幻術士第二部第六章
あれ……? なんだここ? 暗くて何も見えない。……いや、この感じ、覚えがあるぞ。〈夢の
(リラ、どうしたんだ?)
念じてみたけど、返ってきたのはリラの声じゃなかった。
「すまんな、少し夢に邪魔するぞ」
だ、誰……!? 落ち着いた感じの女の人の声だ。姿は見えない。
(どなたですか? 姿が見えません)
「姿を見せるとお前たちは怯えるからな。声だけで失礼しよう」
姿を見せると怯える……? 何を言ってるんだ? いや、そんなことより、今、話しかけてきてる誰かは〈夢の言伝て〉が使える。つまり召喚術士だ。リラの他にも召喚術を扱える人がいるってことか。
「私は
悪魔!?
「最近、群青のが迷惑を掛けただろう。代わりに詫びておこう」
群青の……カイタリアケイアスのことか。詫びる? 一体何を言ってるんだ??
(何の用ですか?)
相手が本当に悪魔なら慎重に受け答えをした方がいいだろう。カイタリアケイアスのあの穢れた魔力は忘れようと思っても忘れられない。悪魔は邪悪な存在だ。
「なに、お前が悩んでいるようだからな。ひとつ助言をしてやろうと思ったまでだ」
悪魔の助言? 冗談じゃない。
「疑念を抱くのも無理はない。だが、聞くだけ聞いておけ」
(悪魔の言葉に惑わされるものか)
たぶん、話を聞くだけでも危険だ。ミリシギス伯爵の二の舞にならないためにも目を覚まさないと。
「頑張っているところ悪いが、〈夢の言伝て〉は自力で解除できるような性質ではないぞ」
強制か……。心を強く持たないと。カイタリアケイアスの〈隷属の呪い〉を受けた時みたいにならないように……!
「レイジ。お前が異世界から呼ばれてずいぶん経つな」
名前……だけでなく召喚のことまで知ってるのか。
「返事ぐらいしてほしいものだな。私はお前と会話がしたくてこうして語りかけているんだ」
(助言とやらをするんじゃなかったのか?)
「そうだ。ただ、一方的に伝えたところで、お前は悪魔の言葉だというだけで否定するだろう。だから対話が必要なんだ」
話し合いがしたいなんて、妙なことを言う。いや、そうやって警戒心を解かせる作戦だな。
「……まぁいい。お前、本当に故郷に帰りたいか? ずいぶんと恵まれた境遇にいるようだが」
恵まれた境遇……。
「貴族として取り立てられ、妻は選び放題。忠実な側仕えに無償の愛を捧げる姉までいる。まぁ、姉は自称だが」
(どこまで俺のことを知ってるんだ?)
「こちらに来てからずっと見ていた。だから少し情が湧いてな」
情が湧く? 何の冗談だ?
「お前が望むなら私が空術で元の世界に帰してやれるぞ? お前の側仕えなら私を呼び出すことができるからな」
来た。こうやって人の願いを餌に自分を召喚させようってことだろう。
(そんな言葉には惑わされないぞ)
「そうだろうとも。別に私もこんな言葉を真に受けて呼び出されるとは思っていないさ。むしろ今呼び出されては困る」
……何がしたいんだ? この悪魔は。
「私の意図が何か、不思議に思っているだろう。そうだな、先に私の望みを伝えておこう」
悪魔の望み……? 疑ってかかるべきだろう。
「我々は、少なくとも私は、お前と同じく元の世界に帰りたいと思っている」
(帰る?)
「聞いているだろう。我々は元々この世界の存在ではない。召喚され、制約に縛られている」
古代に異世界から召喚された邪悪な存在が悪魔だとルソルさんから聞いている。
(制約というのは?)
「例えば、我々は自分の意思で空術を使い、自分たちを異世界へと移動させることはできない。異世界どころか、今いる地獄から地上へ行くことすらできない」
神々によって封じられたからか……。
「お前、この間、群青のがどうしてリラに〈隷属の呪い〉を使わなかったのか疑問に思っていただろう」
カイタリアケイアスがリラを操らなかったことについてキャナスさんと話した事か。そんなことまで知ってるなんて、監視されてるってのは本当みたいだな。
「隷属させた者が使った空術では、自分の意思での移動に該当する。制約によりそれはできない」
(さっき、元の世界に帰りたいって言ったよな? 地上に出て来て破壊の限りを尽くすことと何の関係があるんだ?)
