第39話 アイドル危機一髪12
最寄り駅から徒歩十五分。住宅街の中にある鉄筋コンクリートの二階建てのアパート。
「ここの二階が今回の依頼人の部屋。階段をあがって二番目の部屋ね」
「アイドルというわりには普通の住まいだな」
「有名アイドルじゃないんだから当然でしょ」
砂橋に言われて、それもそうだと相槌を打った。まずは大家に監視カメラをつけていいかと尋ねるらしい。依頼人の桃実から聞いた話らしいが、このアパートの大家は一階の端の部屋に住んでいて、在宅ワークをしているため平日もずっと家にいるらしい。
砂橋がインターホンを押すとしばらくして「はい」と女性の声がした。
「桃実さんに頼まれました探偵事務所セレストの砂橋と申します。監視カメラ設置の件で話をさせてほしくて」
『ああ、今行きます』
しばらくして、扉が開いた。中から顔を出したのは三十代の女性だった。
「一応、名刺見せてもらえる?」
「はい。こちらです」
砂橋が名刺を渡すと、大家の女性はそれをまじまじと見た後、その名刺を砂橋へと返した。
「桃実ちゃんから聞いてるわ。具体的にどこにつけるか教えてくれる?」
大家である以上、監視カメラがアパートのどこにつけられるかは気になるのだろう。砂橋と大家と俺は二階への階段を上った。
「とりあえず、二階の通路の全体を映したいんですけど、他の住人の方が嫌であれば、桃実さんの部屋だけ映しますが」
「じゃあ、桃実ちゃんの部屋の前だけにして」
「分かりました。ベランダも桃実さんのところだけにしますね」
「お願いね」
大家との話し合いはそれで終わった。後は取り付け作業だけだ。
背の高い俺が砂橋から監視カメラを受け取り、扉の上に監視カメラを取り付けた。
「これって、電池式なのか?」
コードのないそれを取り付けながら砂橋に尋ねると「うん、そうだよ」と返された。
「今回は、ストーカーさえ分かれば、監視カメラなんて必要なくなるからね。電池を買い替えなくてもたぶん大丈夫だよ」
「しかし、こんなことをして犯人は警戒するんじゃないか?」
「するだろうねぇ」
砂橋はくすくすと笑った。玄関の取り付けが終わると大家が桃実の部屋の扉を開けて、俺たちはベランダへと移動した。大家は何も言わないが、悪さをしないように俺たちを遠目から眺めていた。
ベランダに出ると、アパートの敷地となっているコンクリートの地面が見下ろせた。花壇には花が規則正しく咲いている。ベランダによじ登るのであれば、壁についているパイプぐらいしか使えそうなものはない。
「カメラに警戒されたらどうしようもないだろ」
「そのための四日間じゃん」
俺は手を止めて砂橋を見下ろした。とても楽しそうな満面の笑みと目がかち合い、思わず顔をしかめる。
悪意のない笑顔であるが、その胸のうちは悪意しか溢れていないのだろう。まさか、俺の四日間は張り込みに使われるとは。せいぜい監視カメラをつけて、砂橋の話し相手になるだけとは思ったが。
少しして、俺はため息をつきながら砂橋から目を離した。とりあえず、ベランダの監視カメラを付け終わって、このアパートから離れてから文句を言おう。
「そういえば、大家さん。最近、ここの辺りで不審者の噂とか聞きませんでしたか?」
コードがないため、室内のネット回線に繋げる作業を始めた砂橋の横で大家は顎に手を当てた。思い出すように考え込んでいたが、やがて首を横に振った。
「そういう話は聞かないわね。そもそも、住宅街と言っても、このアパート内では最初の挨拶以外はあんまり他の住人同士の挨拶もないみたいだし。周りのアパートやマンションも同じ感じだから、知らない人が歩いていても分からないわ」
田舎の一軒家の集まっている場所よりも、他の家族との交流がないという感じらしい。家族同士が同じ学校に通う子供連れという感じに他の場所でなんらかの繋がりがないと、ご近所付き合いもないのだろう。
「そうですか。ありがとうございます。あ、でも大家さんは最低限、このアパートの人達のことは知っていますよね? どんな方が住んでいるんですか?」
「一階の五部屋のうち三部屋は大学生。近くの大学に通ってるけれど、三人とも学年も違うし、知り合いではないみたいよ。一部屋はOLね。近くの会社に勤めてるわ。二階は桃実ちゃん、会社勤めの若い男が一部屋。シングルマザーが一部屋。よく朝帰りをする女の子が一人。あと一つは空き部屋よ」
聞かれるとは思っていたらしく、個人名は出さずに淡々と大家は語った。一階の五部屋のうち、三つは大学生、一つはOL、残り一つは大家の部屋。
二階の五部屋は、桃実、会社勤めの若い男、シングルマザー、朝帰りの女性、空き部屋。
あまり引っかかるような人間はいなさそうだが、と俺はちらりと砂橋の顔色を盗み見た。
「そうですか。教えてくれてありがとうございます」
だめだ。何を考えているか分からない。まぁ、何か気づいたら教えてくれるだろう。もしかしたら教えてくれないかもしれないが。
「つけ終わったぞ」
「うん。ありがとう。それじゃあ、これで僕たちは失礼させていただきますね」
「ええ。お疲れ様」
俺たちが桃実の部屋から出たのを確認すると大家は桃実の部屋の扉に鍵をかけた。一階に降りて、会釈をすると彼女はそのまま自分の部屋へと入り、鍵をすぐに閉めた。
「無縁を繋げられるカメラということはリアルタイムで映像が見られるのか?」
「まぁ、僕はずっと見てるわけにもいかないから」
砂橋と並んで歩いているとと肩をポンと叩かれた。
これはまさか、俺に映像の確認を頼んだ、ということだろうか。砂橋はにこにことしながら、先を歩いて行った。
もしかしなくてもそういうことなのだろう。
俺は何度目か分からないため息を吐いた。
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