幻術士第二部第八章

「昼寝は良い文化だ。お前たち人間の体は十六時間起き続けているよりも、休息を挟んだ方が能率が良くなるようにできている」

……〈夢の言伝て〉だ。昼寝の時間を狙ってくるとは思ってもみなかった。しかも何を言ってるんだこの悪魔は。本当に何がしたいのかわからない。もしかして、ルソルさんが冗談めかして言ってた、ただ困惑させて楽しんでるっていうのが正解なのか?

(マドレヴァルファス。悪魔は暇なのか?)

「ああ、暇だとも! 地獄には何も無いからな! 私の相手をしてくれると、とても嬉しい」

……もし、本当に単に暇だからという理由で干渉してくるのなら、たまったものじゃないぞ。

(悪魔同士で会話とかしないのか?)

「一緒に地獄に封じられて三万年だぞ。飽き飽きしている」

まさか日頃の鬱憤晴らしが地上に出てきて破壊の限りを尽くす理由じゃないだろうな。

「ところでレイジ。今日の見合い相手のカリナは強い男が好きだ。コルメンと決闘をしておいて良かったな。きっと気に入られるぞ」

こいつ……本当にただの暇潰しで俺に干渉してるんじゃないか?

(どういうつもりだ?)

「いや、私も考えてみたのだ。手法を変えなければお前は無視し続けるだろう。だからまずは親しみやすさを出していくことにした。実際、会話が成立している。正解だったようだ」

危ない。相手のペースに乗せられていた。話を聞かない、応えない、言われたことについて考えない。とにかく無視することだ。

「私は人間の観察が好きでな、お前とお前に関わりがありそうな者は〈遠見の目〉で見ている」

〈遠見の目〉……空術か。監視されてるのは厄介だ。

「喜べ。今のところお前に悪意を向ける者はネッサにはいないようだぞ」

言葉の意味を考えるな。俺を油断させようと有益な事を言ってる風を装ってるんだ。

「なんだ? まただんまりか? 仕方がない、今は引くか。また助言をしてやろう」

付きまとうのをやめる気は無い、か。


「レイジさん」

リラの声で起こされる。リラの〈夢の言伝て〉がすでに懐かしい。

寝汗を拭いて、二等魔術官の礼服に袖を通す。ゲイルさんの靴をはいて、剣を腰から提げる。リラに寝癖を直してもらい、宮殿の外に出て馬車を待つ。ミュグヌ伯爵の紋章、迎えが来たみたいだ。


 ミュグヌ伯爵の屋敷はウェンフィス伯爵の屋敷と比べて植物が多かった。園芸が趣味の人が家族にいるのかもしれない。玄関に入るとミュグヌ伯爵自ら迎えてくれた。

「ようこそ我が屋敷へ、魔術官殿。ところで、今日の本題とは関係ないのだが、コルメンと決闘をしたそうだな」

もう噂になってるのか。宮殿の侍女たちにとっては噂話が一番の娯楽らしい。あること無いこと広まっていく原因だ。

「決闘ですか。対幻術の稽古をしたいと言うのでお相手をいたしました」

「見ていた者の話では一合も打ち合わずに完全勝利したと聞いたぞ。何でも高等幻術を披露したとか」

なるほど、今日の午前中のことだから、まだ噂に尾ひれは付いてないのか。

「そうですね……対幻術の稽古ということだったので」

「その若さで高等幻術を自在に操るとは、当代随一という噂は本当のようだ」

俺はどうにも褒められるのに慣れていない。こういう時、どう返せばいいんだろう? あんまり謙遜するとコルメンさんが弱いってことになっちゃうし。

愛想笑いを浮かべていると、奥方らしき女性が「あなた、カリナが待っていますわ」と言った。

「おお、そうだ。さあ、魔術官殿、中庭で待っていてくれたまえ」

そう言って、奥へと引っ込んで行った。俺は使用人に連れられ中庭に回る。南国らしい植物が繁っている。彫刻の並んでいたウェンフィス伯爵の庭とは趣が違う。俺も貴族になったら、庭をどうするかとか、決めないといけないんだろうなあ。


 絨毯に座って待っていると、ミュグヌ伯爵が少女を連れてきた。この国のお見合いの手順がわかってきたぞ。シアさんの時と同じように向かい合って座り、脇には伯爵。

カリナさんは明らかに俺より年下だった。褐色の肌に明るめの髪。目は緑だ。十四歳ぐらいかな、くりくりとした目で俺をじっと見つめてくる。この子と結婚するかもしれないと思うとすごく不思議な気分だ。