つい質問してしまった。悪魔の言う事にどれだけの真実があるんだろう。話を聞けば聞くだけ惑わされかねないのに。
「人間の文明を破壊する事は我々の意思ではない。力を振るうことが好きな仲間もいるが、それが目的というわけではない」
全部が嘘なのか、真実が混ざってるのか、見極めるのは難しいだろうな。真実を嘘だと思うように誘導だってされかねない。やっぱり、耳を貸さないのが正解か。
「会話がしたいと言っただろう。何か返事をしてくれ。寂しいではないか」
……返事はしない。そうすれば諦めるだろう。
「まあいい。お前の手元にある本だけでは〈反召喚〉は修得できない。機会はまだある。今回はこれで切り上げよう。またな」
夢から解放された。
まさか、悪魔が俺に接触してくるなんて。これはさすがにルソルさんに相談した方がいいよね。
「ルソルさん、マドレなんとかっていう悪魔をご存じですか?」
「深緋のマドレヴァルファスですね。五千年ほど前に西方の地に召喚され、七つの王国を滅ぼしたと言い伝えられています」
やっぱり、文字通りの悪魔じゃないか。
「もしや女神からの託宣があったのですか?」
ルソルさんが身を乗り出す。
「いいえ、〈夢の言伝て〉で悪魔が直接語りかけてきました」
「なんですって!?」
ルソルさんの驚きようは並大抵のものじゃなかった。
「色々言ってましたが、たぶん俺を誘惑してリラに自分を召喚させようとしてるんだと思います。言うことを全部無視していたら一旦諦めたみたいですが、またな、と言っていました」
「レイジさん。呪術などを掛けられた形跡はありませんか? 不審な点があれば何でも言ってください。念のため、何も自覚が無くともエトナさんに〈呪術破り〉と〈幻術破り〉を掛けてもらった方がいいかもしれません」
「ちょうど今日、エトナさんと会う約束があるのでそうしようと思います」
ルソルさんは大きく頷いた。本気で心配しているようだ。
「悪魔の言葉を信用するつもりはないですけど、マドレヴァルファスは俺がこの世界に来てからずっと監視していたみたいです。つい先日の俺とキャナスさんの会話まで知っていました」
「どのような会話についてですか?」
「リラがどうしてカイタリアケイアスの〈隷属の呪い〉を掛けられなかったのかという話です」
そう言うと、ルソルさんもハッとした。
「確かに、リラさんを隷属状態にして自分を召喚させれば早かったはずですね」
「マドレヴァルファスが言うには悪魔には色々な制約があるらしいんです。例えば自分たちを空術で移動させられないとか。隷属させての召喚は、この制約に引っ掛かると言ってました。もちろん、どこまで真実かわかりません。むしろすべてが俺を惑わすための言葉だろうと思っています」
ルソルさんは頷いた。
「どうか、悪魔の言葉などに耳を傾けませんように」
はい、と答えた。
ルソルさんの部屋を出ると、セラ姉が心配そうな顔をしていた。聞こえちゃったか。リラはいない。良かった、リラが聞いたらきっと不安に思うだろう。
「レイ君、悪魔なんかに負けないでね。何かあったらなんでもお姉ちゃんに相談して。絶対に、守るから」
「うん、ありがとう」
お昼にワンディリマ寺院へ行く予定だったけど、すぐに行こう。リラが顔を洗う水を持ってきた。
「リラ、ごめん。ちょっと俺、身支度が済んだらすぐに一人でワンディリマ寺院に行くよ。お昼前には戻ってくるから、そしたら改めて一緒にエトナさんに会いに行こう」
リラは不思議そうに小首を傾げたけど、わかりましたと言って身支度を手伝ってくれた。
「ちょっとレイジ、来るの早くない?」
文句を言うエトナさんに秘密の話ができる場所はないですかと聞く。訝しげな顔をしながら、エトナさんは寺院の個室に連れていってくれた。
「悪魔から話しかけられた!?」
「声が大きいですエトナさん。すみませんが、念のため破術をお願いしていいですか?」
