幻術士第二部第十章

「やあ、レイジ」

マドレヴァルファスの〈夢の言伝て〉だ。やっぱり諦めたわけじゃなかったんだな。

「今日は残念な報せが二つある。大きい方と小さい方、どちらから聞きたい?」

なんだ? また惑わそうとしてるな?

「……返事無しか。まぁいい。大きい方から話そう。私の仲間、鬱金うこんのグロウンドラウネルが地上に召喚された」

(何だって!?)

「お、反応してくれたね」

しまった。動揺させる嘘かもしれないのに引っ掛かってしまった。

「場所はリキャビアク王国の首都レイワードだ。北西州からバラダソールまで情報が行くには数ヶ月かかるだろうな」

すぐには真偽を確認できない情報だ。やっぱり惑わせることが目的か。

「現代の人間が鬱金のをどうこうするのにどのぐらいの時間がかかるかはわからない。幸いあいつはあまり活発に移動する奴じゃない。被害は北西州に限定されるだろう」

この疑わしい情報、ルソルさんに教えてもいいものだろうか……。

「そして小さい方だが、レイジにはこちらの方が衝撃的かもしれないね」

さあ、何を言い出す?

「ネッサのシャナラーラ寺院から『失われた空術』が盗み出された」

(何だって!?)

「真鍮の鍵による犯行だ。ナクアテン寺院で情報を得た者が依頼主だな。本を持って北の方へ逃走したが……詳しく聞くかい?」

落ち着け俺。この情報はすぐにでも事実確認ができる。本当の事を話す保証は無いけど、聞くのは確認後でもいいはずだ。

(事実だと確認できたら聞いてやってもいい)

「いいね。明日は会話が弾みそうだ。楽しみにしているよ」

〈夢の言伝て〉が途切れた。


 俺は起きてすぐにルソルさんの部屋の扉をノックした。返事があったので中に入る。ルソルさんはまだ身支度中だった。

「どうされました?」

「数日ぶりに悪魔からの接触がありました」

ルソルさんの表情が険しくなる。

「ただ俺を惑わそうとしているだけかもしれません。だけど、事実か確認しないといけないような事を言っていました」

聞きましょうとルソルさん。

「固有名詞を覚えてないのはごめんなさい。北西州にある王国の首都で悪魔が召喚されたそうです。鬱金のなんとかと言っていました」

「悪魔が召喚された……!?」

「バラダソールは遠いので情報が伝わるには数ヶ月かかるだろうって言ってました」

ルソルさんは少し考え込む。

「鬱金……。鬱金のグロウンドラウネルですね、確か。第一から第四までの戦役を通じて、苛烈な攻めこそ無かったようですが、どの英雄もその守りを崩すことはできなかったと言います」

マドレヴァルファスはあまり活発に移動する奴じゃないって言ってた。きっとその悪魔だろう。

「こちらから確認のための人員を派遣しましょう。嘘だと判明するのならそれに越したことはありません」

俺はその言葉に頷く。

「ルソルさん。悪魔はもうひとつ確認が必要なことを言っていました。すぐにでも確認すべきことです」

ルソルさんは真剣な顔で、何でしょうと聞いた。

「シャナラーラ寺院の『失われた空術』が真鍮の鍵に盗み出されたそうです。ナクアテン寺院から情報が漏れたとも言っていました」

ルソルさんの目が驚愕に見開かれる。

「つまり……クレイアさんが我々から得た情報を何者かが知り、昨夜のうちに真鍮の鍵を通じて盗み出した、と?」

はい、と答える。

「すぐに確認させましょう。事実ならどこかで悪魔が召喚されてしまう恐れがあります」

マドレヴァルファスが俺をおちょくって楽しんでるだけだといいんだけど……。


 俺はルソルさんの執務室に控えて、シャナラーラ寺院へ確認に行った役人の帰りを待っていた。役人には詳細を知らせていない。ルソルさんが託した本は無事かと聞きに行かせただけだ。


 役人はそう時間が経たないうちに帰って来た。報告によると、司教は最初、何の事だとしらばっくれたらしい。ルソルさんの署名した証書を見せてもしばらく疑っていたものの、根気よく説得した結果、確認すると言って寺院の奥に引っ込んだそうだ。そして……世界の終わりのような顔をして戻ってきたという。つまり――

