第15話 潮騒館殺人事件15


 蝦村の部屋は通路の一番手前の扉だった。扉を開けるとベッドとテーブルの上には多くの書類が散乱していた。


「何日か泊まっていいって言われてるし、有給とりたかったんだけど、編集長が許してくれなくてね。仕事を持ってきたのよ」

「なんだこれ……俳優と若手女優のスキャンダルか?」

「ちょっとそこ! 情報は門外不出なんだから、まだ!」


 資料を持ち上げて、読んでいる貴鮫の手から蝦村が紙を奪い取った。


 鞄の中には、文房具。一眼レフのカメラ。手帳。スケジュール帳。資料のファイル。明るい色の折り畳み傘。財布。名刺入れ。飴の袋。


「これと言ったものはないな」

「殺人ができるような道具なんて持ち歩かないわよ。鈍器にはなるかもしれないけれど、一眼レフで殴るのは無理だし、折り畳み傘も折れるし……ていうか、今回は殴られてないし」


 確かに、この道具で殺人なんて無理があるだろう。

 しかし、ここまで来て何も思いつかないとなると、砂橋に笑われてしまうのではないだろうか。やはり、俺には探偵の真似事は早い。向いていない。

 この後は反対側の部屋か。


「反対側の客室もここと同じく三部屋か?」

「ああ。三部屋だったと思う」


 羽田が顎に手を当てて、考え込みながらそう答えた。貴鮫も頷いているから間違いはないだろう。

 反対側の通路に向かい、通路へと入る。

 話を聞くと二番目の扉が羽田、三番目の扉が貴鮫の部屋らしい。


「じゃあ、白田ちゃんは?」


 蝦村の言葉に白田がきょとんと目を丸くした後にぽんと手を打った。


「ああ、そうですね! 皆さんには言ってなかったですが、玄関から入って左手の扉に入って、通路の奥、食堂の隣に使用人用のお泊りの部屋があるんですよ。そこを使わせてもらっているんです」


「じゃあ、一番手前の部屋は、愛ちゃん?」


「いえ、私は……一階に寝室があるのでそこで寝ています」


 それなら、二階の羽田の隣の部屋は空き部屋ということになる。試しに扉を開けてみるが、他の客室と同じ作りになっている。


「じゃあ、なんで弾正と砂橋は一緒の部屋なんだ……?」


 まだそこが気になるらしい貴鮫には言葉を返さずに、俺は羽田の部屋へと向かった。


「あんまり、見せたくなかったんだが……」


 取り出したのは、酒だった。小さな瓶に入ったそれを大事そうにテーブルに置くのを見て、一同黙ってしまった。

 あとは着替えに、財布、スマホ、傘、半分中身のない煙草のケース、ジッポライター、封筒だった。


「この封筒……」


 黒く染まった和紙の封筒に赤の封蝋。間違いなく、砂橋のところに届いていた招待状と同じものだ。まさか、ここでそれを見ることになるとは思わなかった。


「一応、呼ばれたのは親父だから、追い返されそうになったらこの招待状を見せようと思ってな。実際、見せたし」


 愛の方を見ると彼女はこくりと頷いた。


「はい。来るのは羽田グループの会長と聞いていたので、本人でないのならとお帰りいただこうと思ったんですが……」


 招待状があったため、館へ招いたということか。


「中を見ても?」

「見て困るようなもんでもないだろ。どうぞ」


 黒い封筒を開けて、中から白い和紙の便箋を取り出す。


『羽田俊久様

 十年前の真相について、内密に話したいことがある。

 同封する地図にある我が別荘へ、記載した日にちに来られたし。』


「……」


 また十年前。


 十年前といえば、先ほど蝦村から聞いた木更津貴志の会社にて社員の横領発覚、そして、その社員の自殺という出来事が思い浮かぶ。先ほど蝦村に話を聞いたばかりだ。それしか思いつかない。


 羽田俊久といえば、現在羽田グループを牛耳る会長で、目の前にいる羽田宏隆の父だ。羽田グループの会長が関わっている真相とはなんだ?