もちろんと言って〈呪術破り〉と〈幻術破り〉を掛けてくれる。
「特に何か継続する魔術が掛けられた形跡は無いわね」
それを聞けて安心した。でも、もしかしたら今後毎晩、〈夢の言伝て〉で接触してくるかもしれない。油断はできない。
「ありがとうございました、後でお昼にまた来ます。リラには内緒でお願いしますね」
真剣な顔で頷くエトナさん。
宮殿に戻った俺は、不安のあまり『神々の与えたもうた魔術』を読み進められなかった。リラが心配して「何かあったんですか?」と聞いてきた。何て答えよう。
「結婚のことで気持ちが揺れちゃってさ、ダメだね、俺、意志が弱いのかも」
本当は意志が弱いなんて言ってる場合じゃない。悪魔に打ち克つ心を持たないと。
午前中は何も生産的なことができないまま、リラを連れて再びワンディリマ寺院へ向かう。
「あー、お腹すいた。海鳴館行こうよう」
エトナさんはいつも通りだ。リラに心配をかけたくないという俺の希望を汲んでくれているんだろう。なのに、俺ときたらしゃきっとしてない。気持ちを切り替えよう。マドレヴァルファスが今手持ちの本からは〈反召喚〉を修得できないと言っていた事。あれこそが俺を惑わす本命だろう。リラに召喚術を頼める俺を帰さないつもりなんだ。
「そういえばさー」
口数の少ない俺と違ってエトナさんはよくしゃべる。元々だけど、今日は意図的にそうしてるんだろう。
「リラってレイジが元の世界に帰ったら、その後どうすつもり?」
やや間があってリラが答える。
「姉さんを探したいです。きっと見つからないと思いますけど……」
リラが奴隷にされないように、人族に見えるようツノを切ったっていうお姉さんか。
「姉さんの目は赤いので、うまく逃げ延びたのでなければ奴隷にされてしまったと思います」
「一緒に逃げたわけじゃないんだ。」
「はい。私はツノを切ってもらったので、粗末な服を着ていれば人族の奴隷だと思われるはずだって」
そうか、魔族の社会では人族が奴隷なのか。
「姉さんたちとは別方向に逃げたんですが、見つかって、保護されてしまったんです。保護された人族の奴隷に混じってたところで……。ツノに気付かれてしまいました」
その後キエルケで売られたことは聞いてる。
「じゃあお姉さんは無事に逃げられた可能性もあるわけね」
「はい。可能性ですが、私はそう信じるようにしています。ただ、魔族の勢力圏を探すとなると、ツノ無しの私は良く思われないでしょう」
ツノ無し……。初めて聞く単語だ。俺の表情から何を考えてるか察したのだろう。リラは説明を始める。
「ツノは魔族の誇りです。切ったり切られたりというのは、人族の皆さんには想像が難しいかと思いますが、禁忌です。それも、自分だけが助かるために切ったものですから、ほとんどの魔族は相手にしてくれないでしょう」
「でもさ、お姉さんが切ってくれたんでしょ? 自分で切ったわけじゃないなら――」
「受け入れたのは私です。それに、例え人族に無理やり切られたとしても、生き恥を晒してのうのうと生きてるという謗りは免れません」
魔族にそんな文化があったんだ。
「片方だけとか、折れてるとかなら、名誉の負傷として尊敬されるんですけどね。私のはダメです。逃げ隠れするために根本を切っているので」
「また生えてきたりしないの?」
「十三歳ぐらいまではよく伸びます。その後もほんの少しずつ伸びますが、切った跡は隠せません。むしろ伸びてきたら目立つから削らないと……」
もしかして、俺は元の世界に帰らないで貴族になってリラを養う方がいいのかな。召喚術のことがばれたら捕らえられるかもしれないし。……クレイアさんの顔を思い出す。
「辛いこと聞いちゃってごめんね。ところで、リラって今いくつ? 十四ぐらい?」
「あっ……やっぱり私、童顔ですよね。体型も貧弱だし、子供に見られがちなんです」
「というと?」
「今年で十八になります」
びっくりしてむせた。まさかの年上!?