「本は無かったということだな?」

「はい、厳重な施錠がすべて開けられていたそうで、盗まれたようです。司教殿はナクアテンの神官を疑っていました。なんでも昨日、その本を引き渡すよう要求があったとか」

「わかった。ご苦労だった」

役人が退室すると、ルソルさんは額に手を当てて大きなため息をついた。

「クレイアさんを呼びましょう」


 昨日と同じ、ルソルさんの執務室に俺とセラ姉とクレイアさんが集まっている。セラ姉には事情を説明しておいた。さすがに表情が険しい。

「さて、クレイアさん。その様子だと事態を把握していませんね?」

眼鏡を押さえて首を傾げる。

「何でしょうか?」

「昨日、私が『失われた空術』の在処をクレイアさんに伝えた後、シャナラーラ寺院に賊が入りました」

クレイアさんの表情が急変する。

「クレイアさん。情報を共有した人物を挙げてください。その中の誰かが裏組織に依頼をしたはずです」

俺はマドレヴァルファスの言葉を思い出して口を挟む。

「いなくなった人はいませんか? 『失われた空術』を持って、逃げたはずです」

あのクレイアさんが狼狽している。目が泳いでいるし、ずれた眼鏡を直そうとしない。

「ネッサのナクアテン寺院に全面協力を頼んだ……。司教と司祭は全員事情を知っている。おそらく助祭にも話は行っている……でしょう」

「いなくなった助祭がいる。そういうことですね?」

「はい。ビウスという助祭が昨夜から行方がわかりません。ナクアテン寺院は規律を重視します。理由も告げずに寺院から外出し、朝になっても帰ってこないなどあってはならないことです。それで今朝、少々揉めていました」

真鍮の鍵の事を知っていたのはどうしてだろう。ルソルさんもそこを確認したいらし

い。

「クレイアさん。そのビウスという助祭。バラダソールの出身ですか? ナクアテンの神官がこの地に潜む秘密の裏組織を知っていたのが解せません」

「そこまでは……。確認させます」

神官になる前から真鍮の鍵の事を知っていた可能性もある。

「捜査を行っている者たちにナクアテン寺院の助祭ビウスの情報を伝えさせましょう」

「朝一番にネッサを出たとすると、探すのも一苦労ですね」

セラ姉の言う通りだ。……もし、マドレヴァルファスが真実を言っているなら、本を盗んだ助祭の行き先も知っているはず。

「ルソルさん、少しいいですか?」


 俺は隣の個室でルソルさんにだけ相談をする。

「マドレヴァルファスが真実を言うとは限りませんが、盗み出した犯人の行き先を知っている口ぶりでした。危険かもしれませんが情報を求めてみませんか?」

昼寝をすれば、喜んで語りかけてくるだろう。ルソルさんは難しい顔で考え込む。

「悪魔の召喚を阻止するために悪魔に助力を求めるというのは……。しかし、大本の情報も悪魔からもたらされたもの……」

「俺も不本意です。ここで嘘をつかれて見当違いな対策をさせられるかもしれません」

そうですね……とルソルさんは言うと、かぶりを振った。

「悪魔の力を借りようとする者は、その邪悪さを知りながらも、出し抜けると思い込んで破滅してきました。やめておきましょう」

「わかりました」

元々良い考えだと思って提案したわけじゃない。ルソルさんがやめた方がいいというならやめておこう。


 その後、クレイアさんはナクアテン寺院へ戻り、ルソルさんは公務を再開した。セラ姉は教官の仕事に行き、リラは部屋の掃除をしてくれている。俺は宮殿の中庭を眺めながら考えを整理する。

