第4話 潮騒館殺人事件4
「疲れた!」
「それは、お前が羽田相手に夕飯前も夕飯後も十回以上いろんなゲームを仕掛けていたからだろう。そもそもお前に付き合って次々と違うゲームのルールを出してくるあいつも悪いと思うが」
やれビリヤードだ、やれダーツだ、やれチェスだ、トランプだ、と。いい加減二人の様子を眺めるのも面倒だった他の俺たちはしばらく食堂で話すことにした。夕飯後一時間もした頃に、そう言って食堂の扉を開けた砂橋は流れるように俺の隣の席に座り、一緒に食堂へとやってきた羽田は白田にレモンティーを頼んでいた。
「そういえば、夕飯前に三人トランプしてたよね? その時に聞こえたんだけど、横領事件って」
「だから、ただのでたらめだと言ったんだ!」
砂橋の質問を向かいの席の貴鮫が遮った。
「本当かどうかを確認するために、元社長に話を聞きにきたんだけど?」
「そんなの木更津のメーカーを潰したい第三者の妄言だ!これだから、ゴシップ記者は」
「あら、あなただって、弁護士資格を剥奪される寸前だったって聞いたことあるわよ?」
蝦村の言葉に、声を荒げて否定していた貴鮫の動きが止まる。さすがの砂橋も言葉を挟まずにじっと二人の様子を見ていた。
「……誰だ、そんないい加減なことを抜かした奴は……」
「誰だっていいじゃない」
蝦村は肩をすくめてコーヒーを口に含んだ。砂橋がこちらを見たので思わず俺もそちらを見て視線がかち合うと何か言いたそうに、楽しそうに目を細めるので、俺は思わず小さくため息をついた。
「すまない。遅れた」
食堂の扉が開けられ、話は中断された。
少し肩が濡れてしまったコートを脱ぎながら食堂に入ってきた女性は俺たちに自己紹介をした。
「海女月三月(あまつきみづき)。警察だ」
「警察?」
眉をひそめた羽田に海女月はやれやれというように首を横に振る。
「今は休みだ。捜査じゃない。私もパーティーに呼ばれたんだ」
まさか、もう一人の客が警察だとは。
ますます木更津元社長が何を考えて俺たちをここに集めたのかわからなくなる。
「あ、やっぱり。外、雨降ってる」
海女月を見て、すぐに窓へと近づいた砂橋が呑気に声をあげた。こちらの声が聞こえたのかキッチンから愛が出てきた。
「海女月様、お待ちしておりました。夕食は召し上がりますか?」
「ああ、食べるとしよう」
「ほかのお客様はお風呂でもどうでしょう?一階の玄関から見て右の扉を開けて、通路の右奥に浴室があります。湯は沸かしてありますし、少し広いので数人でも入れます」
愛はそう言うと海女月の料理を用意するためにまたキッチンへと引っ込んだ。海女月はキッチンへの扉に近い席に座った。
「僕、ぱーす。疲れたからちょっと休憩したいし、小腹すいた。蝦村さん先に入ってきたら?」
砂橋に促されて「じゃあ、先にいただこうかしら」と上機嫌で蝦村は食堂から出て行った。蝦村に話を続けられなくなったことに安心したのか、貴鮫は大きく息を吐きだした。
「そういえば、貴鮫さんって弾正の小説読んだことあるの?」
「あ?ああ、あるさ。店頭でイチオシって並んでたからな」
確かに何かの賞を取った時は本屋の分かりやすい場所に飾られたりしていたが。
「本人と出会うことがあるって知ってたら持ってきてたのにな」
「あー、ダメダメ。弾正、サイン下手くそだから」
「おい」
唐突な悪口に思わず口が出た。しかし、サインが得意でないのも事実。サインをねだられても、普段書類に書くような角ばった文字にしかならないのだ。
「そういえば、横領事件って聞いて思い出したんだけど」
砂橋が唐突に話を引き戻して、俺は思わずぎょっとした。
「木更津元社長の会社で横領してた社員がいるって聞いたことあるけど、それの話じゃない?」
「あ、ああ……あのことか」
「横領されたんだな」
てっきり蝦村は木更津元社長が横領に関わっていて、それを調べていると勘違いしていたが、実際は違ったのか。
「吾妻透一(あづまとういち)って社員がいたんだが、そいつがな。まじめな奴で他の社員からも信頼が厚かったんだが……まさか横領していたとはな」
