第3話 潮騒館殺人事件3

 娯楽室の中には煙草の臭いが漂っていて、俺は思わず顔をしかめた。別に嫌煙家というわけではないが、かといって喫煙者でもない。砂橋は「付き合いとか、話を聞きやすくするためにたまに吸うし、持ち歩いてるよ?」と前に言っていた。

 そういえば、砂橋が煙草を吸っているところを見たことがない。


「こんにちは。皆さんも木更津社長に呼ばれたんですか?」


 ビリヤード台を囲む三人へと砂橋が声をかけながら近づく。


「社長ったって、もう引退したろ?」


 身なりのいい男が答えた。歳は大学を卒業したくらいか。腕時計には高級ブランドの物をつけている。彼は羽田グループの息子だろう。


 羽田グループとは、多くの企業と提携して今もその業種を拡大しているグループだ。今は五代目の羽田隆二(はねだりゅうじ)が仕切っており、息子が三人いるが、後継ぎは副社長もしている長男に決まっていると聞いたことがある。


「ああ、そうですね。元社長だ」


 砂橋が笑顔で言いながらビリヤード台へと近づいた。俺は近くの椅子へと座った。目の前にはチェス盤と向かいの椅子があるが、やるつもりはない。持ってきた文庫本を開きながら砂橋とビリヤード台の三人、そして、三人を眺めるようにして壁を背に立っている黒いスカートに白いエプロンのメイド服の女性を見た。


「僕は砂橋庵(すなばしいおり)と言います。探偵をやってます」

「探偵?」


 砂橋の職業に反応したのは黒い丸縁の眼鏡をかけた男性だった。砂橋と背を比べてみると百六十後半といったところか。


「なんだ、元社長にとある人間を調べろとか言われたのか?それとも漫画みたいに、事件を起こしに来たのか?」


 男の煽りに砂橋はくすくすと笑って首を横に振った。


「昔、木更津元社長とはとある事件でご一緒したので、たぶんそれで呼ばれたんです」

「その事件ってもしかして木更津貴志が社長だった時に新しく店を開こうとしてたテナントで殺人が起こったっていうあれ?」


 舐めていた棒つきキャンディーを口から出して、女性は笑った。動きやすそうなラフな姿なので職業は分からない。


「私は蝦村詩音(えびむらしおん)。ジャーナリストをやってるの」


 ポケットから取り出した名刺を砂橋が受け取って眺めていると、先ほど砂橋を煽った男が鼻を鳴らした。


「ジャーナリストだと? ただのゴシップ記事の編集者だろ」

「もともとは立派なジャーナリストだよ!」


 負けじと言い返す蝦村と男性の間に砂橋が入る。


「どんな記事を書いてたんですか?」

「それこそ、昔は殺人事件とか汚職事件とか追ってたのよ。途中でお偉方に目をつけられて今はゴシップ記事なんて書かされてるけどね」


 お偉方に目をつけられたということは正義感の強さから上の立場の人間が少し困るようなことまで民衆に暴露しようとしたことがあるのか。彼女の話が真実だとは限らないが、もし彼女が名の知れた出版社であるのならば、それこそ優秀な記者かもしれない。すべて、俺の想像の範囲内であるが。


「もちろん、職業柄、貴方が関わった他の二つの殺人事件のことも気になるわ。砂橋くん」

「蝦村さんに知られているなんて光栄ですね」


 砂橋は木更津貴志と知り合った事件を含め、三度ほど、警察の捜査に協力したことがある。それもすべて巻き込まれてしまった成り行きからだが。普段はそれこそ浮気調査や迷い猫を探したりしている。


 砂橋が三度、殺人事件に遭遇し、それを解決したことを知っている時点で、彼女の優秀さが分かる。実際、砂橋の活躍は新聞やテレビなどでは出ていない。警察の威信に関わるし、砂橋も有名になりたいわけではない、という両者の考えの元、それらの事件は警察によって解決されたことになっているからだ。警察関係者、それに事件の関係者に話を聞かなければ砂橋が事件に関わったことは知らないはずだ。


「気を付けてね。さっきから突っかかってくるこの男。自称弁護士って言ってるけどどうも胡散臭いのよね」

「俺はれっきとした弁護士だ。ちゃんと弁護士バッジだって持ってる」


 そういうと彼はポケットの中からケースを取り出して、砂橋と蝦村に、ひまわりと天秤をモチーフにした銀色のバッジを見せた。


「……へぇ」

「弁護士だったんですね、えっと……」

「貴鮫(きさめ)だ。自己紹介するつもりなら、お前の連れも紹介してもらおうか」


 ついに俺へと視線が向けられたので、俺は開いていた文庫本を閉じて貴鮫の方を見た。


「弾正影虎(だんじょうかげとら)だ。この名前で小説を書いている」

「だ、弾正ってあの歴史小説家か!」


 今まで見下していたような態度の貴鮫が目を丸くして声を大きくした。どうやら俺の著書を知っているらしい。自分でもそれほどまでに有名というわけでも、有名ではないというわけでもないと自負しているので知っている人間に遭遇しても気にならないが。


