幻術士第二部第十一章

 マドレヴァルファスから聞かされた召喚という魔術の特性、そして『失われた空術』が盗まれた事。このふたつが気になって仕方ないけど、午後はジマイ伯爵の屋敷に行かないといけない。カーラさんとの二度目のお見合いのためだ。いつものように宮殿の門前に迎えの馬車が来るのを待つ。色々と考え込んでしまっている俺にリラが尋ねてきた。

「レイジさん……レイジさんは私の事を家族のように思ってるって言ってくれました」

「え、ああ、うん。本当だよ。リラは居場所が無いって言ってたよね。俺がリラの居場所を作るから、安心してほしい」

本気で思ってることだ。

「でもレイジさん。最近、何か私に隠し事……してませんか? 今日も昨日もルソルさんとセラエナさんと、三人で集まってましたよね?」

そうか……。そういえば、リラにはマドレヴァルファスの事もクレイアさんが来た事も話してないんだった。俺たちが深刻な顔してたのは気付いてただろうし、自分だけ除け者にされたって感じてたんだ……。悪いことしちゃったな。

「ごめん、リラ。心配させちゃうと思って黙ってた事があるんだ。かえって不安にさせちゃったか……」

ジマイ伯爵の紋章が入った馬車が到着した。ちょうどいい、馬車の中なら他の人に聞かれる心配も無い。


 馬車に揺られながら、リラに黙っていたことを話す。

「実は……深緋のマドレヴァルファスっていう悪魔が、〈夢の言伝て〉で接触してきたんだ」

リラの表情がさっと変わる。

「あと昨日、クレイアさんが来て、『失われた空術』を焼き捨てろって迫ってきたんだ」

「そんなことが……」

「クレイアさんは、リラのことを言わなかった。俺たちが召喚術を悪用しないと判断してくれてるんだと思う。ノルカルゲノでは禁術を世に放つわけにはいかないって言ってたけどね」

あの時はリラを睨みつけてたからなぁ。

「レイジさん、悪魔の接触って、大丈夫なんですか?」

「それなんだけど、最初は俺を騙したり、操ったりして、リラに召喚術を使わせようとしてると思ったんだ。だから、言う事は全部無視して疑ってたんだけど……もしかしたら違うかもしれない」

そう言う俺を、リラは訝しむ目で見た。

「召喚には種類があるってことを教えてくれた。同じ世界のどこかから呼び出す〈遠方よりの召喚〉と、異世界から呼び出す〈異界よりの召喚〉だ。リラは俺を呼び出したように〈異界よりの召喚〉が使える。これってつまり、悪魔を異世界に送り返す強力な〈反召喚〉を使えるだけの適性があるってことなんだ」

リラは今聞いた話を理解しようと言葉を反芻してるみたいだ。少し待ってから続ける。

「悪魔たちは元の世界に帰りたいらしい。それで適性の高い召喚術士を探してたんだ。でも、地獄から地上に〈遠方よりの召喚〉をされると、無差別な破壊活動をしないといけないらしい」

リラが不思議そうな顔をする。

「召喚術は召喚する相手に制約を加えることができるんだって。そのせいで、悪魔たちにはできないことがあるそうなんだ。カイタリアケイアスがリラに〈隷属の呪い〉を使わなかったのも、その制約のせいらしい」

リラは疑わしげな目を俺に向けた。俺が悪魔に操られているかもしれないって思ってるみたいだ。

「エトナさんに会う度に破術を掛けてもらってるよ。今日も帰りにワンディリマ寺院に寄っていこう」

そう言うと、考え込んでしまった。

「あと、そうだ、今朝わかったことなんだけど、シャナラーラ寺院に隠しておいた『失われた空術』が盗まれた。これもマドレヴァルファスから教えてもらって発覚した事なんだ」

「レイジさんは……その悪魔の言う事を信じるんですか?」

「まだ迷ってる。信じるものかって思ってたんだけど、悪魔って、俺たちが思ってたのとは少し違う存在なのかもしれない。あっ、このことはまだリラにしか話してないんだ。信じてもいいのかもしれないって思うようになったのは今日のお昼前だから」

そう言うと、リラは慎重に言葉を選ぶようにこう言った。

「レイジさん……。私は悪魔を信じるなんて無理です。でも、〈反召喚〉でレイジさんを送り返して、悪魔もこの世から消し去れるのなら……召喚術の修行をする覚悟があります」