「貴鮫さんは吾妻さんと知り合いだったの?」
「いや……会社に行った時に挨拶されたぐらいだったな。人は第一印象では判断できないな、と思ったな」
砂橋は返答に満足したのか、キッチンの方へと入っていった。おおかた、つまめるものとお酒でも頼みに行ったのだろう。あまり飲みすぎないように注意しておくか。
「弾正はゲームしないのか?」
ふと、暇になったらしい羽田が俺に話しかけに来た。
「砂橋とのゲームはもうそれこそ死ぬほどやらされたからあいつがいる時はやらないことにしてるんだ」
羽田は肩をすくめた。
「そうだな。俺も痛感してる」
「砂橋と一緒に楽しんでいるように見えたが?」
「あんな感じにゲームに誘ってくるやつは初めてだからな」
それはそうだろう。羽田グループの息子を挑発的にゲームに誘うのは砂橋くらいだ。
「あいつとはどんな出会い方をしたんだ?」
「……大学で一緒の講義を取っててな。その授業をまじめに受けている奴が俺とあいつだけだったから、休んだ時のノートを借りたのが出会いだな」
家の用事で休んだ次の授業で、砂橋の姿を見つけて近づくと待ってましたと言わんばかりに「これが欲しいんでしょ?」とノートを差し出してきた。
「なに、懐かしい話してるじゃん」
お盆の上に赤のワイングラスを五つとワインのボトルを載せて、砂橋が食堂へと戻ってきた。どうやら、俺や羽田を巻き込むだけでは飽き足らず、海女月や貴鮫にも飲ませるつもりらしい。
「弾正も宏隆さんも飲むでしょ?」
「出されたら飲むが」
砂橋は海女月や貴鮫にも同じように聞いてまわり、その都度、そばにグラスを置いてワインを注いでいった。どうやら、全員お酒は飲めるくちらしい。
最後に俺のグラスと自分のグラスにワインを注ぐと砂橋は俺の隣に座った。
「そういえば、お前、なんで探偵になろうと思ったんだ?」
「ドラマの探偵にハマったから」
砂橋の答えに羽田は目を丸くした。
「そんな理由で?」
「ブラックジャックを見て外科医を目指す人がいる世の中だよ?ありえないことはないよ」
たぶん、砂橋の言っていることは本当だ。本当にドラマの探偵を見て、探偵になろうと思ったのだ。
「探偵?」
ふと、料理を待ちながらワインの味を確かめていた海女月がこちらを見た。そういえば、海女月は来たばかりだから俺たちの職業も知らないのか。自己紹介でもした方がいいだろうか、と考えているうちに砂橋が「そうなんです」と笑顔を向けた。
「僕は探偵の砂橋、この仏頂面が小説家の弾正。左の彼が羽田宏隆さん。前に座ってるのが弁護士の貴鮫さん。さっき風呂に行ったのが記者の蝦村さん」
海女月は砂橋の紹介をじっと聞くと親指で自分の後ろの扉を指さした。
「キッチンの彼女たちは?」
「メイド服を着てる子が白田さん。黒いワンピースが木更津愛さん」
なるほど、と海女月は頷いてワインをまた一口飲んだ。
「海女月さんは警察って言ってたけど、どこの課なの?」
「ご想像にお任せする」
海女月は口元に笑みを添えると、そう誤魔化した。知られて困ることでもないだろうに。それにそんなことを言うと必ず砂橋が反応するのでやめた方がいい。
「当たったら正解って教えてくれます?」
「……当てられたらいいだろう」
海女月ももしかして乗り気なのか。
海女月の態度からして、交通課というわけではないだろう。もしかして、捜査一課とかなのか。海女月の年齢も何もこちらは知らないため、深く予想しようものがない。
「捜査一課の熊岸さんって知ってますよね?」
「……」
「海女月さんの上司だ」
三度ほど警察に関わって事件を解決した探偵だ。警察内部にも知り合いがいないということはないだろう。元々、海女月の名前をどこかで聞いていたのだろう。
「私の上司と知り合いだったとはな」
「うん。知ってるよ。海女月さんが今、休暇中じゃないことも」
海女月のワインを口に運ぶ手が止まった。
休暇中でないとすれば、何故、彼女は今ここにいるんだ?