ミュグヌ伯爵はウェンフィス伯爵と違って、カリナさんの良いところを色々挙げて話してくれた。刺繍が上手いとか、歌が上手いとか、テリンという楽器がうまいとか。これはあれだ、第何夫人になるのかで序列が決まるから印象を良くしようと頑張ってるんだな。マドレヴァルファスの言っていた、妻は選び放題という言葉を思い出す。いやいや、お見合いに集中しないと。

「では、あとは娘と話してやってくれたまえ」

そう言って伯爵は去っていった。うしろ姿を見送っていると、カリナさんが待ちきれなかったというような勢いで話し始めた。

「レイジ様! あのコルメン様を一方的に打ち負かしたって本当ですの!? わたくし、侍女に聞きました! 今日のお昼前に、練兵場で決闘をされたのだとか! 猛者と名高いコルメン様の攻撃は一切当たることなく、レイジ様は悠々と背後を取って木刀を突き付けたのですよね!? あっ! その剣がレイジ様の得物ですのね!? 剣を使う方は珍しいですが、どなたかお師匠がいらっしゃるのですか!?」

おお……口を挟む暇が無いぞ……。そんなお嬢様を侍女がたしなめる。

「カリナ様、魔術官様がお困りですよ。一方的にお話をされるものではありません」

そう言われると、カリナさんは、ハッとして恥ずかしそうな顔をした。

「申し訳ありませんレイジ様。わたくし、レイジ様にお会いできたらお聞きしたいと思っていたことがたくさんありまして……」

この子も最初から好感度高いのか……。彼女いない歴十六年の俺に、いきなりモテ期が来るとは。

「構いませんよ。カリナさんは戦いに興味がおありですか?」

「はいっ! お嫁に行くのなら強いお方の元へとずっと思っておりました」

そう言って照れたような上目遣いでこちらを見てくる。正直なところ……控えめに言って可愛い。シアさんもそうだったけど、女の子と付き合ったことのない俺としては好意を向けてくれるだけでコロッといきそうだ。たぶんチョロいぞ俺。


 カリナさんはその後もカダーシャさんとの戦いはどうだったのかとか、悪魔とは直接戦ったのかとか、破術士を相手にどうやったら幻術で勝てるのかとか、色々と質問攻めにしてきた。最後の方に侍女が「魔術官様は何かカリナ様にお聞きになりたいことはございませんか?」と聞いてきた。気を使わせてしまった。とはいえ、どうしよう、何も考えてなかった。咄嗟に「カリナさんの目は綺麗な緑色ですね」なんて色男っぽいことを言ってしまう。カリナさんはそれを聞くと、それはもう見るからに上機嫌で、にこにこし始める。そして、はにかんだ表情で、何かを言おうとしてはためらってやめるというのを繰り返した。ちょっと、なにこの甘酸っぱい空気。俺も恥ずかしくなって何も言えない。

「あの、そろそろお時間ですので……」

侍女が申し訳なさそうに言った。



 帰りの馬車の中でリラが唐突に聞いてきた。

「レイジさんは緑の瞳が好きなんですか?」

「あ、いや、そういうわけでもないけど、なんか言わなきゃと思って咄嗟に……」

なんとなくだけどリラから不満そうな雰囲気を感じる……。それはそうと、緑の瞳は好きかと聞かれて思い出すことがある。寝起きにセラ姉の顔がすごく近くにあった時のドキドキ感だ。ファーストキスの相手がセラ姉だっていうのもある。否定はしてみたものの、もしかしたら緑の目に弱いかもしれない。どうしよう、これじゃシスコンだ。セラ姉は実の姉じゃないけど、今ではもう、本当に姉弟のつもりでいるのに。


