第8話 潮騒館殺人事件8
結局、つまみとして用意することができたのはチーズだけだった。白田が自信満々に「お腹がすいた時のためにしじみのお味噌汁作ってますね」とキッチンに残った。確かにしじみの味噌汁は酔いにいいかもしれないが、ワインには合わないだろうな。
猟犬と兎をやるのも飽きて、他のゲームを羽田と俺とで探しては、「このゲームはどうだ」「このゲームは全く知らない。説明書を見てみよう」というやり取りを繰り返していた。
「テーブルゲームはほとんどが三人以上だな」
「手札を持ってる人間が多い方が楽しめるルールだからだろう。最近は他の人間がジャッジして点数を決めるものも多いと聞く」
人狼も双六も人生ゲームも砂橋が来てから白田もいれて四人でやろうということになり、俺は、黒い箱に入ったカードを取り出した。
「水平思考ゲームか」
「ああ、短い問題文を出して、回答者の質問に出題者がはいといいえで答えを返すんだろ? そこから起こった出来事を推理していくってゲームだったな。聞いたことはあるぜ」
手元のカードの一枚を抜いて、俺は表面を眺めた後に裏面を見た。
この黒いカードには、表に問題文。裏に答えが載っているらしい。本来であれば、このカードも数人が回答者となってゲームをするのだが、このゲームならルールを変更しても問題ないだろう。
俺たちは半分ずつ、カードをお互いに配り、スマホのアラーム機能をセットした。
「五分以内に答えが出せなかったらカードは出題者がもらう。成功できれば、回答者に」
「最終的にカードが多い方が勝ちか……。砂橋がいれば、探偵の本領を見せてもらえたんだがなぁ」
手元のカードを見ながら、羽田は肩をすくめた。それに対して、俺はテーブルの上に表面にしたカードを一枚出す。
「砂橋とやる前に俺にカードに大差をつけられても文句は言わないでくれ」
ぴくりと羽田の片眉が動いた。
「そっちこそ、砂橋の助手として力不足を見られなくてよかったな」
しばらくカードを置いては質問をして、回答をすることを繰り返していると扉が開いて白田がお盆を持って入ってきた。ちょうどいい焦げ具合の焼きおにぎりが四つほど見える。そばに薬味も置いてある徹底ぶりだ。
ワインには合わないとは思うが、今はもうグラスも空だ。焼きおにぎりのそばにはお茶も置かれていた。
「そろそろ小腹がすいたかと思いまして」
「ああ、ちょうどよかった」
羽田と俺はゲームの手を止めて、テーブルのカードはそのままに焼きおにぎりを食べることにした。
砂橋がここにいたのであれば「梅こぶ茶をお椀に淹れなきゃ。真ん中に焼きおにぎりを置いて、わさびをちょろっと入れると美味しいんだよねぇ」と言い出すだろう。
「俺も聞きたかったんだよな」
「何をだ」
焼きおにぎりを一口食べて、羽田は少しだけ温いお茶に口をつける。羽田は焼きおにぎりにはわさびを爪の先ほどの量をつけて食べるのが好きらしい。
「砂橋と弾正が体験した事件の話だ。小説家なら聞き手が楽しめるような事件の話でもしてくれないか?」
「俺の仕事は本を書くことであって、読み聞かせではないが?」
「それでも話せはするだろう」
俺と砂橋が関わった事件は三つ。その中でも、羽田に話しても問題がなさそうな事件は一つだろう。
「じゃあ、俺の親戚の集まりで起きた殺人事件の話をするか」
「親戚?」
まさか経験した殺人事件が、身内の話だとは羽田も思わなかっただろう。俺も砂橋も、相談として呼ばれた親戚の集まりの席で、殺人事件が起こるなど、露程も考えていなかった。
「俺の友人が探偵だということを知っていた叔父がお盆に砂橋を連れてくるように言ったんだ。俺の家は普通の家だが、親戚の家は本家やら分家やらがある俗に言う由緒正しい家でな。お盆なんかに呼ばれたものだから、親戚の騒がしい集まりの中、砂橋は叔父と会ってとある依頼を受けたんだ」
「その依頼というのは?」
「浮気調査だ」
その言葉に羽田は「ふぅん」と目を逸らしながら、茶をすすった。おおかたつまらない話だとでも決め込んでいるのだろう。
この話をしたのには、ちゃんと訳がある。他の話にはもちろん関係者がいるため、滅多には話せないが、この事件の関係者は俺の身内であるため、了解を取る必要がない。
それに笑ってしまうだろう。
犯人が自分の犯行を誤魔化すために探偵を呼んだなんて。
「叔父は砂橋に娘の彼氏の調査をお願いしたんだ。二人は婚約もしていて、結婚式の計画も立てていて、もちろん、お盆の集まりにも顔を出していた。死んだのはこいつだ」
娘の彼氏は、中庭の池に上半身を落としたかのように突っ伏して頭を沈めて死んでいた。その様子に気づいたのは花火の用意をしていた母の妹である叔母だった。