「そうだ。砂橋は大学からの友人で、よく行動を共にしている」


 実際、砂橋が解決した三つの殺人事件の際も、俺は砂橋と行動を共にしていた。


 一度目は、ショッピングモールのとある店で。

 二度目は、訪れていた会社が入っているビルの一階で。

 三度目は、俺の親戚の家で。


 砂橋の巻き込まれ体質には感服を示しているほどだ。

 俺の言葉に貴鮫は砂橋を見て、私を見た。丸縁の眼鏡を人差し指で元の位置へと戻した。


「そ、そうか……。そういうことなら彼はちゃんとした探偵なんだろうな」

「普段は浮気調査や迷い猫探しが主だけどね。殺人事件はほんと成り行きで解決しただけ」


 砂橋は肩をすくめた。


「へぇ。ほんとにいたんだな。小説みたいに殺人事件を解決する探偵ってやつ」


 今まで値踏みをするようにこちらの会話を見ていた羽田が笑った。キューをふらふらと揺らしている。


「そういえば、三人でビリヤードするんじゃなかったんです?僕たち邪魔しちゃいました?」

「そんなことねぇよ。誘ったはいいものの、弁護士も記者もビリヤードは初めてだって言いやがるから、どう説明したもんかと思ってな」


 砂橋はすっと一歩前に出ると蝦村からキューを受け取って、ビリヤード台を挟んで羽田の向かいに立った。


「じゃあ、僕との勝負でもやりませんか?その方が見てて分かりやすいと思いますし」

「そっちの小説家は?」

「俺は遠慮する。手先が器用ではないからな」

「じゃあ、ナインボールでもやるか」


 正直、砂橋とはゲームの類はやりたくない。今まで砂橋に付き合って様々なゲームをやったが、妙に凝り性なあいつは「勝ち続けられるようになるまで終わらない!」と言い出して、俺が五連敗するまで続けるのだ。


 まぁ、そのおかげで砂橋はたいていのゲームはできる。


「先攻はお譲りしますよ。羽田さん?」

「苗字で呼ばれるのは好きじゃねぇんだよ。宏隆(ひろたか)だ」


 ナインボールとは、ビリヤードの球に書かれた一番のボールから狙い、九番まで順にポケットに落としていくゲームのルールのことを言う。順番のボールをポケットに入れることができれば、続けてプレーをすることができる。


「そういえば、壁際で立ってる彼女は?」

「ああ、あれは俺のメイドだよ。白田(しろた)って言うんだ。一人でいいって俺は言ったんだが、親父に連れて行けってごねられてな」


 砂橋がメイド服の白田の方を見ると彼女はぺこりと頭を下げた。背は百五十半ばと言ったところか。


「白田。そこに突っ立ってるつもりなら、なんか飲み物でも淹れてきてくれよ」

「あ、失礼しました……! いますぐ淹れてきますね!皆さんの分はどうしましょうか……」


 白田はぱたぱたと扉へと走ると思い出したように振り返り、娯楽室の面々を見た。


「じゃあ、僕、お茶。お茶ならなんでもいいよ」

「俺もだ」

「俺はいつも通りレモンティーでな」

「じゃあ、俺はコーヒーのブラックで」

「私もコーヒーのブラックでお願い。一緒に運びましょうか?」

「い、いえ! 大丈夫です! 一人でできますので!」


 白田はちぎれそうな勢いで首を横に振るとそのままの勢いで娯楽室を飛び出していった。その様子に羽田がため息をつく。


「分かるだろう。ああいうやつなんだ。だから、別についてこなくてもいいって言ったのに……」

「付き合いが長いんですか?」


 いつの間にか羽田のプレイが終わっており、砂橋がキューを構えながらそう聞いた。


「親父があいつを俺につけたのが五年前くらいだから。そうだな。わりと長いな」

「さすが、羽田グループ。長男だけじゃなく次男坊にも待遇がいいこったな」


 貴鮫の言葉に羽田は眉間にしわを寄せた。触れてほしくない話題だったか。


「兄貴のことを言うんじゃねぇよ」

「そういえば、宏隆さんたちはみんな木更津元社長から招待状をもらったんですか?」


 自分のプレイが終わった砂橋が羽田に次を促すと彼は「ああ」と頷いた。


「それ以外にあるか? お前ももらったんだろう?」

「ああ、いや、僕のはたぶん内容が違うので他の人はどんなものを送ったんだろうなって」

「はぁ? なんだそりゃ」

「あらやだ、事件解決の依頼だったり?」


 蝦村が会話に参加する。砂橋は「いえ、事件っていうほどのことではないです」と否定した。


「本当に僕が普段してるのは調査なので、なにかしらの調査の依頼のついでにパーティーに出席しないかって来たんですよ。友達の小説家もどうぞ、って。だからまだなんの話か聞いてなくて。それに、気になるんですよね。職種もバラバラな僕らが呼ばれたことが」