 部屋に戻るとセラ姉が「どうだった?」と聞いてくる。さて、どう答えたものか。可愛かったとか言うのは恥ずかしいし、緑の目が綺麗だったなんて言えないし。

「強い人が好きだって言ってた」

そう言うと、セラ姉があっと何かを思い出した。

「コルメンが感激してたよ。摂政付武官殿に高等幻術を掛けていただいたって、会う人会う人に言ってるみたい」

え、そうなの、意外と軽いノリの人だったのか。最悪、逆恨みされる可能性もあったことを考えると良かったけど。

「ミュグヌ伯爵もお嬢さんも、真っ先にその話してさ、今日のお昼前の事なのに、噂が広まるの速いね」

そう言うとセラ姉は少し困った顔をした。

「噂と言えばなんだけど、なんか最近、キャナスさんと私が恋仲だとかいう噂が流れてて、ちょっと困ってるんだよね」

え、なんとなく嫌だなぁ。いや、キャナスさんが嫌なんじゃなくて、セラ姉のこと噂されるのがね。

嫌だなっていう気持ちが顔に出ちゃったらしい。

「お姉ちゃんが誰かと恋仲になったら嫉妬しちゃう?」

なんてことを嬉しそうに聞いてきた。嫉妬、そうか、嫉妬だよな、この嫌な気持ち。シスコン丸出しで恥ずかしい。

「ごめん、セラ姉もそのうち結婚しないとだよね」

「うーん。レイ君のお姉ちゃんとしてずっと一緒にいられるっていう条件なら結婚してもいいけど、難しいよね」

ブレないなあ。変な噂が立たないといいけど。


 さて、全然進んでない読書をしないと。マドレヴァルファスは役に立たないって言ってたけど、新しい高等幻術のヒントにはなるだろう。おっと、悪魔の言う事をちょっと真に受けてる自分に気が付いた。精神操作とかされてないか、明日エトナさんにチェックしてもらおう。



 それから三日。相変わらずマドレヴァルファスは世間話みたいなことを一方的に話してくるし、縁談の話は次々とくる。しばらく毎日お見合いに行かないといけなさそうだ。

『神々の与えたもうた魔術』は読み終わった。悔しいことに、あの悪魔の言うとおり、空術には召喚と対になる帰還の術式があるよ、ということしか書いておらず、修得の足しにはなりそうになかった。新しいオリジナルの高等幻術のアイデアが浮かんだから無駄ではなかったけど。

今日はシアさんに会いに行く日だ。確かノルカルゲノに潜入する前まで話したんだったかな。


 ウェンフィス伯爵の屋敷までやってきた。伯爵とは初日以来会ってないけど、最近は領地の方に行ってるかららしい。代官を置いていても時々自分で見に行かないといけないんだな。……最近は自分が貴族になったらやらないといけないことを色々と勉強してる。シアさんとカリナさんに会ってしまったことで、彼女たちの好意を無下にしてしまうのが悪いような心境になったからだ。自分でもチョロいなって思う。せめて元の世界の家族に、元気に生きてる事ぐらい伝えられたらいいんだけど。そしたらこのバラダソールで生きていくのも悪くないかな、なんて思い始めてる。

そんな事を考えてたせいで浮かない顔でシアさんの前に出てしまった。

「レイジ様、どうされました?」

うわぁ、ごめんなさい。

「ちょっと故郷の家族の事を思い出してしまって。すみません、シアさんに会うって時に」

「そうでしたか……。大丈夫です。父も言っていましたが、私にはレイジ様の妻になったら遠い異国にも行く覚悟があります」

そっか……そういう覚悟を持って、真剣に結婚を考えてくれてるんだ。俺より二つも年下なのに、将来の事を考えて……。なんだか、自分がすごく子供っぽく感じられる。

「レイジ様、御気分が優れないようであれば、またの機会で構いませんよ?」

優しくそう言ってくれるシアさん。

「いえ、お気遣いありがとうございます。シアさんの優しさに触れて目が覚めました。前回の続きをお話ししますね」

シアさんが嬉しそうに微笑む。俺、この人と結婚してもいい。こんな素敵な人と結婚させてもらえるなんて恵まれてるよ。


 密かな決意と共に、カルゲノ城の冒険を語り終えた俺は、シアさんに言った。

「シアさん。俺、本当は故郷に帰ることばかり考えていて結婚には乗り気じゃなかったんです。でも、考えが変わりました。シアさん……その……俺と……」

プロポーズだ。彼女もいたことのない俺が、そういうのをすっ飛ばしていきなりプロポーズしようとしてる。シアさんは真剣な顔で俺の次の言葉を待っている。緊張を振り払って、言った。

「俺の妻になってくれますか?」

「はい、元よりそのつもりです」

シアさんは笑顔で応えてくれた。そして、クスッと笑う。

「私は幸せです。貴族の家に生まれたからには、どこに嫁ぐことになるのかわかりません。それが、好ましい方の、それも真剣に考えて私を求めてくださる方の妻になれるのですから」

良かった。俺の決意は間違ってなかったみたいだ。日本だったら俺はまだ子供扱いされる年齢だ。だけど、この国では俺は大人として扱われてる。大人としての責任があるんだ。


 大人だという自覚を胸に抱いて宮殿に帰った。

「どうしたの? なんか、すごく凛々しい顔してるよ? やだ、レイ君格好いい」

セラ姉がそんなことを言う。そ、そんなに違うかな?

