にたくさんいるが。好きな性格の人間を見つける方が難易度が高い。社長も一人一人の考えていることなど制御できないから大変だろう。ましてや、相手は二十歳前後の若い女性たちだ。


「私が彼女に君を紹介したのは……彼女が私の娘だからだ」


 僕は依頼書にサインをもらった時の桃実の本名を思い出す。


「桃実の苗字は古畑ではなかったですよね?」

「私は彼女のお母さんと再婚したんだ。十年前に」


 十年前ということは桃実が十歳の時に再婚したというわけか。


「苗字は変えなかったんだ。お互い、再婚したとはいえ、前の伴侶を忘れられなかったから。私たちは同じ事故で伴侶を失ったんだ。それで桃実のお母さんと知り合い、結婚するに至った」

「桃実さんが自分の娘だと周りに言ってないんですね」


 左の薬指にはめられた指輪を物悲しそうに見つめながら撫でる古畑社長に言うと彼は肯定するように首を縦に振った。


「桃実が嫌がったからね。自分の力で上に行きたいから社長の娘って理由で贔屓されないように言わないで、とまで言われてしまったからな」


 会社の信用できる人にだけでも話せばよかったのに。それなら、こんな変な噂が出回ることもなかっただろう。

 まぁ、いい。今はそんなことよりも依頼の方を優先しよう。


「本題に入ります。ストーカーの調査に協力してほしいんです」

「できることなら協力しよう」

「うちの調査員をメイク係として少しの間雇ってほしいんです」

「分かった。後で面談したいから連れてきてもらえるか?」

「はい。今日の午後五時くらいでいいでしょうか?」

「大丈夫だ」


 話が早くて助かる。紹介制にしているのはこういうことがスムーズに運ぶからというのもある。


「早い方がいいので明日から潜入させていただければ。あ、メイクの技術に関しては問題ないのでご安心ください」

「ああ、分かった」

「それと、この潜入の件は他の誰にもばれないようにお願いします。どこで悪意のある人間が聞いているか分からないので」


 桃実との親子関係のことをひた隠しにしている彼のことだ。この程度の秘密を一人で抱え込むなど造作もないことだろう。彼はゆっくりと頷いた。

 もしかしたら、自分の会社の中に今回探しているストーカーの犯人がいるのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る