「うん。悪魔の脅威を取り除けるなら、この世界のためになると思う」

「レイジさんは――」

馬車が止まった。

「この話の続きはまたあとでしよう」

リラは、はいと答えた。


 ジマイ伯爵の養女、元々姪だったカーラさんは思慮深い人だ。なんでも、結婚する気は無くて、学者になるつもりだったらしい。

「女性の学者は多くありません。高等教育を受ける機会が少ないためです。私の実父は変わり者で、私が学問をする事を許してくれました」

前回、初めて会った時、カーラさんは俺にひとつ頼み事をしてきた。妻になっても学問を続けさせてほしいって。俺には反対する理由が無い。そう伝えると、とても嬉しそうな顔をしたのが印象的だった。

「伯父様の養女になってこの屋敷に来てからは満足に本も読めません。もし、レイジ様との縁談が成立しなかった場合、私はジマイ伯爵の娘としてどこかへ嫁ぐことになるでしょう。その嫁ぎ先が私に学問を続けさせてくれるとは思えません」

カーラさんの切れ長の目が伏せられる。

「レイジ様、どうか私を妻に迎えてください……。見合いの席でこんなことを言うのは、本来であれば許される事ではありません。ですが、私にはレイジ様の心を射止めるだけの魅力がありません」

カーラさんが連れている侍女はきっと実家から一緒に来たんだろう。カーラさんの貴族の作法から外れた言葉を受けて、俺に何かを訴えかけるような目を向けてくる。主人に学問を続けさせてほしいんだろう。俺は二人の想いに応えたい。

「カーラさんに魅力が無いなんて、私はそうは思いません。カーラさんは聡明な人です。この国のことをまだよく知らない私にとって、きっといい相談相手になってくれると思っています」

「レイジ様……。ありがとうございます。ただ、伯父様は先の内乱で摂政殿下に歯向かいました。そして私は実子ではありません。その……失礼な質問をお許しください。レイジ様は結婚の相手をご自身で決められるのでしょうか」

ルソルさんは気に入った相手がいれば序列を上げるって言ってた。もし、ジマイ伯爵の養女がダメだっていうなら、そもそも、こうして二回目の見合いをせずに断るように言ってきたと思う。

「大丈夫です。ルソルさんは、あっ、摂政殿下は、私の意見を尊重してくださいます」

「それを伺って安心いたしました。私は普通の貴族の娘のような気の利いたことはできません。ですが、培った知識で、レイジ様をお支えしたいと思います。どうか、よろしくお願いいたします」

今夜、ルソルさんにカーラさんを妻にしたいってさっそく言わないと。カーラさんは自分に魅力が無いって言うけど、賢いし、美人だし、俺にはもったいないと思ってる。俺と結婚することで学問が続けられるなら、応援してあげたい。


 帰りの馬車の中でリラが尋ねてきた。

「レイジさんはもう元の世界に帰る気は無いんですか?」

「リラにセラ姉、シアさんにカーラさん。全員を連れて帰るのは無理かな。子供が産まれたら放って帰るなんてできないし、孫が産まれる頃には帰ろうなんて気も起きないと思う」

リラはうつむいてしまった。

「帰りたい気持ちは今でも強いよ。両親と兄ちゃんは心配してるだろうし、友達にも会いたい。だけど、俺にはもう、守らないといけない家族がこっちにいる。両親は兄ちゃんがいるから大丈夫だよ。それに、ひとついい考えがあるんだ」

「いい考え……ですか?」

今日、マドレヴァルファスから空術のことを聞いて思い付いたことだ。

「〈夢の言伝て〉は異世界にも届くんだ。同じように異世界にも届く連絡手段が空術にはあると思う。もし良ければ俺の家族に俺が無事だって伝えてもらえないかな」

「わっ、私にそんな事ができるでしょうか!? 言葉も通じないんじゃ……」

そう、簡単じゃない。

「なんとかして空術について勉強できる本を探さないといけない」

マドレヴァルファスは『失われた空術』では〈反召喚〉が修得できないって言ってた。たぶんだけど、あの本は魔導書としてはそんなにレベルが高くない。もっと詳しいことが書いてあって、リラが高等空術を編み出す助けになる本が必要だ。