「羽田」

「悪いが、手紙の内容について俺は何も知らされてないぜ」


 俺の視線に気づいて、羽田は肩をすくめた。本当に知らされてないらしい。手紙で「内密に」と書かれているから、息子にも言っていないのか。


「そうか……」


 そういえば、招待状を受け取ったのは砂橋で俺は受け取っていない。砂橋は「友達も一緒にどうぞって言われたから来なよ」と言っていたが、詳しくはなんと書かれていたのか。


「十年前って横領事件のこと?」


 羽田の招待状を俺の横から覗き込んだ蝦村が口に出す。それに顔をあげたのは、海女月だった。


「十年前の横領事件?」

「ええ、吾妻透一という社員が横領して」

「何故、その話が出てくる!」


 唐突な声の荒れように蝦村が思わず目を丸くして口を閉じてしまった。それには貴鮫も羽田も俺もぽかんとしてしまって反応できなかった。


「調べていたのか?それとも君は関係者か?」


 勢いのまま、蝦村の両肩を掴む海女月に固まる蝦村。慌てて、二人の間に入って、海女月の手を払う。


「落ち着け」


 海女月を離すとぎこちないながらも、ようやく蝦村は首を縦に振った。


「ええ……、十年前の横領事件は、私が追ってる事件だし、木更津元社長に話を聞こうと思ってインタビューもするはずだったんだけど……」

「そうか……。すまない。取り乱した」


 海女月はそう言って、廊下へと出て行ってしまった。


 むしろ、何故、海女月が十年前の横領の話を知っているんだ?


 海女月は部屋から廊下を出てすぐそばの壁に背を預けて、俯いて何かを考え込んでいるようだった。問い詰めるにしても、後の方がいいだろう。


 二階に荷物のある人間でまだ調べていないのは貴鮫のみとなり、そのまま、俺たちは貴鮫の部屋へと向かった。部屋の中はあまり利用していないようだった。シーツもベッドメイキングしたままだった。テーブルの上にはノートパソコンが閉じてあった。


「私の部屋とは大違いね」

「普通、仕事をするにしてもあんなに資料をまき散らしたりしないぞ」


 蝦村の言葉に貴鮫は顔をしかめた。


「今はなにか裁判でも抱えているのか?」

「ああ、もちろんだ。あんまり見るなよ。仕事の資料なんだから」


 貴鮫はそう言いながら、パソコン立ち上げた。スリープモードにしていたらしくすぐに画面が作業中だった資料へと変わった。


「……木更津社長が懇意にしている弁護士が浮気の裁判なんてやるんだな」


 羽田の言葉に「だろうな」と貴鮫はため息をついた。


「こいつ、会社の専務らしいんだよ。だから、俺に回ってきたんだ。慰謝料は払いたくないだと」


 嫌そうに貴鮫は眉をひそめた。よほど、見るのも嫌な案件なのか、ばたんとノートパソコンがとじられた。

 続いて、テーブル脇に置いてあった仕事用の黒革の鞄の中身を見ることとなった。


 ノートパソコンの充電コード。スケジュール帳。名刺入れ。折り畳み傘。眼鏡ケース。文房具。着替え。


「普通だな」

「当たり前だろ」


 貴鮫の部屋を出て、二階から一階の階段を降りている途中で愛が口を開いた。


「私、荷物といっても、スマホぐらいしか持ってないんですが……」

「え、着替えは?」


 蝦村が目を丸くしたまま聞くと愛は首を横に振った。


「元からこの館に来るだろうとクローゼットに入っているものしか。それに、暇つぶしも書斎にある小説で事足りますし……」

「それなら、見てない部屋を順に見ていけばいいだろ」


 貴鮫の言葉に逡巡した後に愛は頷いた。

 木更津貴志は、愛と共にここに住むつもりだったのだろうか。もしかすると、愛は、親戚ではなく愛人ということは……さすがに木更津貴志のあの年ではないか。


 羽田も一瞬俺と同じようなことを考えたのか「あのおっさん、そんな趣味だったのかよ……」と呟いて、海女月に頭をひっぱたかれていた。その様子を見て、俺はため息を共に、口は災いの元だと心に固く刻んだ。


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