「もしかして、今後どうするか決めたの?」

「うん。決めたよ。俺、バラダソールで暮らす。元の世界に帰れないのは辛いけど、みんなが幸せになれる方法だと思う」

セラ姉が俺の顔を覗き込む。

「それはレイ君も幸せなの?」

「うん。セラ姉がいて、リラもいて、結婚もするんだ。新しい家族と幸せに暮らすよ」

セラ姉は「そっか」と言って微笑んだ。

「レイ君の故郷が見れないのは残念だけど、それもいいね」

ふと見るとリラが少し困った顔をしている。しまった、もしかしてリラには不満な決定だったのかな。

「レイジさんが元の世界に帰るのを諦めたのなら……」

そうか、リラは俺といる必要がなくなっちゃうのか。

「私はここにいてもいいんでしょうか?」

「リラが嫌じゃなければだけど、いてほしい。俺はリラのことも家族だと思ってるから」

「私は……ツノ無しで、危険な召喚術を修得しています。姉さんに会いたい気持ちはありますが、レイジさんのご好意に甘えないと、居場所がありません」

本心では魔族の国に帰りたいんだろうな。なんとかしてあげたいけど……。

「行く場所が無いなら俺のそばにいてほしい。むしろ、これは俺のワガママかもしれない」

「レイジさん……。よろしくお願いします」

リラからは戸惑いを感じる。そもそもが、平和に暮らしてたところを人族に攻め込まれて、家族と離ればなれになって奴隷にされたんだもんな。

「なんか、ごめん。俺、自分が元の世界に帰ることばっかり考えててリラのこと考えてあげられてなかった。ツノのことはわからないけど、バラダソールは他の国と違って魔族との交流が無いわけじゃないってルソルさんも言ってた。だから、魔族の国に移り住む機会もあるかもしれない」

「ありがとうございます。大丈夫です。レイジさんが救ってくれた命なので、私はレイジさんにお仕えします」

全部が丸く収まるわけじゃない、か。リラのことはなるべく気に掛けてあげよう。



 夜、俺はルソルさんに決意を伝えた。

「ルソルさん。俺、元の世界に帰るのを諦めます。結婚をして、リラのことも守って、バラダソールで暮らします」

ルソルさんは神妙な顔をした。

「私が言えたことではないのですが……本当にそれでよろしいのですか?」

「はい。アルド王の支えになってほしいというルソルさんの希望にも応えられるよう努力します」

ルソルさんは微笑んだ。

「ありがとうございます。では『失われた空術』はどうしましょう?」

「俺にはもう必要ありません。危険な魔導書ですが、どうするのがいいですか?」

「クレイアさんなら即座に焼き捨てるのでしょうが……。シャナラーラ寺院の秘密の部屋に仕舞い込んでおきましょう」

知識を重視するシャナラーラの神官なら焚書を嫌がるのも当然だよね。あ、そうだ、シアさんとの結婚を決めたことも伝えないと。

「言い忘れてました、決意を後押ししてくれたのはシアさんなんです。俺、シアさんと結婚したいです。本人にも伝えました」

ルソルさんは少し驚いた顔をした。

「なるほど。それはシア殿に私が礼を言わなくてはなりませんね。ウェンフィス伯爵には使いを出しておきます」

あとは結婚式の日取りですね、と嬉しそうに言う。

「シアさんには少し待っていただいて、レイジさんの伯爵への叙任を進めなくてはなりません。そうですね……お披露目に合わせて結婚式も行いましょう。他の花嫁候補とのお見合いも急ぎましょう」

ああ、そうか、一夫多妻ってことを忘れてた。それについてはまだ心の準備ができてないんだよな。俺にそんな甲斐性あるのかな……。まぁ、郷に入っては郷に従え、俺はバラダソール人になるんだ。

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