幻術士第二部第九章
ここは……いつもの夢の中か。
「酷いではないかレイジ」
相変わらずマドレヴァルファスが馴れ馴れしく語りかけてくる。
「みんなが幸せになるようにと言っていたが、みんなの中に私が入っていないぞ」
どうしてそこに入れると思うのか。
(俺は帰るのを諦めたから、もう召喚術の研究はしないぞ。リラのことも絶対に守る。だから俺のことは放っておいてくれ)
「本当にそれで済むと思うか?」
なんだ? 今度は不安を煽る作戦か?
「守るべきものが増えると、それを失う時の悲しみが大きくなるぞ?」
(何を企んでいる)
「……どこまで言えるか試してみるか」
まずいな。少し気が緩んでたかもしれない。こいつの話は聞いちゃいけないんだ。
「我々は言ってみれば人形劇の人形だ。そして、お前もただの――」
急に〈夢の言伝て〉が切断された。
おかしい、マドレヴァルファスからの〈夢の言伝て〉が途中で不意に途切れたのは覚えてるのに、直前にあいつが何を言っていたのか思い出せない。どこまで言えるか試してみるとか言ってたのは覚えてる。何だ? この感じ。まるで〈記憶の改竄〉を掛けられて記憶を消されたみたいな……。新手の嫌がらせか? こうやって興味を持たせる作戦かもしれない。忘れよう。
三日ほど経った。マドレヴァルファスからの〈夢の言伝て〉は無くなり、貴族に必要な勉強と、お見合いの日々を送っていた。
ジマイ伯爵の姪で養女になったカーラさんは俺と同い年だけど、大人びた印象を受ける美人で、知的な感じがした。
ブルレル侯爵の孫メメアさんはちょっと幼い印象を受けたけど心根の優しさが感じ取れた。
ウルカスタ侯爵の四女でアディズさんの妹のユリアさんは、一つ年上で騎兵として戦場に出たこともある凛とした美人だった。
みんなそれぞれ違った魅力があって、恋愛経験値の低い俺はいちいちドキドキさせられてしまった。
今日は久しぶりにお見合いが無い。エトナさんに会いに行って、街の散策でもしようと思う。
海鳴館で食事をしながら、バラダソールで生きることに決めたことをエトナさんにも伝えた。
「いいじゃん、私としては大貴族と太いコネができるっていうのは嬉しいわー」
「そんないきなり大貴族ってわけじゃないと思うけど」
「そりゃそうだけどさ、いずれ重鎮になるのは間違いないわけだし」
重鎮か……。どれか大臣とか任されるんだろうなあ。国の事、もっと勉強しないと。
「ところでさ、レイジ。あんた忘れてそうだから言っておくけど、神々がいつ、魔族に恩寵を与えて戦況をひっくり返すか、誰にもわかんない状況だからね?」
確かに忘れてた。ルソルさんはその時のためにバラダソール王国を磐石にしたいって言ってたんだった。
「バラダソールは海を挟んで向こうがもう魔族の勢力圏の南東州だからさ、魔族の勢いが増すと、海を越えて直接攻められる可能性があるんだよね」
東側の大きな内海、静海は波が穏やかで風向きが安定している。だから航路がすごく発達していて、陸上より物流がスムーズだ。歴史上、人族も魔族も静海沿岸部を手に入れることは戦略的に重要なことと考えてきた。バラダソールはその重要な沿岸部のなかでも一番南にある。
対岸の一番近い一帯は魔族の国。人族の国としては例外的に魔族と良好な関係を維持して、交易によって栄えてる。お互いに、魔族の領域と人族の領域それぞれでしか手に入らないものをやり取りしているそうだ。香辛料や宝石のような南東州産の交易品は特に西の国々で珍重されていて、それらを売り物にできるバラダソールは他の国と比べて豊かだ。
「魔族の国がバラダソールを敵視するようになれば交易品が入ってこなくなるし、元々豊かな富を狙ってる周辺国もあるから、このいい状態のバラダソールがずっと続くわけじゃないのよね」
商業神の神官のエトナさんは、俺にとって経済の先生だ。お金がどういう風に流れているか、貴族になった場合はどういう収入と支出があるか、本で学ぶ以上の事を教えてくれる。
「ルソルさんがレイジに宮廷で何の役職を任せたいのか知らないけど、どの部門もお金とは無縁でいられないからね」
これは本当にそうだと思う。それに加えて領地経営もしないといけない。以前なら貴族ってただふんぞり反って命令だけしてるイメージだったけど、その命令ひとつひとつが、人々の暮らしを安定させるためのものじゃないといけないんだ。本当に難しい。
