幻術士第二部第七章

「やあ、レイジ」

これは〈夢の言伝て〉か。あの悪魔、性懲りもなくまた接触してきたな。

「応えないか。嫌われたものだな。私はお前の味方だというのに」

よくもまぁ、いけしゃあしゃあと味方だなんて言うもんだ。

「私はね、レイジ。お前とリラなら我々を元の世界に帰してくれると期待しているんだ。そのために協力は惜しまないつもりだ」

甘い言葉で誘惑して破滅させる。それが悪魔だ。

「我々を元の世界に帰せるということは、お前もまた元の世界に帰れるということだ」

その理屈は確かにそうだ。

「この世界の人間たちは悪魔という脅威がなくなり喜ぶ。我々は元の世界に帰れて喜ぶ。お前も帰れる。良いことしかないだろう?」

この言葉のどこかに嘘があるはずだ。例えば、悪魔が元の世界に帰りたいというのが嘘だとか。

「バラダソールにいても問題は解決しないぞ? 私が助言をしてやる。リラとセラエナを連れて旅に出ろ。空術を復活させるんだ」

悪魔の言葉は毒だ。提案はもっともらしい。俺が望んでることを的確に突いてくる。だけど、俺が悪魔を信用しないと決めていることはわかってるはずだ。だから、あえて正解を勧めてミスリードしようとしている可能性もある。

「この世界に骨を埋めたくはないだろう?」

くそっ、きっと、考えれば考えるほど術中にはまる。

(消えろ悪魔め)

「やっと反応してくれたな。返事をしない相手に語りかけるのはなかなか寂しいものなのだぞ?」

人間みたいなことを言いやがって。今度は同情を誘う作戦か?

「もどかしいな。制約さえ無ければすべてを説明して納得してもらえるものを……」

とにかくやり過ごそう。黙ってれば昨日みたいに諦めるだろう。

「黙っていれば諦めると思っているな? まあ、残念だがお前が応えてくれないのであれば私もどうしようもない。今日は引くが、諦めはしないからな」

〈夢の言伝て〉から解放された。


 悪魔マドレヴァルファスの言葉を思い出してみる。バラダソールにいても問題は解決しないと言っていた。俺がここに居続けるのは悪魔にとって不都合があるんだろうか? それとも、反発してここに残ることを狙ってるんだろうか? ……結局、どちらの可能性も同じだけある。つまり、考えるだけ無駄だ。

起きてからずっと難しい顔をしていたせいで、セラ姉が心配そうに顔を覗き込んできた。

「悪魔の夢?」と聞かれたので、うんと答える。

ルソルさんが自室から出てきた。俺の表情から察したみたいだ。

「悪魔からの接触があったのですね?」

「はい。でも、考えるだけ無駄だという結論になりました。無視し続けます」

「それがいいでしょう。ただ、学究の徒として、悪魔がどのような言葉で人を惑わせるか、という点に興味があります」

「バラダソールに居続けるのは無駄だと言われました。旅をして空術を復活させろと」

ルソルさんが考え込む。

「なるほど。自分の言葉を信じないとわかっている相手にそういう提案をしますか。この地に留まる事と去る事、どちらに誘導したいのか不明ですね」

「やっぱりそうですよね?」

「しかし、そうなると悪魔としてはどちらでも構わないのではないでしょうか?」

どちらでも構わない? ならどうしてわざわざ接触してくるんだろう。

「別の意図があるのかもしれません。レイジさんを惑わせ、時間稼ぎをしているという仮定はどうでしょう? その結果、悪魔にどのような得があるのかはわかりませんが」

時間稼ぎか……。だとすると、俺が旅立つ決意をする事も、貴族になる決意をする事も、悪魔にとって避けたい事ということになる。何のために……?

