第11話 潮騒館殺人事件11


 愛はローテーブル上のファイルはそのままに俺と一緒にホールへとやってきた。海女月が険しい顔をしてこちらを睨みつけている。おおかた、俺が第一発見者と聞いて疑いにかかっているんだろう。それならそれでいい。別に俺の気にすることではない。


「砂橋が死んだというのは本当か?」

「ああ、本当のことだ」

「死体を確認させてもらおうか」

「断る」


 俺の返答に海女月は眉を動かした。砂橋は現在、俺と砂橋の自室に寝かせてある。誰にも入らせるわけにはいかないのだ。


「私は警察だぞ」

「じゃあ、バッジを見せてみろ」


 そういうと海女月は顔をしかめて黙ってしまった。かまをかけてみるものだな。


「それにもしかすると犯人かもしれない人間に遺体を漁らせると思うか?」

「そういう君こそ、犯人で、遺体の証拠を隠そうとしているんじゃないのか?」


 ああ言えばこう言う。


「それなら羽田に聞け。砂橋が風呂に行ってから俺たちはずっと一緒にいたぞ」


 羽田が俺の協力者だと言われてしまえば、もう何も言えないのだが、さて、どう来るか。海女月は肩を竦めた。


「ちなみに私のアリバイは貴鮫が保証してくれる」


 彼女が親指で貴鮫を指すと、彼は指先で眼鏡を押し上げてから頷いた。


「ああ、俺は彼女と一緒にいたからな」

「海女月の部屋にか?」


 何故、貴鮫が海女月の部屋に行ったのかさっぱりだ。蝦村が書斎にいたのかどうかも聞かなければいけない。だが、調べに行こうにも犯人がいるかもしれないのに、こいつらを野放しにできない。むしろ、彼らも同じ気持ちだろう。


「……現場を調べたいんだが」

「それなら、私が一緒についていくわ」


 そう言ったのは今まで押し黙っていた蝦村だった。海女月が腕を組んで「見張りがいるなら、まぁ、いいだろう」という強気な視線をこちらに向けてきた。


「羽田、他の奴らと一緒に娯楽室にでも行ってくれ」

「分かった」


 犯人ではないと確実にお互いが分かっているのは、俺と羽田だけだ。他の人間が証拠を隠滅しないように目を光らせるにはこうするしかない。探偵でもない警察でもない俺に仕切られるのは海女月にとっては癪だろう。いや、この場に砂橋がいたとしてもいい顔はしないのかもしれない。


 俺は蝦村を連れて、風呂場へと向かった。脱衣所の扉はずっと開いているため、換気はできているだろう。


「一応、ハンカチでも口に当てておいてくれ」

「分かったわ」


 脱衣所に入り、スリッパでもないかと探すと洗剤やシャンプーなどの詰め替えがあるドラム式の洗濯機の横の棚にあった。衣料用の洗剤が綺麗に整頓されいている中、ぽっかりと間が空いていた。


 脱衣所に窓はない。それはそうだ。外から脱衣所が覗き込めたら誰だって着替える気をなくすだろう。


「……ここで砂橋くんが」


 ハンカチで口を押さえた蝦村がくぐもった声を出した。脱衣所から湯舟を覗き込んでいる。湯舟はいまだに泡がたっている。スリッパを履いて中へと入ると、湯舟の横に転がっている容器の傍にかがんだ。容器には「漂白剤」と書かれている。


「どうして、ガスなんか」

「温泉と反応したんだろう?」

「え?」


 蝦村は風呂の入口から風呂を眺めていたが、俺の言葉に首を傾げた。


「よくあるだろう。混ぜるな危険と書いてある洗剤を同時に使って、ガスが発生した、という事例は。それと一緒だ」

「でも、温泉と言ってもただのお湯でしょう?」


 俺は顎に手を当てて、今日した会話を思い出した。温泉については白田がみんなに教えていたが、白田は愛からその話を聞いたと言っていたから、彼女から聞いた話に間違いはないだろう。間違いがないのであれば、この犯行は成立する。


「ガスの発生であるのは、酸性洗剤と塩素系洗剤を混ぜた時だ。酸性洗剤はクエン酸や酢といったもので、塩素系洗剤は、それこそ、この漂白剤だ」


 容器をもちあげて、蝦村の方へと行く。容器の分かりやすいところに「混ぜるな危険」という文字があるのを見て、蝦村は「ああ」と頷いた。


「クエン酸や酢のpHは2から3といったところか。白田から聞いた話によるとこの温泉は肌の古い角質を溶かして、ツルツルにするという効果があるらしい。温泉には酸性と塩基性があるが、酸性のものは角質を溶かして、塩基性のものは肌の油分や汚れを落とすんだ」


「pHって……聞いたの高校以来よ」

「酸性の度合いを示す数値だ。低いほど酸性だ」

「しかも、温泉に詳しいのね……」

「……個人的に温泉はよく行くからな」


 温泉巡りは趣味と言っても差し支えない程度にはしてる。温泉近くにある立て札なども文字をすべて読んで理解してから堪能するため、いつしか詳しくなってしまったのだ。


「そのような効果がある温泉のpHは3よりも低い。つまりは、クエン酸や酢と同じ強さの酸性ということになる」

「だから、漂白剤と反応して、ガスが?」

「そういうことだ」


 すると、蝦村はじっとスライド式の扉を見つめてから、確かめるように扉を閉じた。スライド式の扉はすんなりと閉まり、また、その後、すんなりと開いた。


「でも、この扉ならすぐ出られるんじゃない?」

「それも問題だ」

「それも?」


 俺は風呂場の高い位置にある窓へと近づいた。高い位置にあるため、手を伸ばせば届くが、開閉は入口近くにあるレバーで行える。レバーは風呂場内にあるため、窓を開けて換気をすればよかっただろう。

 ハンカチを口から外すが、匂いはしない。換気ができているのだろう。ハンカチをかけて、レバーを回そうとするが、力をいれても回る様子はない。


「何か、挟まってるとか?」

「みたいだな」


 レバーにはチェーンが巻き付いており、それを回すことにより開くのだが、どうやらチェーンに何かが絡まっているらしい。


「何か引っかかってるの?」

「……なんだろうな。たぶん、ガム……か?」


 触る気にはなれない。人が口に入れて噛んだ後のガムだろう。ガムであれば、人が持っていてもおかしくない。

 窓が開けれないようにしたのは、砂橋より前にここに入った人間か。しかし、入浴した人間とは限らない。入浴しなくとも、この風呂に入ることは全員できるのだ。

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