例えば、現代日本の知識を使って、学校や病院をたくさん作りたいと思っても、教師や医者の確保が難しいし、運営する資金の捻出も難しい。それに、義務教育の学校を作ったりしたら、子供が家の仕事を手伝えなくなる。
税金の事も俺を悩ませる。村長や町長、代官なんかが税金を着服しないように徴税官という役職があるんだけど、この徴税官、人気の役職なんだ。税金を集める仕事なんて人々から嫌われて、嫌な思いをするんじゃないかと思った。だから人気があるって聞いた時には不思議だったんだけど、税金を少なくする代わりに賄賂を受け取ったり、そこまで行かなくても毎日のように接待を受けたり、そういう役得があるらしい。腐敗した役人を取り締まるのも大事な仕事だけど、そもそも税金がちゃんと納められるように監視する役割の徴税官を監視しないといけないっていうのがやりきれない。領主は税金を好きに決められるけど、少なくすれば領地経営が詰むし、高くすると密売みたいな犯罪が横行する。一揆も怖い。本当に頭の痛い問題ばっかりだ。
現状維持が一番いいんだけど、堤防を作らないといけなかったり、戦争があったり、飢饉が起こったりで臨時の支出が発生する。お金なんていくらあっても足りない。
「いきなり全部抱え込まなくても、経験豊富な部下をルソルさんが付けてくれるはずだから、少しずつ把握していけばいいよ」
「エトナさんも助言をお願いします」
任せなさいと胸を張るエトナさんだけど、寺院を頼るとそれはそれで面倒が増えるんだよなぁ。こう言うからには個人としてアドバイスしてくれるんだろうけど、エトナさんに領地情報が筒抜けになるっていうのも、本当は避けるべきことで、あーもう、難しすぎる。
「レイジは真面目だよね。領民は生かさず殺さず、なんて言葉もあるぐらいだから、完璧な領主を目指さなくてもいいんだよ。代官に丸投げしてもいいしね」
そんなこと言われても、領地を貰うからにはそこに住む人たちの生活を守らないと。領民だけじゃない。若い王を守る約束もあるんだよなあ。
「まっ、いっぱい悩みなさいな若者。いつでも相談に乗るからさ」
セラ姉が土地に縛られたくないって言って領地を放り出したのも頷けるよ。セラ姉は代わりに治める人がちゃんといるみたいだからいいけどさ。
エトナさんに愚痴を聞いてもらって宮殿に戻ると、門番に声を掛けられた。
「摂政付武官殿。殿下がお探しでした」
おや、ルソルさんが日中に俺に用があるなんて珍しい。急いで執務室に向かう。
侍女に案内されて部屋に通されると、ルソルさんは誰かと話していたようだ。セラ姉もいる。
「レイジさん、そちらの椅子にどうぞ」
あれ? 公務中にレイジさんって呼ぶってことは……。
来客はなんとクレイアさんだった。クレイアさんは眼鏡をくいっと上げて、お久しぶりですと言う。
「摂政殿下、私は大司教猊下の名代として来ています。公人としての対応を希望します」
「人払いはしてあります。堅苦しいのはやめましょう。レイジさんも来たことですし、本題をどうぞ」
ちょっと空気がぴりぴりしてるぞ。クレイアさんとはあんまりいい別れ方をしていない。リラの処遇について何か言いに来たのかな。俺も少し身構えてしまう。
「仕方がありませんね……。要件はミリシギス伯爵が所有していた魔導書についてです」
『失われた空術』についてか。知っていると気付かれないようにしないと。
「我々は伯爵が雇っていた傭兵やならず者を一人残らず調べあげ、魔導書の価値を知っていて、かつ生き残った者を洗い出しました」
まずい、キャナスさんに行き着いたからネッサまで来たってことだな。
「候補は三人いたのですが、うち二人は取り調べ済みです。残るはこのバラダソールに仕官している疾風のキャナスだけです」
「なるほど。噂を辿ってここまで来ましたか」
きっとクレイアさんには確信があるんだろう。
「単刀直入に申し上げます。疾風のキャナスを重用する見返りに『失われた空術』を受けとりましたね? 禁書の焼却にご協力ください。これはナクアテン寺院の大司教猊下からの正式な要請です」
「ナクアテン神の託宣ではなく、大司教猊下の要請という認識で間違いありませんね?」
はい、と言って眼鏡のずれを直すクレイアさん。『失われた空術』はネッサのシャナラーラ寺院にある。俺たちの手は離れたものだ。