 気になりません?と小首を傾げる砂橋にそれぞれ反応を示す。思うところはあるようだ。今のところ、探偵、小説家、弁護士、記者、羽田グループの次男、メイドだ。接点もないだろう。


「実は、招待状は俺じゃなくて、親父に届いたんだ」


 羽田は肩をすくめた。


「親父が忙しいから、代わりに行けって言われてよ」


 もし、彼がここに来なかったら、この場にいたのは羽田グループの現会長が来ることになっていたということだ。なおさら、この組み合わせが分からなくなってくる。そもそも羽田グループの会長など、こちらからすれば天の上の人間だ。それは、木更津元社長も同じことだが。


「俺は木更津元社長から遺産についての相談ついでにパーティーにって来たな」


 貴鮫はどうやら木更津元社長が前から懇意にしている弁護士らしい。そういうことなら有名な事務所の弁護士だろうか。


「私は前からずっとインタビューしたくってアポとろうと必死だったんだけど、やっとって感じ。どうせなら、人目があるところでインタビューしたいって。変な質問しないか心配だったんでしょ」


 なるほど、何故、わざわざ「何かの調査の依頼」と「遺産の相談」と「インタビュー」をパーティーに合わせたのか分からない。

 まぁ、それは俺たちを招待した本人に聞けばいい話だ。


「皆さん、ここにいたんですね」


 扉を開けて入ってきたのは、俺たちを玄関で出迎えた黒いワンピースの少女と、お盆の上に人数分の飲み物を載せて両手でそれを支えている白田だった。「ありがとうございますっ」と慌てて言っているあたり、両手が塞がっていて扉を開けれない白田を見かねて少女が手助けをしたのだろう。


「そういえば、愛ちゃん。招待客はこれで全員?」


 蝦村の質問に黒いワンピースの少女は、ゆっくりと首を横に振った。


「もう一方、いらっしゃいます」

「木更津元社長は?」

「まだ用事が長引くようで……」

「まだって……もう五時になるわよ?パーティーをするなら、もう夕飯の準備とかもしなきゃじゃない? まさか、愛ちゃん一人に準備させる気かしら?」


 蝦村の言葉はもっともだ。

 今のところ、この潮騒館に使用人の姿は見受けられない。招待した木更津側の人間といえば、愛ちゃんと呼ばれた少女しかいない。


「あ、私も手伝えたら手伝ってほしいと言われたので愛さんだけではないです!」


 白田がまず羽田にレモンティーを差し出して、近くにいた砂橋、蝦村、貴鮫に飲み物を渡すと離れた俺のところにやってきて、お茶の入ったコップを手渡してきた。


「メイドさんなら本職だろうし、問題ないだろうけど、僕も手伝おうか?」

「いえいえ!大丈夫です! 私もメイドですのでこのくらいは当然です!」


 一人で扉を開けれなくなっていたが、信用してもいいのだろうか。


「気にするなよ。それとも、ゲームを途中で投げ出すか、探偵?」

「まさか」


 どうやら、羽田の方もゲームには負けるつもりがないようだ。白田と愛は娯楽室を出て、料理を作りに行った。すると、砂橋と羽田のゲームを見ていたはずの蝦村と貴鮫が俺の前と左の席に座った。文庫本を閉じると同時に蝦村がトランプの束を持っていることに気づく。


「あの二人、説明するとか言いながら、熱中しちゃってるから私たちは私たちで楽しみましょう?」

「夕飯まで暇だしな。本はいつでも読めるだろう?」

「そうだな」


 俺はテーブルの端に文庫本を置いた。


「ところでインタビューと言っていたが、なんのインタビューだ?会社の今後についてなどか?」


 俺の質問がたいそう面白かったのか、蝦村はカードを切りながら、口元に笑みを深めた。


「私が木更津元社長に聞きたいのは、そんなありふれた話題じゃないわ」


 カードを配って前かがみになりながら、蝦村は声を潜めた。


「私が追っているのは、とある横領事件のことよ」

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