こんな事を考えている時点で毒されているのかもしれないけど、マドレヴァルファスはどうして情報をくれたんだろう。もし本当の事を言っているとしたら? 俺の味方だと言っていた。信じられるわけがないけど、とりあえず、これが本当だったとしよう。元の世界に帰るのが目的だって言ってた。そのためにリラに〈反召喚〉を修得させたがってる。でも、〈反召喚〉を使っても地獄に戻されるだけじゃないのか? ……召喚術のことはわからないことだらけだから保留にしよう。あとは召喚術の制限のせいで、伝えられないことがあるとも言ってた。一度、〈夢の言伝て〉が途切れたこともある。あの時は俺の記憶もあやふやになった。多少、信憑性がある。制限といえば地上に召喚されれば人間の文明を破壊しないといけないと言っていた。自分たちの意思じゃないって言ってたよな? 召喚者がそんな命令をするのはどうしてだ? ミリシギス伯爵は戦争のためにカイタリアケイアスを召喚しようとしたはずだ。敵を倒すのが目的で、無差別な破壊までは求めるはずがない。そして、伯爵は途中から制御を手放して召喚そのものを目的にしていた。それはカイタリアケイアスに操られてのことだと思う。つまり、カイタリアケイアスは地上に出て暴れることを望んでいた。よし、結論。マドレヴァルファスは嘘をついている。奴の言うこととカイタリアケイアスの行動は矛盾する。そうだろう? マドレヴァルファス。

(悩んでいるな、レイジ)

突然、マドレヴァルファスの声が頭に響いた。そんな、どうして?

(何を驚いている。お前は『神々の与えたもうた魔術』とかいう本を読んでいただろう。〈遠隔念話〉という空術の存在を知っているはずだ)

(〈遠隔念話〉だって? そんなものが使えるなら、どうして〈夢の言伝て〉を使っていたんだ?)

思わず尋ねてしまった。まずいぞ、このままじゃミリシギス伯爵のように操られるかもしれない。

(〈遠隔念話〉はお互いが会話を望まなくては発動できない。ずいぶん考え込んでいたようだから、私に答えを求めているのかと思ってな。発信してみたら、これこの通り。これはお前が望んだ結果だ)

つまり俺は精神に踏み込むことを悪魔に許してしまったんだ。

(それにしても嬉しいぞ。ようやくお前の方から呼び掛けてくれたのだからな。『失われた空術』の行方が知りたいのだろう?)

『失われた空術』のことを聞くのは悪魔の狙い通りということになる。だからここはさっき気付いた矛盾を突いてみよう。

(カイタリアケイアスはどうして伯爵を操ってまで地上に現れようとしたんだ?)

すぐには返答が無い。これは、当たりを引いたかな。

(困った質問をしてくれる。答えなければ信用を得られない。だが、制約によって説明できない内容を含んでいる)

元から信用する気なんて無いけどね。

(召喚は正しく行うと対象に様々な制約を掛けることができる。我々は最初にこの世界に召喚された際に強力な制約を掛けられた。……おや? これは話しても大丈夫なのか)

最初に召喚された時?

(そうか、〈異界よりの召喚〉という魔術の説明をするだけなら問題無いのか。よし、レイジ。今から説明する事を元に自分で答えに辿り着け)

〈異界よりの召喚〉……俺がこの世界に呼ばれたのもその魔術が原因だろう。いいだろう毒を食らわば皿まで、だ。

(聞くだけ聞いてみよう)

(よし、よく聞け。空術の基本は空間と空間を繋げることにある。今使っている〈遠隔念話〉は、通常であれば接触していなければ行えない魔力を通した念話を、離れた空間を直結させることで可能とする魔術だ)

『神々の与えたもうた魔術』にもそんなようなことが書いてあった。

(〈夢の言伝て〉はこれの発展型だ。相手の意思に関係なく言葉や姿を伝えることができる。夢という曖昧な空間を通すことで異世界にも繋げることが可能だ)

つまり、〈遠隔念話〉は異世界には届かないってことか。じゃあ、地獄はこの世界の中にあるってことになる。

(そして、肝心の召喚関連の空術だが、これは空間と空間を物理的に繋ぎ合わせ、距離に関係なく物体をやり取りする魔術だ。様々な派生がある)

瞬間移動もできるってことになるよね。

(ただ、異世界から言葉も通じぬ異質な存在を呼び寄せてしまったらどうなると思う?)