「魔導書を探すためにお金と権力を手に入れる。バラダソールの貴族になれば、それができるはずだ」

リラは不安そうな顔をしている。

「もちろん、リラに空術を修得することを強制はしないよ。すっぱり諦める覚悟もしてる」

「……〈反召喚〉を修得すれば悪魔を追い返せるんですよね」

「ああ、召喚の取り消しだからね」

「今後悪魔に怯えずに生きていくためにも、〈反召喚〉だけは修得しないといけないと思っています。その過程や延長でレイジさんのご両親に連絡する方法がわかれば、お力になりたいと思います」

「ありがとう」

ワンディリマ寺院の前で馬車から降ろしてもらった。〈遠隔念話〉を受けたときにマドレヴァルファスから何か魔術を掛けられていないかエトナさんに確認してもらうためだ。ただ、エトナさんが強力な破術士だって知ってるマドレヴァルファスが、そんなすぐにバレるようなこと、しないと思うけどね。


 予想通り、エトナさんの破術は何も解除しなかった。

「クレイアが来たらしいじゃない。リラのこと?」

「いえ、『失われた空術』の焚書に協力するよう言ってきました」

「協力って、バラダソールにあるかもしれないってこと?」

エトナさんはキャナスさんがあの本を持ってきた事を知らない。盗まれた話もしないでおこう。

「俺にはあれを欲しがる動機があると思ってるんでしょうね。実際、悪魔の召喚を取り消す魔術をリラに修得してほしいと思ってます」

「なるほどね、取り消しができるなら、いざという時の対策になるもんね。……ねえレイジ」

真剣な顔をするエトナさん。

「表立ってというわけにはいかないけど、私も探してみようか? 『失われた空術』」

「ぜひお願いしたいです。ただ、リラが一応一度は読んでる本です。他の禁書を探した方が召喚取り消しの方法に近付けるんじゃないかと思ってます」

エトナさんは少し考え込んだ。

「わかった。禁術について書かれた本の噂を聞いたら教えるわ。でも、あんまり期待しないでね」

「ありがとうございます。無理はしないでくださいね。せっかく司祭に昇格できたんですから」

「言うようになったじゃない。大丈夫よ、商人たちの噂を集めるだけだから」

「よろしくお願いします」

うんうんと頷くエトナさん。

「見返り期待してるよ、未来の大貴族さん。それじゃあね」



 夜、ルソルさんにカーラさんとの結婚の話をしようとすると、それより先に『失われた空術』についての話をされた。

「北に向かう街道沿いでナクアテン寺院の助祭ビウスの死体が発見されました。現場に争った形跡は無く、ビウスは背中からひと突きされていました」

「油断しているところを殺されたわけですか」

「臆測に過ぎませんが、ビウスは誰かに渡すために『失われた空術』を盗み出させたのでしょう。真鍮の鍵への依頼料を助祭が用意できるとは思えませんし」

「その渡す相手に口封じのために殺された。そんな感じですかね」

ルソルさんは頷く。

「足取りが追えなくなってしまいました。クレイアさんに依頼したビウスの背景の洗い出しがうまくいかなかった場合、手詰まりです」

マドレヴァルファスに聞くという手もあるけど……ルソルさんは止めるだろうな。〈遠隔念話〉で話した事も黙っていよう。

「ルソルさん。話は変わるんですが、ジマイ伯爵のところのカーラさんを妻に迎えたいです」

ルソルさんは驚いた顔をした。

「レイジさん、ずいぶん積極的になりましたね。もちろん構いません。……レイジさんの希望が無ければジマイ伯爵の話は断るつもりでいましたが」

「元キンギス派で実子じゃないからですか?」

そうです、とルソルさん。

「そこまで理解した上でカーラさんを選ぶのはどうしてでしょうか? もちろん、純粋に女性として好みだというのならそれで構いませんが」

「カーラさんは結婚せずに学者になりたかったそうです」

ルソルさんは、ほう、と言った。興味を持ったらしい。

「カーラさんの実のお父さんはそれでいいと思ってたらしいんですが、ジマイ伯爵は政略結婚のために彼女を養子に迎えました。もし俺が断れば、今の父親である伯爵の意向でどこかに嫁ぐことになるでしょう。そうなると、もう学問はできないかもしれません」

