第21話 潮騒館殺人事件21
十年前。
木更津の会社で横領が発覚したのは十年前だった。総額は二億を超える高額なもので、それを行ったのは経理部に所属している一人の社員だった。自殺してしまったことで罪の追及はできなかったが、遺書により、横領が発覚する一年前ほど前に妻には逃げられ、ギャンブルをやっていたということが分かった。
しかし、奇妙なことがある。
「自殺した社員の吾妻透一さんは、妻に逃げられたんじゃなくて、病気で妻を亡くしていたんだ。ギャンブルもしたことがないらしく、趣味らしい趣味もなかったからお金をかけることもなかったらしい。そんな人が横領なんてすると思う?」
十年前の横領事件。
蝦村が調べていて、海女月が関わっている事件のことだ。
「しないわ。だから、彼は罪をなすりつけられて自殺に追い込まれたと思って調べてるの。上は当時なかなか許可を出してくれなかったから木更津貴志が社長を引退した今になって調査を開始したけれど……」
蝦村の話は嘘じゃないだろう。実際に、会社関係者である貴鮫に十年前のことについて聞いてみたりしていたし、砂橋にも話していたみたいだった。
貴鮫はというと、海女月と蝦村から隣の席を二つほど空けた場所に浅く腰かけて深く俯いたまま動かなくなっていた。
「……本当に、吾妻透一は自殺じゃなかったんだな?」
「どういう意味?」
ぽつりと口からこぼれた海女月の言葉に蝦村が眉をしかめた。海女月がテーブルの上に視線を落とす。
「……上司に直談判したんだ。遺書もない、首吊り死体の下に倒れた足場もない。あんな現場で自殺なんてありえないって」
膝の上にのせた両手をきつく握り、海女月は顔をあげた。
「だが、上司は「事件の捜査は駐在警官の君の担当ではない」と関わることを許さなかった。遠回しに「捜査を引っ掻き回すなら、君の評価を改めないといけない」とまで言われた」
だから、あの時「遺書はなかった」と言ったのか。遺書は吾妻が書いたものではなく、首吊りも吾妻の意志ではなかったのだ。警察にまで息がかかり、吾妻の死は隠蔽された。
「……なるほど」
砂橋はまたクッキーに手を伸ばしかけてやめると、白田の方を見た。
「みんな、捜査とかで疲れてるんじゃない? ちょっと飲み物でも飲んで休憩しようよ。ねぇ、白田ちゃん」
「え、あ、はい! 分かりました!」
クッキーを食べすぎて口の中が渇いたか。
白田は慌てて席から立ち上がった。砂橋が「じゃあ、僕、ホットのミルクティーがいいな」とまで言い始めた。
「他の方はどうされますか?」
話の内容が話だったため、少しだけ遠慮しているのか進んで頼もうとしなかった。
「俺はアイスコーヒーで」
「俺はいつも通りで」
俺が白田に頼むと呼応するように羽田が声を出した。それを受けて、少しだけ緊張が解けたのか海女月も「アイスコーヒーが欲しい」と言い、蝦村と愛はミルクティーを頼んだ。白田が俯いたままの貴鮫に「どうされますか?」と聞くと消えそうな声で「アイスコーヒー」と呟いた。
まぁ、砂橋は死んでいないにしろ、殺人未遂という罪には十分なるから、もしかしたら貴鮫にとってはこれが最後の晩餐になる可能性がある。死刑や無期懲役にはならないだろうが、少なくとも五年は牢屋の中だろう。
「じゃあ、少し待っててくださいね」
白田がキッチンへと行くと「そういえば」と愛が砂橋の方へと顔を向けた。
「私たちが砂橋さんの部屋を調べた時には、ベッドの上に寝ている貴方を見たはずですが……」
「盛り上がった布団とかけられた布の下から出てたかつらを見ただけだよ。あの時、僕はいなかった」
そう。あれは、砂橋が事前に用意していたかつらと荷物を使い、自分の死体がそこにあるように見せたのだ。貴鮫と愛のどちらも布団をめくらないように注意して見ていた隙に部屋にあった俺のスマホを貴鮫に盗まれていたのだろう。
「気づかれたらどうするつもりだったの?」
「気づかれたら気づかれたで別に気にしなかったよ。ちょっと一人で調べ物したかっただけだから」
ということは、ばれないようにと細心の注意を払ったのも、砂橋の代わりに犯人を見つけなくてはと奮闘したのも、犯人である貴鮫を床に叩きつけたのも、全部できなくても気にしなかったというわけか。
俺は肘をテーブルの上に置いて、手で頭を押さえた。気づいていながらも誰も俺に対して触れてくれなかったのが逆にありがたかった。
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