「ご明察の通り、あの魔導書はキャナスさんから譲り受けました。ですが、あれが危険なものであることは私も承知しております。確認のため少し読みましたが、手に余ると判断して、シャナラーラ寺院に預けました」
クレイアさんが俺をちらりと見る。
「シャナラーラ女神の託宣はありましたか?」
「いいえ、少なくとも私とレイジさんには、今のところ託宣はありません。寺院では再び世に出る事が無いよう、厳重に隠されているはずですよ」
「手緩い。即刻焼き捨てるべきです」
苛立ちを感じさせるクレイアさんと異なり、ルソルさんは涼しい顔をしている。
「それを決めるのはシャナラーラ寺院の大司教猊下か、もしくはネッサの司教殿です。あるいは女神の託宣があるかもしれません。俗界で活動中の私には口を差し挟む余地がありません」
クレイアさんは表情を消して眼鏡をくいっと上げる。
「つまり、シャナラーラ寺院と直に交渉しろ。そういうことですか」
「お力になれず申し訳ありません」
ルソルさんの返事を聞いたクレイアさんが眉根を寄せる。眼鏡がずれた。
「そういうことであれば失礼します」
そう言って眼鏡を押さえながら立ち上がった。
「クレイアさん、あなたもカルゲノの事件を解決した英雄の一人として人々に記憶されています。晩餐会を開くので出席して行かれませんか?」
「冗談ではありません。聖務があるのでこれにて失礼させていただきます」
クレイアさんはあっさりと去っていった。俺もセラ姉も一言も口を挟めなかった。
「旧交を温めるというわけにはいきませんでしたね」
少し寂しそうな顔のルソルさん。
「俺はてっきりリラのことで何か言われると思いました」
「レイジさんが異世界から来たことには気付いていないようですし、我々に召喚術への野心が無いと判断したのでしょう。それに、ああ見えて多少は情を感じているのかもしれません」
セラ姉がお茶を一口飲む。
「リラが召喚術の使い手だって告発することもできたからね」
なるほど、クレイアさんなりに譲歩してくれたんだ。
「それにしても、帰るのを諦めてから来てくれて良かったよ。手元にあったら色々と厄介でしたよね?」
「はい。あとは寺院同士の問題です。と言っても、託宣があったわけでも無いので強くは出られないでしょう」
寺院同士のいざこざか。
「そうだルソルさん。これはただの好奇心なんですけど、召喚術が禁術になった時って誰かが決定したんですか? 託宣があったとか」
「記録によれば十大寺院の大司教が集まり、公会議を開いて決定したとされています。とはいえ二万年以上昔の出来事なので、残された情報は断片的です」
「そうですか」
二万年って……。地球なら記録も無いんじゃないかな。うろ覚えだけど文字での記録が始まったのって紀元前数千年ぐらいだったと思う。人間が文字を使うようになってから一万年も経ってないはず。……もっとちゃんと授業受けてれば良かった。
でも不思議だな。地球だと四千年とかの間にすごく文明が発展したのに、この世界は文明が停滞してるみたいだ。魔術が便利だから科学が進歩しなかったんだろうなってのは想像がつくんだけど、言葉まで統一されてるのに……。ああ、だけど、召喚術が空術って呼ばれてた頃には瞬間移動とかできたみたいだから、もしかしたら今の地球より発展してたのかもしれない。地球もあと三万年ぐらいしたら、この世界みたいになったりして。考えすぎか。
ルソルさんの執務室を出て、久しぶりにセラ姉に剣の稽古をつけてもらうことにした。練兵場にいる訓練中の武官たちが明らかにこっちを気にしてる。
「なんか、見られながらの修行って恥ずかしいね」
「引き締まるでしょ。でも固くならないでしっかり稽古してね」
一通りの剣術の型を見てもらう。
「うーん、魔術と違って平凡だね。あくまで幻術の補助だから問題ないけど」
おっと、今日のセラ姉は辛口だ。そうか、俺の剣技は平凡なのか。才能が無いって言われなくて良かった。
「摂政付武官殿!」
コルメンさんが嬉しそうに走ってくる。なんか、人懐っこい大型犬を思い出してしまう。……年上相手に失礼なことを考えてしまった。心の中で謝っておこう。ごめんなさい。
「セラエナ殿も、本日もお美しくていらっしゃる」
あれ……? コルメンさん、もしかして俺じゃなくてセラ姉に会えて嬉しい? いや、その方が自然だけどさ。
「門衛武官殿、先日はどうも」
「その節はありがとうございました。私は自分が強いと考え少し驕っていました。摂政付武官殿のお陰で目が覚め、以前より高みを目指せそうな気がしています」