「……今の時点では考えるだけ無駄でしょう。ただ、悪魔のすることですから、何の意味もなく、惑う姿を見て楽しんでいる……なんてことすらあるかもしれませんね」

冗談っぽくそう言ったのは、俺の気分を変えようとしてくれたのかな。でも、それならそれで、悪魔っていうのは嫌な性格してるなあ。

「難しく考えすぎなのかもよ?」とセラ姉。

「単純に、召喚術を復活させたいんじゃない? 召喚術士が増えれば、それだけ地上に出てこられる機会が増えるわけだから」

一理ある……。でもそれだと、俺が元の世界に帰ろうと頑張る事自体がリスクになるってことだ。悪魔の好きにさせないためには、召喚術の研究をしないこと。つまり帰ろうと思わないことが一番という結論になってしまう。なんてこった。

「女神は悪魔の暗躍を見越してレイジさんを遣わしたのだと私は思っています。どうか、悪魔に心を奪われませんよう、お気を確かにお持ちください」

「はい……」



 朝から考え込んだら頭が痛くなってきた。今日はミュグヌ伯爵の屋敷に呼ばれてるのに……。

頭が疲れてる。本を読む気分じゃないな。体を動かそう。最近剣術の訓練が疎かだ。


 練兵場の隅っこを借りて、剣術の型の練習をする。突きが主体のこの剣だと、敵の攻撃を受け流してカウンター気味に急所を狙うのが基本になる。とにかく型を体に覚えさせる事が大切だ。


 しばらく夢中で訓練していると、いつの間にか誰かがすぐ近くまで来ていた。

誰だろう? 二十歳ぐらいの体の大きな筋肉ムキムキの武官。見掛けたことはある気がするけど、話したことはない。

「摂政付武官殿は剣を修めておいでですか」

そう言う武官は三等勲士服を着て門衛武官の記章を付けている。

「はい。……失礼ですが門衛武官殿とはどこかでお会いしたことがありましたでしょうか」

正直に言って確認しておこう。

「大変失礼いたしました。私はコルメンと申します。以後お見知りおきいただければ幸いです」

コルメンさん! この前の内乱で、反乱軍にいたやたらと強い人だ。

「グリュグラの戦いでは臨時記録官を拝命していました。門衛武官殿の武勇には驚きましたよ」

「おお、そうでしたか。敗残の身となった私を評価し、登用してくださった摂政殿下には感謝いたしております」

正直に言うと堅苦しい宮廷言葉とか、社交辞令は苦手なんだ。用があるなら早く言ってほしいな。

「ときに摂政付武官殿。巷の噂ではあの戦闘司祭カダーシャと引き分けたことがあるとか」

「ああ、いえ、その噂は間違っています。カダーシャさんとは仲間として共に戦ったのであって、武器を交えたことはありません」

「そうでしたか、これは失礼いたしました。しかし、摂政付武官殿は当代随一の幻術士だとか。一流の破術士であるキャナス近衛武官殿に不利を覆して勝利したと聞いております」

ああ、キャナスさん、自分が負けた話を色んな人に聞かれてるんだろうなあ。

「あれは姉と二人がかりで得た勝利。私一人では敵いませんでした」

なんか、興味持って他の武官たちが集まってきちゃったんだけど。

「セラエナ殿は私と同じ強化術士。強化術士と幻術士では二人がかりでも破術士に敵わないのが常識です。セラエナ殿の武技が優れていることは教官をされているお姿を拝見したので理解しておりますが、近衛武官殿の実力も見知っております」

やばい、なんか怪しい流れだな、これ。

「摂政付武官殿の幻術の腕が尋常ではないと考え、近衛武官殿にお話を伺いました。近衛武官殿はこうおっしゃっていました。失礼ながら、化け物だと」

キャナスさん! 余計なこと言わないで! 俺は何と返していいかわからなくて半端な愛想笑いを浮かべてしまった。

「摂政付武官殿。不躾なお願いで申し訳ございませんが、私に対幻術の稽古をつけてくださいませんでしょうか?」

不躾なお願い来た! 稽古って言ってるけど決闘ってことでしょ!? 魔術無しじゃ相手にならないことぐらい、俺の練習してる様子見てわかってるだろうに。

周りにいた武官たちが「おぉ」とか「よし!」とか言ってるんだけど……。仕方ない、幻術の訓練もずっとできてないし、修得したばかりの高等幻術を試してみるか。負けても相手はあのコルメンさんだ。問題ないだろう。

「わかりました」

周囲がどよめく。みんな興味津々だ。よし、……やるか!


