第32話 アイドル危機一髪5


 砂橋にはもともと強引なところがあったが、まさかアイドルのライブに連れていかれることになるとは思わなかった。人里離れた金持ちが建てた別荘やオープン前のいわくつきの品物ばかり展示されたミュージアム。しかし、今までは俺がいたとしても違和感はなかったが、今回はある。なぜなら、俺の見た目でアイドルのライブに行くわけがないのだ。そもそも興味がない。


「もちろん、後ろの方から見るだけだから、そんなに気負わないでいいよ」


 俺はため息をついた。どうしたって、拒否権は俺にはないのだ。それにこうやって誘われるのは嫌いではない。好んで巻き込まれているわけでは決してないが。


「今回はどんな事件に巻き込まれているんだ?」

「事件っていう程じゃないと思うんだよなぁ。今のところ」


 砂橋がそういうなら、今回は死体を見ることはないのだろう。それだけは安心できる。そもそも殺人事件の依頼は探偵事務所セレストでは受け付けていない。殺人事件が絡むのはいつも俺と砂橋が休みの日に限る。


「アイドルの子がストーカーされてるかもって」

「かもってどういうことだ? 探偵に依頼するということは何か根拠があるんじゃないのか?」

「消印のない手紙がポストに毎日ぐらい入ってるんだよ」

「なら、ストーカーで決まりじゃないか」


 砂橋はチーズケーキを一欠片、口に含むと首を横に振った。そんなに明確な証拠があるのならストーカーで確定だろうに。


「自作自演の可能性もあるってことだよ。それをしたとしてどうメリットあるか分からないから、もしかしての域の想像だけど」

「なるほど、自作自演か」

「可能性があるってだけだけどね」


 自分が被害者であるという自作自演をする人間がいることは知っている。SNSでこんな変な人に絡まれたなどと言ってやり取りを公にしていたものの後でそれが自作自演と分かって叩かれている人がいるというのは聞いたことがある。


「だから、明日からは彼女の周りを僕と笹川で固めようと思って。アパートに監視カメラとか取り付けたりしたいんだけど」

「……もしや、監視カメラの取り付けも頼もうとしているか?」

「あたり!」


 砂橋は嬉しそうに口元に笑みを浮かべるとチーズケーキをまた口の中に入れた。俺はスマホを取り出してスケジュール帳のアプリを開いた。今日も含めて五日間程度なら、砂橋に付き合っている時間以外に執筆時間をずらしても問題ないだろう。それ以降は書かねばならないものがいくつか被っているので無理だろうが。


 しかし、ここで「五日間は大丈夫だ」などといえば、五日間ずっと付き合わされるのは分かっている。


「今日も含めて三日なら付き合っても問題ない」

「分かった。三日間ね」


 砂橋はスマホを取り出して、俺と同じようにスケジュール帳を開いた。机の上に置かれたままのスマホの画面がよく見えてしまい、そこに四日間分「弾正、連れまわす」と書かれたのが確認できて、俺はため息をついた。

 どうやら、俺が余裕を持って伝えたことがばれてしまっているらしい。五日間大丈夫だと思われていないだけましだと思おう。


「ところで、弾正ってストーカーされたことある?」

「どうしてされると思った?」


 俺のストーカーになろうと思うやつがいれば、俺は真っ先にそいつに駆け寄って医者に連れて行くだろう。


「ほら、小説のファンとか?いそうじゃん。弾正の小説大好きなあまりに弾正のことを調べて付きまとうとか」


 俺の小説の読者層は若くない男性だ。間違っても歴史小説家の小説が好きでたまらないからといってストーカー化するような人間はいないと思うのだが。


「いないな。ファンレターもそこまでないからな」

「だろうね」

「むしろ、ストーカーなら……」


 砂橋はチーズケーキを食べ終わり、満足したのかゆっくりとミルクティーの残りを飲み始めた。

 ストーカーのことなど、俺に聞かずとも砂橋の方がよく知っているだろう。俺が知ってる中でも一度はストーカー被害にあっているはずだ。


 ある日、自宅で執筆活動に勤しんでいる時、唐突にインターホンが鳴った。モニターに砂橋が映っていたので、扉を開けると砂橋がすぐに玄関へと入ってきて、俺が何かを言う前に扉を閉めて、鍵をかけて、チェーンまでしっかりとかけたのだ。


「まさか、つけられているから自分の家ではなく俺の家に来たと言い出すとは思わなかったな……」

「ごめんって。謝ったじゃん」


 砂橋は悪びれた素振りもなく、くすくすと笑った。あの時、俺の家に逃げ込んできたことによって、俺までもストーカーの標的になったのだ。できればもう少し申し訳なさそうにしてほしい。


「確かに謝罪はもらったが……」

「それで終わりしよ。ね?」


 どうやら謝ったんだから許せと言っているらしい。まぁ、今更責めるつもりはないし、あの時、砂橋は謝りながら黒いケースに入った万年筆を渡してきたのだ。それは新品のようで決して安くはないと分かったからこそ、砂橋が俺の家に逃げ込んできて俺を巻き込んだのは些細なことだと思えてしまった。

 俺はこの問答をため息で終わらせることにした。


「それで、ライブが始まるのは何時だ?」

「七時からだよ」

「まだずいぶん時間があるが?」


 俺の言葉に砂橋は空になったカップをソーサ―の上に置くと俺を指さした。


「ライブ行くのに、ワイシャツとジャケットで行くの?服買うんだよ」

「……金は」

「弾正の服なんだから弾正が出すでしょ?」


 俺はまたため息をついた。


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