第22話 潮騒館殺人事件22
「おまたせしました」
白田がお盆にいくつかの飲み物を載せてやってくると待ってましたと言わんばかりに砂橋が笑顔になった。これでまたクッキーに手が伸びることだろう。
他の者も手を伸ばせばとれるようにクッキーを載せた皿が三つほどテーブルの上にある。少しだけ緊張がほぐれたのか砂橋以外の人間もクッキーに手を付け始めた。
「結論から言うとね。吾妻透一は、横領してない」
砂橋の発言は、今までの話から予想はできていた。
「問題は誰が彼を自殺に追い込んだか」
砂橋はパーカーの内側に作ってある大きなポケットから何かの資料を取り出して、自分の前に置いた。
紙には、印刷されたメールの履歴などが載っていた。差出人は「木更津貴志」受取人は「貴鮫嘉美」だ。いくつかあるメールの内容の一つに目がいく。
『遺書の件は上手く手配できるんだろうな?』
『それはもちろん。吾妻は妻に逃げられ、ギャンブルをしていたっていうことにしますよ』
俺は貴鮫へと目を向けた。砂橋がすっとメールが載せられた資料を海女月と俺に渡した。どうやら、同じ内容の紙を二つずつ持ってきたらしい。俺はその紙を羽田へと回し、羽田は白田と一緒に紙を覗き込んだ。
「これって……」
海女月経由で紙を見た蝦村が貴鮫の方を見ると、貴鮫は顔を青ざめて「なんで、それが残って……」と呟いていた。
「木更津貴志が自分にリスクがあってたとしても、どうしても人の弱みを握っておきたい人物で助かったよ。貴鮫さんに裏切られた時にでもこのメールを出すつもりだったんじゃない?」
砂橋はくすくすと笑いながら、クッキーを一枚口の中に放り込んだ。この情報を木更津貴志のメールから抜き取ったのは、笹川だろう。
館に来る前に用意していたのか、館に来てから用意したのかは分からないが。
「貴鮫は十年前の吾妻透一の自殺に関わっていたというわけだな」
メールの内容からして、遺書を用意したのも貴鮫だろう。
「今回の依頼は、十年前に関係してそうな人達を呼んで、誰が本当に関わっていたのか調べるためだったんだ。こんな僻地に呼び出したのは、その間にうちの事務所の子に自由に調べてもらうためだね。そして、ここにいるメンバーのうち、十年前の事件に関与してるのは貴鮫さんだけだってことは分かった」
「待ってくれ」
羽田が身を乗り出した。
「もしかして、親父が関わってるのか?」
「ああ、羽田俊久(としひさ)会長? あの人は真っ黒の中の真っ黒だったよ。当時木更津貴志の秘書をやってた人が証言した。ちょうどいい社員を横領の犯人として自殺してもらったらいいと木更津に進言し、警察への手回しをしたのは羽田会長だよ」
羽田は眉間にしわを寄せた。彼が自分の父親に対してどんな感情を持っているかは知らないが、さすがに驚いただろう。彼は腰を椅子から浮かせたまま、砂橋に尋ねた。
「証拠はあるのか? 証言以外に」
「その秘書がもしもの時自分の身を守るために残している当時の話し合いのボイスレコーダー」
砂橋が俺の方を見て「はい」と手のひらを差し出してきた。意味が分からなくて一瞬止まったが「そういえば」と思い出すことができて、俺はポケットにいれたままだった砂橋のスマホを手のひらに載せてやった。
砂橋がスマホの画面を指で叩くとすぐにノイズ音と共に音声が流れ始めた。
『本当に……お願いしてもよろしいんでしょうか?』
『ええ、ええ、お任せください。木更津の会社はこれから大きくなるんですから、こんなみみっちい不祥事で折れるのはもったいない!』
『警察は……』
『根回しはもうすませております。ですが、こちらにもメリットは欲しいものです……』
『もちろんです! この件が終われば、我が社と羽田グループとの取引は全て羽田グループに利があるように契約しましょう!』
ぷつっと音を立てて、録音を砂橋の指が止めた。羽田はじっと声が流れていたスマホを睨んでいた。
「だから、本当はここに来るはずだった羽田グループの会長にも話を聞くつもりだったんだけど。まぁ、証拠があるからいいよね」
十年前に吾妻透一を自殺させたのは貴鮫、木更津貴志、羽田俊久ということになるのか。こんな大事、他の人間に知らせるわけにもいかないだろう。事実を知っている人間は両手の指に収まるほどか。
「じゃあ、もしかして、吾妻透一は殺されたの?」
「自殺だよ」
砂橋は言い切った。
「殺されてはないんだ。でも、自殺に追い込まれた」
吾妻を自殺に追い込んだ一人である貴鮫は震える手でコーヒーが入ったコップを持っていた。青ざめた顔で自分の近くに置かれているクッキーへと手を伸ばしていた。
「それじゃあ、そろそろ車の爆破について」
砂橋の言葉を遮るようにして、がたん、と音がたつ。
全員が音がした方へと目を向けるとそこには椅子が倒れていた。
「うぅ……う……っ」
地の底を這うような呻き声をあげる貴鮫に砂橋も言葉を続けることはできなかった。椅子を倒した貴鮫は胸をかきむしり、絡まる足を無理やり動かし、食堂の扉に手を伸ばそうとして、倒れた。
「え、え?」
白田が困惑したように声をあげるのと、砂橋が椅子から跳び下りて、倒れた貴鮫に駆け寄ったのはほぼ同時だった。俺も砂橋に続いて立つ。
貴鮫は苦悶の表情を浮かべて倒れていた。砂橋は貴鮫の体をひっくり返して仰向けにすると、胸辺りに耳をあてた。貴鮫の手首を握って、少しだけじっとしてから、砂橋は首を横に振った。
「……死んでる、のか?」
「え? 嘘でしょ? 砂橋くんみたいに死んだふりしてるんじゃないの?」
困惑する羽田と蝦村をよそに席から立ち上がった海女月が砂橋の横にかがみ、貴鮫の手首を握って、脈を測った。
「……確実に死んでる」
砂橋は立ち上がると、貴鮫が座っていた椅子へと近づいた。置いてあるコーヒーのグラスを見て、近くにあるクッキーの載った皿を眺める。
「……車の件といい、貴鮫さんの件といい、言及しなきゃいけないことがあるんだけど」
皿の横にはクッキーがいくつか落ちていた。苦しんだ時に皿に手があたってしまったのだろう。俺はスマホを取り出して、警察へと電話をかけようとした。
「弾正。警察は大丈夫」
「どうしてだ? 今度こそ、殺人が起こったろう?」
「もう呼んであるから」
砂橋の言葉に俺はスマホをポケットに戻した。
「いつ呼んだんだ?」
砂橋の仕事用のスマホは俺が持っていたし、俺のスマホは貴鮫が持っていた。ああ、でも確か砂橋はスマホ二台持ちだったか。
「崖下で木更津貴志の遺体を発見した時」
「はぁ!?」
蝦村が驚いたように顔をあげた。砂橋はその驚きを無視して、テーブルに手をついて、目の前の人物へと問いかけた。
「気は済んだかい?」
砂橋の目の前に座る愛は、静かに顔をあげて、ゆっくりと微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます