第30話 アイドル危機一髪3


 こうして、探偵事務所セレストで事務員として、または砂橋さんの小間使いとして働き始めて一年ほどだが、なかなか悪くないと俺は思っている。

 何より、この探偵事務所には俺の姿に対して何か言ったり、変な目で見たりする人がいない。俺が入った頃には、初対面の人の大半に男性だと間違われる砂橋さんという前例がいたから寛容だったのだろう。


「そういえば、砂橋さんっていつからこの事務所にいるんですか?」

「えー、いつからだったかなぁ?」


 給湯室から間延びした声が聞こえた。あまり考えたことがなかったようだ。誤魔化すような声音ではなかった。


「んー。大学生の時からバイトとして入ったからなぁ」

「大学生……弾正と出会ったのもその頃でしたっけ?」


 弾正影虎。主に歴史小説を扱っている小説家だ。彼は砂橋さんにとって大学生からの知り合いらしく、唯一砂橋さんが「友人」と俺に紹介した相手だ。事件や仕事、探偵になる前の知り合いも全て「知り合い」もしくは「取引相手」と称する砂橋さんが唯一、友人扱いしている人物。

 そして、俺を連れて行ってくれない現場や旅行に連れて行く人物でもある。


 俺は弾正影虎が嫌いだ。毛嫌いしている。


 澄ました顔で砂橋さんの隣を陣取って、自分は砂橋さんのことはちゃんと分かってますみたいな雰囲気を出しているあの男のことが反吐が出るほど嫌いだ。

 しかし、あいつが砂橋さんにとって大切なのも事実。それはきちんと分かっている。だから、俺が弾正影虎に危害を加えることはない。そんなことをしたら、今度こそ確実に砂橋さんに嫌われてしまう。


「そうそう。弾正とは一年の時に出会ってね。授業で僕がノートを貸したんだよ」


 しかも、最初の出会いで砂橋さんにノートを貸してもらっていたとは。それも羨ましいが、ひとまず置いておくことにしよう。


「ノート貸し借りしただけであんなに仲良くなります?」

「んー、まぁ、色々あったからね。授業被ったり、一緒に昼ご飯食べたり、レポート一緒にやったり」


 聞けば聞くほど分からなくなる。類は友を呼ぶというが、砂橋さんと弾正は似ていない。決定的に似ていない。そんな二人が最初から好んで一緒に行動していたとはどうしても思えないのだ。

 この前だって、砂橋さんは俺ではなく、現場に弾正を連れて行った。今でさえ、行動を共にしているのだ。


「さすがに今回は弾正を連れてきたりしないですよね?」

「んー、さすがに今回は普通の仕事だし、たぶん連れてこないよ」


 たぶんという一言に多大なる不安を感じざるを得ない。できれば、いや、絶対来ないでほしい。

 それより、今回の依頼には俺はどう関わればいいのだろう。いつものように事務所にこもって調べ物をしていればいいのだろうか。しかし、今は他の人員も出払っている状態だ。


「笹川くんも外行こっか」

「俺も、ですか?」


 聞き込みや見張りは他の人に教えてもらっていて、基礎はできるが、本番は数えるほどしか行っていない。しかも、今回は砂橋さんと一緒だ。へまはできない。


「俺は何をすれば?」

「桃実ちゃんのアイドルメンバーに聞き込みしてほしいな。ほら、スタッフとかに紛れてもらって、許可は取ってあげるから、ね?」

「スタッフとして、ですか?」


 アイドルの傍に近寄ることのできて、世間話ができるスタッフといえば、思いつくマネージャーやディレクターだが、簡単になれるようなものでもない。

 俺がスタッフとして行動しても問題なさそうなスタッフといえば。


「メイク係として潜入、ですか?」

「いいね。笹川くんならメイクの方も完璧にしてくれるでしょ?」

「もちろんです」


 メイク、衣装、髪。このあたりなら俺もこの探偵事務所にいる誰にも負けない自信がある。


 ある日のこと、砂橋さんが「こんなところに潜入したいんだけど」とフォーマルな会場の名前を出して、いつも通りパーカーを着て出かけようとした時は止めたりもした。それからは砂橋さんがどこかに仕事で行く時には場所と内容を聞いて服を選んだりもしている。もちろん、滅多にレディースの衣装は着ようとしないが。


「アイドルグループのメイク係なら、女性の方がいいですね。ですが、他のスタッフにばれませんか?」

「いいのいいの。それはマネージャーに話を通そうと思ってるから。桃実ちゃんには連絡してもらえるようにさっき話したし」


 確かに先ほど桃実にそんなことを話していたが、このためだったらしい。関係者に話を聞くんだから、その方が確実か。


「じゃあ、潜入の準備ができたら連絡するから、それまで笹川くんはSNSとかを洗っておいて」

「分かりました」


 俺が頷くと、砂橋さんは黒い肩掛け鞄を提げると事務所から出て行った。砂橋さんの姿が消えて、しばらくしても帰ってこないのを確信すると俺は自分のデスクの引き出しを開けた。

 中に入っている激辛煎餅を取り出すと机の上に置いた。個包装は手が汚れないから最高だ。


「さて、と……」


 ストーカーと来たら、動機は分からないとしても、やることはほとんどの人間が被る。それが好きでも嫌いでも、害するためでも守ためでも、絶対と言っていいほど、やり方は一緒だ。

 誹謗中傷はまたゆったり息抜きで探すとして、ストーカーの行動くらいは俺にだって調べられるはずだ。


 実際、思考回路は似ているだろうし。


「手紙には消印も宛先もなし。住所はもうばれているとして……」


 問題はその住所がどこからばれたかだ。SNSでは写真をあげる人が多くみられるが、例え、そこに人物が映ってなくとも、地面だけ映っているだけでも、それがどこで撮られた写真なのか分かる事例がある。


 実際、マンホールは市ごとに違っている。細かいところでは町ごとに、村ごとに違うマンホールの柄でその土地の個性を出している。特産物であったり、市の花だったり、アニメやゲームのキャラクターだったりとその柄のレパートリーは多い。


 部屋の中を映したとしても、部屋の広さと間取り、窓からの景色などで住んでいる場所がばれたという事例もある。


 桃実のSNSに投稿された写真の類を見て、どこから日常の行動がばれたのか探っていくことにしよう。


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