どうやら、砂橋は言うだけ言って満足して、自分のグラスのワインを飲み始めた。
「お待たせしました。ビーフシチューです」
白田がキッチンからやってきて、海女月の前にビーフシチューとパンを二つ置いた。海女月がじっと砂橋のことを見ているのが気になったのか白田は首を傾げたが、口に出すことはなかった。代わりに別のことを話したいらしい。
「そういえば、愛さんに聞いたんですけど、ここのお風呂って温泉のお湯を引いてきてるらしいんです! 肌の古い角質を溶かして、ツルツルにしてくれるらしいですよ!」
一緒に夕飯の準備をしている間に話していたのか白田は楽しそうにこちらにそう教えてきた。あいにく、温泉と聞いて浮足立つ人間は食堂におらず、彼女は心なしかしょぼんとして、羽田の近くの壁に立った。
「そういえば、それを教えたあいつは? まだキッチンか?」
貴鮫が白田に尋ねると彼女は唐突な質問に準備できてなかったのか目に見えてあたふたとし始める。
「あ、いえ、キッチンにはいません。木更津元社長に連絡を取るって、言ってました」
「もう七時半になるぞ。これから来るっていうのか?」
羽田が左手首につけている腕時計を見ながら訝しげに眉をひそめた。窓の外も暗い。見えるのは、窓ガラスに叩きつけられ、動き続けている雫だけだ。いつの間にかずいぶんと激しくなっているらしい。こんなに雨脚が強い中、あの曲がりくねった林道を通ってくるのは難しいだろう。
「もしかしたら、明日来るかもしれないな」
貴鮫はため息をつきながら、ワインを飲んだ。
「俺も他の仕事があるからできれば時間が延びるのは勘弁願いたいな」
貴鮫は弁護士の仕事があるから早く帰ってしまいたいだろう。締め切りに余裕を持って提出する俺には全く分からない感覚だ。砂橋はある程度好きにやっているので「仕事に追われる」ということはないだろう。
視界の端では、砂橋が空になったグラスにワインを追加している。
「砂橋、酔うほど飲むなよ」
「大丈夫、大丈夫。そんなへましないよ」
砂橋はけたけたと笑うとワインを飲みながら、俺のグラスにワインを注ぎ足した。そのまま、羽田のグラスにも手を伸ばそうとしたが、羽田がグラスの上に手のひらをかざして阻止した。
「飲まないんですか?」
「俺は次にお湯をいただこうと思ってな」
「ああ、なるほど」
砂橋も納得して、ワインのボトルをひっこめた。
「じゃあ、その次は私が行こうかな」
夕飯をもう半分も食べ終えていた海女月も反応した。砂橋は肩をすくめて座り直す。
「じゃあ、弾正。その次行けば?」
「砂橋は?」
「僕、蝦村さんにたぶん拘束されるから。ワインでも飲みながら事件の話するよ」
「そうか」
俺はその間、持ってきた本でも部屋で読んでおこうか、と考えていると羽田が俺を呼ぶ。
「弾正」
「なんだ?」
「砂橋がいない間、俺とチェスでもしないか?」
「いいぞ」
俺が頷くと「えっ」と砂橋が珍しく驚いた声をあげて、俺の肩を掴んで揺らした。
「なんで? 僕とは絶対やってくれないじゃん!」
「お前とやると俺が五回負けるまでつき合わせるだろう。御免蒙る」
「そんな……!」
何度頼まれても断る俺に砂橋はテーブルに突っ伏した。「僕とはゲームしてくれないんだぁ~」と呻いている。
「みんな、なんの話してるの?」
風呂からあがった蝦村が食堂へと入ってきた。頭の後ろで結んでいた髪を下ろしていたため、雰囲気は少しだけ違うようにも見える。
「砂橋が事件の話を蝦村にしたいと言っていたな」
「えっ」
俺の言葉に砂橋が突っ伏していた顔をあげて、蝦村が期待に満ちた目で砂橋を見た。「え、あの、ちが」と弁明をしている砂橋にずんずんと蝦村が近づく。
「本当に? ありがとう! さっそく貴方が関わった事件について全部聞かせてもらうわよ!」
蝦村はそのまま砂橋を連行して食堂を飛び出していった。去り際に「弾正、この野郎!」と砂橋が叫んでいた気がするが、きっと空耳だろう。
「それじゃあ、俺は風呂に行ってくるわ」
「ああ」
羽田が食堂から出ていき、食堂には、俺、貴鮫、海女月の三人となった。この三人で会話など弾むはずがなく、俺はワインを口に含んだ。
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