「大丈夫ですかレイジさん!」
お店の人が水を持ってきてくれる。
「私と八つ違いかー。セラエナと二つしか違わないなんて見た目じゃわかんないね」
さらっとセラ姉とエトナさんの年齢も知れてしまった。女性に歳を聞いちゃいけないって言われてたから気にしないようにしてたんだけど。
「ところでレイジ、結婚話、すごいことになってるらしいじゃない」
そうだ、エトナさんの意見も聞いてみたかったんだ。
「バラダソール貴族はたくさん奥さん持つから大変だよね」
「他の国は違うんですか?」
「多くて三人かな。人によっては愛人いっぱいだけどね」
「ルソルさんが、まずは四人ぐらいにしましょうかって言うんですよ。まずはってことはさらに増えるんですよね」
「聞いた話じゃ貴族全員が縁戚になっておけって勢いみたいだからね。ルソルさんはさすがに十人ぐらいに絞ると思うけど」
十人って……。
「バラダソールの貴族って何人いるんですか?」
「公爵は今はルソルさんだけ。妻帯しないから別として、侯爵は五人。伯爵は十六人いるね。だから最大で二十一人の奥さん。わお」
なんだか頭が痛くなってくる。
「全員が結婚適齢期の娘や孫がいるわけじゃないから、親戚の子を養子にする手続きとかしようとしてるみたいね。でも、そういうのは政略結婚として重要な相手以外ルソルさんが弾くと思うな」
ああ、実子がどうのって言ってたな。
「レイジ、元の世界に帰るから結婚したくないとか思ってるんでしょ」
「うん、連れて帰るわけにいかないし。放って帰るなんて無責任なことしたくないし」
「無責任かぁ、文化が違うんだろうね」
「こういう考え方、珍しいですか?」
「庶民なら無くもないけど、貴族はほら、家の単位で括るから。レイジがいなくなっても奥さんたちで楽しく暮らすんじゃない? 実家との繋がりもあるし」
少なくとも現代日本人の感覚だとわけがわからないよ。
「今のところ何人と会ったの? 気になる相手、いた?」
「まだ一人しか会ってないです。リラに気を使ってくれたし気さくだし、いい人だなとは思いました」
「あー、ウェンフィス伯爵のところのシアさん。貴族の子女の話はうちの寺院じゃ、あんまり入ってこないけど、少なくとも悪い噂は聞かないよ。十四にしては成熟してるらしいし」
またむせそうになる。
「十四!?」
「なに? そんなに驚くほど年上っぽいの?」
「年上だと思ってました。なんていうか、包容力みたいのがあったんで」
そう言うとエトナさんはニヤニヤする。
「なんだ、まんざらでもないんじゃない。結婚しちゃいなさいよ」
エトナさんまで……。もしかしたら違う意見が聞けるかもって思ってたのに。
「なんでみんなそんなに俺を結婚させたがるんですか?」
「なんでって、結婚適齢期だからでしょ。セラエナみたいな行き遅れとは違うんだからさ」
「俺の故郷じゃ結婚できるのは十八からで、二十代後半で結婚する人が多いんです」
「ええっ!? それじゃあ子供何人も産めないじゃない!?」
「そうですね……一人か二人が多いです」
「ちょっと待って……。それ、さすがに話盛ってるでしょ。一人か二人って、おかしいよ。父親と母親で二人なんだよ? 三人以上産まないと人間減っていくじゃない。病気とか戦争で死ぬ分も考えると、滅ぶよ!?」
あー、世間で言われてる少子化って、そういうことか。戦争は無いし、医療が発達してるからなんとかなってるけど、言われてみると自然じゃないのかも。
「子供の数が減ってるって問題視されてますね」
「大問題よ。本当に変わった世界から来たのね。想像もつかないわ。……別の話しよっか」
変わった世界か……。魔術を当たり前に使えるようになって改めて考えてみると、この世界って思ったほどファンタジーっぽくないかも。魔物とか悪魔とかいるけど、そこらへんにごろごろしてるわけじゃないし。魔族も人種が違う程度のことみたいだし。
「リラは結婚話無かったの?」
それ、聞いちゃダメなやつじゃ……。
「私の故郷は持参金の風習が強くて……。次女の私はなかなかお嫁に行けなかったんです。今はもう、このツノですし、諦めてます」
そう言って寂しそうな顔をする。
「あ、ごめん。うん。今のは私、悪かった。反省します」
エトナさんは空気読めるんだか読めないんだか……うん? 空気読むの得意な人だよね? わざと言ったな?
「これはレイジが養ってあげるべきじゃない?」
それみろ。これを言うためにリラに悲しい思いさせたな。俺はちょっとムッとしてしまう。リラがおろおろしている。しまった、これじゃあ養えって言った事に対して俺が気分を悪くしたように見えてるんじゃないか?
「リラのことは俺が守るし、俺が元の世界に帰った後の事は、ルソルさんにしっかり頼んで行きますよ」
「ルソルさん若くないんだし、レイジが伯爵になって、家にリラを置いてあげた方が確実だよ?」
……口でエトナさんに勝てるわけないよな。言いくるめられる前に話題を変えよう。
「カダーシャさんってあの後どうしたか知ってますか?」
「露骨に話を逸らしたわね……。まあいいか、カダーシャさんねー。全然噂聞かないわ。例の吟遊詩人の歌でレイジと引き分けたって出てくるだけ」
そっか。
「まぁ、どこかであの話聞いて、そのうちレイジに勝負挑みに来るんじゃない?」
それは嫌だな……。とは思いつつ、実は今覚えようとしてる高等幻術はカダーシャさん対策を意識してたりする。カルゲノ城で見たカダーシャさんの戦いぶり。あれを相手にするとなったら本当に命懸けだもの。
そんなこんなでエトナさんと話をしたら、少しだけ気分が軽くなった。セラ姉に焼き菓子のお土産を買って宮殿に帰る。『神々の与えたもうた魔術』を読まないと。
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