第12話 潮騒館殺人事件12
俺が風呂から出て、スリッパを脱ぐと蝦村はスライド式の扉の前にかがんで何かを見ていた。
「何かあったか?」
「関係ないのかもしれないけれど、何か、ビニールみたいのが落ちてて」
そういいながら、蝦村は拾ったらしい小さなビニールをハンカチの上に載せてこちらに差し出してきた。透明なビニールの切れ端だ。どこにでもありそうなものだが。
「外からつっかえ棒をして閉じ込めるにしても、こういうのってぴったりはまらないと閉じ込められないわよね?」
「まぁな……」
何故外に逃げなかったのか。その理由にも俺は気づかないといけない。蝦村が難しい顔をしながら、顎に手を当てて何か考えていた。
「気になることでもあるのか?」
「これって殺人、なんだよね?」
「俺はそう確信している」
蝦村は俺が風呂場の入口近くに置いた漂白剤の空の容器を指さした。
「漂白剤と温泉が反応したっていうのは分かるんだけど……なんか引っかかるというか……」
「なんか引っかかる……?」
「んー……なんだろ。ごめん、分からないや。忘れて」
蝦村は眉間にしわを寄せて足元の容器をじっと見ていたが、ついに分からなかったのか首を振った。
この現場が引っかかる?
漂白剤が温泉に入れられた。
「……風呂場に殺したい相手がいて、温泉に漂白剤を入れたいならどうすると思う?」
「え? えっと……漂白剤の蓋を開けて、温泉に投げる?」
入口から温泉は直線の位置にあり、入口からは人一人分の距離だ。そんなに遠くないことから投げ入れるのは可能だろう。もう一度、スリッパを履いて、風呂場の床をよく見てみるとところどころ泡が床にもできている。投げた時に床に少しこぼれたのだろう。
「漂白剤を投げて、扉を閉めて、閉じ込める。少なくとも、ガスが充満するまでは砂橋を閉じ込めておかなければならない」
「少なくとも閉じ込めてる間、犯人はここにいなきゃいけないってこと?」
「……分からない」
砂橋がいたら適当な返事をしたのだろう。
「弾正くん」
ふと、蝦村が俺を呼んだ。その視線はもう漂白剤の容器からは離れており、俺の顔をじっと見ていた。疑いの目ではない。思い当たる節があり、聞いてみる。
「ホールで言えなかった話か」
蝦村は慎重にこくりと頷いた。あの場では言えず、ここでは言えるということは、他の人間に聞かれたくなかったというわけか。
あの場にいたのは、貴鮫だった。
「あの弁護士が言った通り、食堂で解散した後、私は一階にいたわ。食堂から見て右の扉があるでしょう? あそこには木更津貴志の書斎があるの」
愛がファイルを片付けていたあの部屋で間違いないだろう。誰かがファイルを取り出してそのままにしていた。
「横領事件について調べていると言っていたな、確か」
「十年前にね。横領した社員が自殺したのよ」
蝦村はそう言いながら、スマホを取り出して画面を俺の前に突き出してきた。
新聞の写真らしく、撮られている写真に映っている箇所は新聞の中でも小さな記事だった。「大手家具メーカー 横領した社員が自殺!」という見出しだった。
「横領した社員は、会社の経理部にいた吾妻透一。横領が発覚した三日前から無断欠勤をしていて、話を聞きに行った会社関係者が自宅のアパートで首を吊ってる彼を発見したそうよ」
新聞の記事には、今蝦村が話したこととほとんど一緒の内容が書かれていた。
「この横領について、気になる点でも?」
「最初は、大手企業の横領事件だから、埃を叩いてやろうぐらいにしか思ってなかったわ」
蝦村は肩をすくめた。いわゆる「美味しいネタを探していた」というわけか。
「でも、何かおかしいのよ。横領されて逃げられたくせに木更津社長はこの件について触れないし、記事もほとんど出てないのよ。まるで隠蔽しようとでもしているみたいに」
横領された側が隠蔽。
「……横領を押し付けられたのか」
「それを調べるためにここに来たの」
「収穫は」
蝦村は首を横に振った。
「書斎にはファイルがあったけれど、文面なんかに残すような人間だったら、とっくの昔にばれてるわ。一応、関係ありそうな金の動きに関する資料の写真は撮ったけれど……それを詳しく見ている時に騒がしくなったからちゃんと見れてないのよ」
「そうか……」
蝦村は予想以上の情報を手に入れることはできなかったらしい。彼女にこれ以上話を聞く必要はないだろう。砂橋の事件と十年前の横領事件の話など、関係がない。仮にあったとしても、どんな関係があるというのだ。
「どれくらいの時間、書斎にいた?」
「そうね。誰かにばれたらさすがにまずいから、ファイルを開いて写真を撮って、片付けて……十五分か二十分くらいかしら」
解散して、砂橋が風呂へと行ったのが九時三十分。
そこから十五分か二十分だから、九時四十五分から五十分。
「その後は自分の部屋に行って、写真を見直してたけれど……その間は誰にも会ってないわ。さすがにあの弁護士に通路に入るのを見られていたとは思わなかったけどね」
ということは書斎に行ったというのは、確実だが、時間や他のアリバイを保証してくれる人間はいないということだ。
「ん? ちょっと待て」
俺は蝦村の行動を想像して、途中で止まった。
「今言った行動に間違いはないな?」
「ええ、嘘はついてないわ」
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