 練兵場の一角で、俺とコルメンさんは六歩分ぐらい離れて向かい合って立っている。俺の手には木刀。コルメンさんの手には長めの棒。普段はカダーシャさんみたいな長柄の斧を使ってるんだとか。

武官の一人に始めの号令を掛けてもらうように頼んだ。みんな俺の幻術がどうなるのか見たいんだろう、〈魔覚の強化〉を使ってる気配がある。まぁ、これなら俺がフライングして魔力を展開してないこともわかるはずだ。

「始め!」

魔力をコルメンさんに伸ばす。コルメンさんは自分に強化術を掛けながら武器を構え、同時に頭の周囲に魔力を集中させて幻術への防御に当てる。滑らかな流れ、戦い慣れてるとこうなるのか。だけど、魔力の防護に穴がある。俺はそこから魔力を通してコルメンさんの耳の奥へと誘導した。脳に直接届くように。そこから術式を展開する。

コルメンさんの武器が俺に迫る。さすが、速い。バラダソールに来る前の俺ならこれを避けられなかったと思う。空を切った棒がすぐさま別の軌道で襲いかかる。俺は後に下がって避けた。コルメンさんの猛撃は続く。だけど三発目以降は当たらない。もう、絶対に当たらないんだ。

コルメンさんはすごい速度で重い攻撃を何度も何度も繰り出している。俺には当たらない位置で。そして、一歩下がって、攻撃の手を止め「すべて避けるとは、格闘も一流でしたか……」と呟いた。周りで見てる武官たちはこれで気付いた。コルメンさんがもう俺の幻術に掛けられていることに。

不意にコルメンさんが武器を使って攻撃を受けるような動作をする。そして反撃と防御の動きを繰り返す。コルメンさんの表情は驚きと喜びの入り交じったものになっている。周りの武官たちは怖いものを見る目を俺に向けてくる。

「摂政付武官殿、剣の腕前はわかりました。幻術を見せていただきたい!」

そう言ってコルメンさんが渾身の一撃を振り下ろす。

「すみません。門衛武官殿。あなたはもう幻術に掛かっています」

俺がそう言うと、うろたえた顔をする。そして再び一人で攻防を始めた。俺は歩いてコルメンさんの真後ろに回ると、〈幻の闘舞〉を解除した。木刀を後頭部に突き付ける。コルメンさんの動きがぴたっと止まった。

周りの武官たちが「うおお」「すごい……」「一体何が?」などと口々に騒ぐ。

コルメンさんが武器を捨てて振り向いた。驚きに満ちた顔だ。

「摂政付武官殿……私は一体、いつ幻術を掛けられたのでしょうか?」

「二撃目を繰り出したあたりですね。三撃目からは私の幻影を相手に戦っていました」

周囲がどよめく。「どうやって?」「見えましたか?」みたいな会話が聞こえてくる。

「感服いたしました……。私では足元にも及びません。今のはもしや高等幻術では?」

「はい。〈幻の闘舞〉、四百年ほど前に活躍した幻術士、フーサの編み出した高等幻術です」

再び周囲がどよめく。コルメンさんがひざまずいて「ありがとうございました!」と言った。

〈幻の闘舞〉の実戦テストは成功だ。でもこれは破術士には有効じゃないし、カダーシャさんはこれだけで勝てるほど生易しくはない。次は対破術の幻術を研究すべきか、カダーシャさんが来た時に備えるか……。

最近サボってたからな。『神々の与えたもうた魔術』に何かいいヒントがあるかもしれない。俺はコルメンさんに挨拶をして自室に戻った。


 汗を拭いて昼御飯を三人で食べる。セラ姉はもちろん、リラももう家族のように思ってる。……妹感覚でいたけど年上なんだよな。体を動かしてお腹を満たしたら眠くなってきた。少しだけ読書のつもりだったけど、お見合いの席で眠くなったらまずい。リラに起こしてくれるよう頼んで昼寝をすることにした。

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