(他人事みたいに言うけど、お前たち悪魔がしてることがそれだろ)

(失礼な。我々は人間よりも高等な生物だ。未知の領域で見境無く暴れるような怪物ではない)

会話ができるだけの知能があるのは事実だけど、記録を読む限り見境無く暴れる怪物以外の何者でもないんだけど。

(話を戻すぞ。異世界の存在を呼び出すなら自由にさせるのは危険だ。そこで移動の条件として制約を加えることができる。空術が強力なほど制約は数が増やせるし強力になる)

自分たちはその制約に縛られてると言いたいんだな。強力な制約を掛けられたということは、よほどすごい召喚術士に呼ばれたんだろう。

(だが、これは騙し討ちだ。我々は条件を知らずにこの世界に来た。私の場合は確か、こっちに来てくれという声が聞こえたから、近くにいた友人に呼ばれたと勘違いして、わかったと応えたんだったな)

(それだけで!? あ、いや、待てよ……。俺も、泣いてるリラが助けを求めてると思って、俺が助けてやるって念じただけで契約したことになったんだった)

別にマドレヴァルファスを信じる気になったわけじゃないけど、召喚がそういうものだというのは理解した。

(お前もか。私の仲間たちも似たようなものだ。それでだな、ここが肝心なところだ。我々を地上に召喚している魔術。あれは〈異界よりの召喚〉ではない。〈遠方よりの召喚〉だ)

召喚に種類があるのか……。

(じゃあ、あれか? 『ケイルンガス最後の日』でシャジャラが使った〈反召喚〉は〈異界よりの召喚〉じゃなくて〈遠方よりの召喚〉を取り消す魔術だったってことか?)

(ケイルンガス……? ああ……昔、群青のが呼ばれた件か。そうだ。シャジャラとやらが使えた〈反召喚〉は〈異界よりの召喚〉を取り消すほどの力は無かったのだろう。群青のは落胆していたよ)

ん? もしかして、カイタリアケイアスが地上に来たがった理由って……。

(いいかレイジ。リラの召喚術適性は極めて高い。〈異界よりの召喚〉を発動できるほどだ。だから、それを取り消すことも可能というわけだ。群青のはそれに気付いて焦った)

(待ってくれ、カイタリアケイアスは、強力な〈反召喚〉が使える召喚術士が偶然現れるのに賭けて、手当たり次第、地上に召喚されようとしてるのか?)

少し間があった。

(そうだな。群青のだけではない。我々の多くは帰るためなら、人間の社会がどうなろうと知ったことではないと思っている)

……聞いた話が正しいなら、悪魔にとって人間は、勝手な都合で騙すように召喚して、色々な制約を掛けて支配してくる憎い敵だ。その憎い敵がどれだけ死のうと、確かに関係無いかもしれない。

(私は人間が好きだぞ。この三万年、他にすることが無いからひたすら人間を観察してきた。お前たち自身より人間に詳しいと自負している)

(三万年、観察し続けても強力な〈反召喚〉の使い手は現れなかった?)

(空術は禁忌となって忘れられたからな。適性の有無で言ったら可能性のありそうな者は何人も見てきた。だが、年々発見できる数が減っている。使われなくなったことで空術適性を持つ者が淘汰されているのだろう)

そういえば、元素術と強化術の使い手ばかり多い。なんか、かなり前にルソルさんがそのことについて言ってたような気がする。

(そんなわけでリラは貴重な存在だ。〈魂燃やし〉など使われたら大変だと群青のはハラハラしていたぞ)

(ちょっと待って、〈魂燃やし〉はカイタリアケイアスが覚えるように仕向けたんじゃないのか?)

マドレヴァルファスは違うとだけ答えた。なんだ? おしゃべりな悪魔がずいぶん簡潔に答えるな。

(制約に関わることか)

(伝えたいことは伝えた。これ以上危ない橋を渡りたくはない。今は一旦、念話を終えよう。あとは自分で考えてほしい)

マドレヴァルファスの声は聞こえなくなった。


 まいったな。俺は悪魔の言う事を信じたいと思ってしまってる。これがマドレヴァルファスの策略なら、大したものだ。……一旦、この件について考えるのをやめよう。判断を保留するんだ。後で冷静に考えれば嘘に気付けるかもしれない。……ルソルさんには言わない方がいいだろうな。リラには一度、空術についてだけ話そう。改めて考えた時に、それでも迷ったらセラ姉に相談しよう。

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