おお、それは良かった。人の役に立てるのは純粋に嬉しい。
「ときに摂政付武官殿。もしお時間があればで構わないのですが、ひとつお願いがございます」
う、またやるのか。
「摂政付武官殿の〈幻の闘舞〉ですが、あの時戦った幻影は、私の想像できる中で最高の動きを見せていました」
うん、たぶんそうなると思う。逆に言えば想像できる以上の強さにはならないから、ある程度以上の強さの人ならまず負けないけど。
「あれは言ってみれば自分自身との戦いです。掛かっている本人より強い幻影は生み出せません」
コルメンさんは俺の言葉に頷く。
「やはり、自分自身と戦えるようなものなのですね。同格を相手に稽古ができれば、強くなれるのは道理。お願いです、摂政付武官殿、もう一度あの術を掛けていただけないでしょうか」
あ、そういうことか。幻影を訓練の相手にするなんて思い付きもしなかった。今度自分でもやってみよう。
「構いませんよ。私の幻術訓練にもなります。……今なら時間がありますが、どうしましょう?」
「ありがとうございます! さっそくお願いいたします」
武器は同じ長柄の方がいいだろうな。訓練用の棒を借りてコルメンさんの前に立つ。
「では掛けますよ」
「よろしくお願いします!」
俺は〈幻の闘舞〉を発動すると、さっさと脇に避けた。近くにいると危なそうだからね。コルメンさんが幻影の俺と戦い始める。他の武官たちが真剣に見物している。きっとコルメンさんの動きが参考になるんだろう。武官として国に貢献してる感じがして嬉しい。
「レイ君すごいね……。これってもしかして、カダーシャさん対策に修得したの?」
「さすがセラ姉。でも、カダーシャさんのことだから、俺がそんなに強いわけないって、幻術に掛けられたことにはすぐ気付くと思うんだ」
セラ姉は頷いた。
「やっぱりレイ君、幻術のことになると天才的だね」
褒められた。アイデアとかそういうことに関しては魔術神の恩寵とか関係ないだろうから、実力を認められて嬉しい。
「それにしても、あんな高等幻術を維持しながら雑談できるなんて、それもすごいよ」
こっちは恩寵のお陰だろうな。みんなすごい事のように言うけど、俺としてはスマホいじりながらテレビ見るぐらいの感覚だ。……いや、別に上手い例えじゃないな。
「幻術を維持しながら他の事もするっていうのは、どうしても必要になると思うんだ。訓練しておかないとね」
もしかしてさ、とセラ姉が言う。
「この〈幻の闘舞〉を二人に同時に掛けられたら、応用で同士討ちさせられたりしない?」
「うん、それも考えてみたんだ。だけど複雑なわりに二人しか止められないのがいまひとつかなと思って、後回しにしてるよ。今はキャナスさんみたいな術式の展開が速い相手を意識して、速度重視の無力化方法を考えてるんだ」
「破術士を圧倒する幻術……。常識が通用しない領域だね。たぶんそれ、完成してもレイ君にしか使いこなせないよね?」
そうだと思うって答えた。ちょっと自信過剰な感じがするけど。
いい笑顔で武器を振り回していたコルメンさんの表情に疲労の色が見えてきた。そうか、幻影はパフォーマンスが落ちないけど、本人はバテてくるよな……。あ、閃いた。カダーシャさん対策の術、作れそうだ。
とりあえず、コルメンさんに一声掛けて幻術を解く。荒い息をつきながら、ありがとうございましたと言う。結構しんどそうだ。
「この幻術は再現に成功してから、まだあまり使っていません。何か気付いたことはありませんか? 改善できるところがあるかもしれません」
コルメンさんは息を整えると考え込んだ。
「幻影は摂政付武官殿の姿に限定されるのでしょうか? 体格が変われば動きも変わってくると思います」
なるほど!
「貴重なご意見ありがとうございます。確かに私の姿に限定する必要はありませんね。幻影だと見破られる可能性は高まりますが、私の剣の腕を知っている相手にはむしろ有効かもしれません」
コルメンさんは嬉しそうに笑った。
「お役に立てて何よりです!」
高等幻術の進展は順調だ。コルメンさんと仲良くなってきたことで他の武官とも打ち解けられそうな雰囲気だ。バラダソールに馴染むには、友達を増やさないとね。
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