死体が発見されていた時、叔父は砂橋に依頼の話をしていて、疑われたのはなんと暇をしてぶらついていた俺だった。確かに俺は探偵ではないからと砂橋を待っている間、家の中をぶらついて庭にも立ち寄ったが、まさか身内に疑われるとは思ってもみなかった。そんなに俺の人相は悪いだろうか。
騒ぎを聞きつけてやってきた砂橋は、中庭に降りるとすぐに池に近づいて、沈んだ頭の髪の毛を掴み、持ち上げた。
「撲殺。後頭部を鈍器に殴られたのが死亡の原因だった」
「探偵小説なら、今までの登場人物の中に犯人がいるが……さすがに、その話し方は楽しませる気がないだろう」
「出てるぞ。叔父だ」
「その彼氏の浮気を調査させようとしていた叔父が、そいつを殺したって?」
俺は頷いた。
思い出しても、身内にこんなにも頭の出来が悪い人間がいたことに嘆きたくなる事件だった。
叔父は娘可愛さに今まで娘の彼氏になる男には多くの嫌がらせをしてきた。中学校の頃は、彼氏のふりをしてメールで娘に罵詈雑言を浴びせ、高校生の頃は、彼氏の写真を撮り、女性とホテルに入っていく写真を捏造して別れさせた。社会人となった娘は親元を離れ、会社でいい人を見つけ結婚をすると言い出した。周りも本人たちも幸せムードの中、今までのような嫌がらせはできなかった。
それでも娘を取られるのが嫌だった父親は彼氏を殺すという凶行を思いついてしまったのだ。
「簡単に言ってしまうと、俺たちがやってきた時にはもう彼氏は死んでいたんだ。遺体は池の近くの物置きに隠されていた。叔父は俺たちがやってきて、部屋で待たせている数分のうちに池の縁まで遺体を移動させたんだ」
「…………思ったよりくだらないトリックと動機だな」
「現実なんてそんなもんだ。どこまでいっても殺人は行き当たりばったりの粗末なものだ」
話をし終わる頃には、羽田は焼きおにぎりを食べ終わっていて、ゆったりとお茶を堪能していた。
この事件が解決した後、俺は砂橋に奢ろうと焼肉へと連れて行った。事件が起こってからひどく不機嫌だったからだ。
「砂橋もそんなくだらない事件、楽しくもなかっただろう」
「そもそも砂橋が人が死んで喜ぶタイプじゃないしな。事件については心底怒ってた」
「探偵は、謎が好きで倫理観はないものと思ってたが」
「小説と現実の区別はついているか?」
俺の言葉に羽田は肩をすくめる。
「砂橋は、なんて?」
「わざわざ殺人するのに探偵を呼んでアリバイ工作しようなんて馬鹿すぎる。こんなことに探偵を使わないでほしいよ。慰謝料を請求したいよ。だと」
羽田はくつくつと喉の奥で笑った。「だろうな」と言うとコップに残ったお茶を一息で飲み切り、席を立つ。
「現実の事件が嫌いなら、ゲームの事件で楽しんでもらったらいいだろう。このゲームなら殺人も楽しめるだろう」
テーブル上のカードを見る。確かに、ゲームの殺人事件なら砂橋も楽しめるだろう。
「そういえば、時間を気にしていなかったが……弾正、砂橋は長風呂する奴なのか?」
「いや、すぐにのぼせるから烏の行水だと言っていたが……」
羽田が左手首の腕時計を見る。
「もう一時間経ってるぞ」
俺は席を立った。白田が空になったコップと皿を片付け始める。娯楽室の扉へと向かう俺を見て、羽田は慌ててテーブルの上のカードを片付け始めた。
「砂橋、もしかしたら温泉で寝ちまってるのかもな」
風呂に入る前にワインも飲んでいたから、その可能性もあるだろう。もしくは温泉に入ったら眠くなってすぐに部屋へと直行して寝てしまっているか。
脱衣所にはまだ電気がついていた。かごの中には砂橋が着ていたパーカーや他の服が入っている。
「もしかしたら、本当にのぼせて……おい!」
すりガラスの向こうには、肌色があった。髪の位置からして、すりガラスの扉に背を預けて座っているようだ。なぜ、そんな場所に座っているのか。
「おい、砂橋」
すりガラスを叩いてみるも、砂橋が動く気配はなかった。スライド式の扉は動かそうにも砂橋が完全に体を扉に預けているのかなかなか動かなかった。
「砂橋!」
俺は勢い任せにスライド扉を開ける。ばしん、と音がしたが、今は扉を気にしている余裕はない。背もたれがなくなり、こちらに倒れ込む砂橋を慌てて支える。羽田も慌ててバスタオルを取ってきて、こちらに渡した。もらったバスタオルをかけてやる。
ふと、前を見ると、湯舟にはこれでもか、と泡が浮いていた。それにこの匂いは。
「羽田、離れろ! 扉を開けてくれ!」
「どういうことだ!」
羽田は分からないながらもすぐに脱衣所の扉を全開にした。砂橋を抱えて、脱衣所へ移動する。
「……ガスが発生してる」
「ガス?」
お湯に浮かぶのは漂白剤の箱だった。
「砂橋は?」
抱えた砂橋は動く様子がない。
羽田の言葉に俺は首を横に振った。
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