「つまり……レイジさんはカーラさんを妻にして、学問を続けさせたいと?」

「はい。聡明なカーラさんは、きっと知識の面で俺を支えてくれると思います」

「なるほど、そこまで考えているのであれば、私から言う事はありません。縁談を進めておきましょう」

俺はありがとうございますと言ってルソルさんの顔から視線を外した。ふと、視界の端に見覚えのあるものがちらりと映った。机の上に『神々の与えたもうた魔術』がある。

「ルソルさん、あの本、読んでるんですか?」

「ああ、これですか。悪魔への対策になるかもしれないと思いまして。レイジさんは注釈を読んだのですよね?」

「実は……」

タイミングを逃しちゃってた女神の恩寵の事を話しておこう。

「俺はシャナラーラ女神からこの世界の言葉がわかるようにしてもらっていたんですが、どうやら神聖語も読めるみたいです。試していませんが、古代語もわかるかもしれません」

「なんですって!?」

仰天した。今のルソルさんの反応はそういう言葉がしっくりくる。

「ちょっと、ここを見てください」

ルソルさんが開いたページを見る。

「この、〈実際のところ、元素術には火や水や風といった基本的な元素だけではなく、鉄や酸といった現在では元素と思われていない物質への作用もある〉という箇所ですが、読み下せますか?」

「実際のところ、元素術には火や水や風といった基本的な元素だけではなく、鉄や酸といった現在では元素と思われていない物質への作用もある。です」

ルソルさんは口元を押さえて考え込んだ。

「レイジさんが貴族になった暁には司法長官になってもらい、司法大臣のウェンフィス伯爵から色々と学んでいただこうと思っていたのですが……。司書長官をお任せしたいと思います」

司書長官? たしか、宮廷で作成される文書を管理する部署のトップのはず。

「司書長官本来の仕事は副官に任せてください。レイジさんには古文書の翻訳をお願いしたいです。学者のような仕事で申し訳ありませんが、女神の恩寵を活用しない手はありません」

難しい仕事じゃない。責任も大きくない。俺としてはありがたい。なので、いいですよと答えた。ルソルさんの顔が綻んだ。

「そうと決まれば国の内外から読めない書物を集めさせましょう。書庫も拡張しなければなりませんね」

おお、セオゼさんが喜びそうだ。それに、読めない書物の中にもしかしたら空術について書かれたものがあるかもしれない。いいぞ、これはいい流れだ!

「ただ、司書長官では少々格が足りませんね……。司暦長官と司学長官も兼任していただきましょうか。どちらも実務は副官に任せてください」

司暦長官はカレンダーを作る仕事だ。この国は月の満ち欠けを基準にした太陰暦を使ってるけど、そうするとどうしても夏至と冬至を基準にした太陽の運行とずれが出てくる。だから閏月を決めるのが司暦庁の主な仕事だ。細かく言うと、農民のための農事暦という種まきの時期を決めたりする暦も作ったりする。対して、司学長官は大学の学長みたいなものだ。宮廷のお抱え学者に関する事を統括する。司暦長官も司学長官も一等勲士が就くのが通例だ。ルソルさんの言うように司書長官もそこまで偉い肩書きじゃない。だから、司書庁と司暦庁と司学庁の三庁の長官を兼務することで格を上げようって作戦みたいだ。

「いっそのこと三つの庁を統括する新たな大臣職を設けてもいいかもしれません。伯爵家が増える事を考えると既得権益を脅かされることを恐れる貴族たちからの賛同も得られそうです……」

俺としては何でもいいかな。特にやりたい役職があるわけじゃない。むしろ法律の本で苦戦した身としては、司法長官にされなくて良かった。

考えを中断してルソルさんがこちらに向き直る。

「ところでレイジさん。来月の末にはレイジさんに爵位を授ける式典を行おうと思います。その時に役職の就任も行い、続けて結婚の式典へと繋ぐ予定です」

来月……! ついに貴族になって結婚するのか。

「その時点での夫人は四人を考えています。今月中にあと二人、決めておいてください。最初の四人に選ばなかった相手も、順次婚約していけば良いので、難しく考える必要はありません」

まだ見合いの日取り決めの段階の相手もいる。そんな状況であと十日で決めないといけないのか。

「わかりました。今はお見合いに集中することにします」

「はい。『失われた空術』の問題はお任せください。それと……」

まだ何かあったっけ?

「悪魔からの接触にはどうか強い心を持って立ち向かってください」

「はい……」

信じたくなってるなんて、口が裂けても言えないよな。今夜、〈夢の言伝て〉で色々確認しておこう。

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