幻術士第二部第五章

 ウェンフィス伯爵の屋敷に行った三日後、更に困ったことになった。今度はミュグヌ伯爵から縁談の話が来てしまった。セラ姉に話すと「政争に巻き込まれつつあるね。ルソルさんと相談して今後の身の振り方を決めた方が良さそう」とのこと。

夜、ルソルさんが部屋に戻ってくると、俺が話すより先にその話題に触れてきた。

「少し楽観視しすぎていました。おそらくほとんどの貴族から縁談の話が来ると思います」なんて言い出す。

ほとんどの貴族から縁談……。誰かを選ばないといけないわけか……。

「序列を整理して何人か妻に迎える必要がありますね……。まずは第四夫人ぐらいまでにしておくのが妥当でしょうか」

俺は絶句した。そうだった。ここは日本じゃない。重婚は合法で、貴族にとっては珍しいことじゃない。異世界召喚のハーレムものは少なくないけど、旅の仲間が女の子ばっかりっていうのがセオリーだろ? 実際、みんな神官とはいえカルゲノまでの旅はそんな感じになってた。それがここに来て、妻が四人以上とかいう本物のハーレムが実現しつつあるなんて……。えっ、本当に俺、どうしたらいいの?

「あの、ルソルさん、俺の故郷では重婚は認められてないんですよ」

「そうなのですか。バラダソールでは富める者は多くを養うのが常です。レイジさんには今後、私の側近として重要な地位に就いてもらいたいと思っています。もちろん、元の世界に帰れるようになった時に邪魔立てはしませんが……。できれば私の死後まで甥を支えていただければと思っているのが正直なところです」

そんな先のことまで考えてたの!?

「家柄と派閥、あとは令嬢が実子かどうかなど、色々と整理しなければなりませんね。もちろんレイジさんが気に入った女性がいれば序列は上げるとして……。そうですね、しかし、できればウェンフィス伯爵の三女シアさんは第一夫人にしていただけると政略結婚としてはありがたいです」

結婚前提で話が進んでいく……。誰か一人選ばないといけないなら、悩んでるっていう理由で先延ばしできただろうに、これじゃあ、何人と結婚しないといけないかすらわからないじゃないか!

「あの、ルソルさん、結婚ってしないといけないですか? せめて二年ぐらい先延ばしにしてくれるとありがたいんですが」

ルソルさんはすまなさそうな顔をした。

「甥は、アルド王は生母の関係もあり後ろ楯が少ないのです。キンギスが死に、その子らも王族の地位を剥奪されたので残りの王位継承権者は皆、遠縁です。我が父の血筋を残すには諸侯のアルドへの忠誠を繋ぎ止めなければなりません」

なんか難しい話が始まってしまった。

「まだ先の話にはなってしまいますが、レイジさんの子供たちが、成人したアルドの廷臣として国の中心になって欲しいと考えています。貴族たちも私のこの考えを予想しているため、レイジさんと縁戚になろうとしているのです」

ぽかんとしてしまう。俺の……子供たち……?

「王家に女子がいればレイジさんを婿に迎え、公爵家を興せたのですが、それは二世代ぐらい後でも仕方がありませんね。まずはキンギスの領地の一部をレイジさんにお任せして伯爵になっていただきます。世継ぎが産まれれば、レイジさんが元の世界に帰られてしまっても、新たな伯爵家がアルドの後ろ楯に成長することでしょう」

俺を利用することになるかもしれないとルソルさんは言っていた。こういうことか……。

「魔族との戦いはいずれ攻勢ではなく守りに回ることになるでしょう。その時、バラダソールは磐石の体制でなくてはならないのです。できれば魔族との関係も今以上に良好なものとして――」

「ルソルさん」

「むっ、すみません。こちらの都合ばかりまくしたててしまい」

「考える時間をもらってもいいですか? 縁談の話は仕方がないので進めます。でも、全員断る選択肢も残してもらえるとありがたいです」

「……わかりました。ただ、女神の恩寵を授かったレイジさんの血筋がバラダソールには必要だということは覚えておいていただけると助かります」

「はい……」

女神の恩寵、か。結局そこなんだよな。俺の実力でもなんでもなく、女神にちょっと目をかけられたから、ちやほやされてるんだ。

「レイ君大丈夫?」

セラ姉はちょっと頭おかしいけど、俺を自分が想像してた架空の弟に似てるからという理由だけで大事にしてくれてる。

「レイジさん、私、なるべく早く〈反召喚〉を身に付けてみせます!」

リラは俺に助けられたことを負い目に感じて俺に尽くそうとしてくれてる。

もちろんルソルさんから受けた恩は大きい。できるだけ返したい。でも……結婚して子供を作れなんて重大なことを頼まれるとは思わなかった。しかもその子供たちを置いて帰るなんて……無責任な気がする。いや、文化も常識も違うからこっちでは問題ないんだろうけど、俺が、俺の気持ちを消化しきれない。

「セラ姉、リラ」

「なぁに?」「なんでしょうか?」

「いざとなったら三人でバラダソールを離れよう」

「そうだね。貴族として領地を持つより、流浪の自由の方が価値があるとお姉ちゃんは思うな。個人的な意見だけどね」

「私はレイジさんをこの世界に呼んだ責任があるので、送り返す義務があります。バラダソールにいた方がいいのか、そうじゃないのか、私にはわかりませんけど、どこまでもレイジさんについていきますよ」

「ありがとう二人とも。ちょっと落ち着いた」

さて、どうしたものか。召喚術の研究が帰還への近道だよなぁ。

「あ……」

「どうしたの?」

色々あって忘れてた。『神々の与えたもうた魔術』だっけ? 注釈を読んでエトナさんに翻訳してもらうんだった。

よし、縁談は進めるけど、結婚より先に日本に帰る! これを目標にしよう。

そう言うと、二人とも同意してくれた。



 翌朝、縁談はすべて受けるともう一度ルソルさんに伝えた。ルソルさんは本当に喜んでいた。ちょっと後ろめたい。

朝御飯を食べてすぐにリラを連れて書庫へ向かう。一番乗りかと思ったらすでにセオゼさんがいた。

『神々の与えたもうた魔術』を探す。あった。表紙をめくる。

〈ここに魔術の深淵を書き記す。神々よ、悪しき者に知識が渡らぬよう、神聖なる言語を使うことをお許しください――〉

ふむ、序文は神聖語じゃないみたいだな。ページをめくる。

〈まずは系統の真の意義について論じてみたいと思う――〉

うん? ページをめくる。

〈このように、元素術には物質世界のあるべき形を成り立たせるための――〉

あれ? ページをぱらぱらとめくる。

〈幻術は精神世界と物質世界の関係が必ずしも絶対ではないことを教えてくれる――〉

ええっ!? まさか……。

「なぁ、リラ。これって神聖語?」

「はい、おそらく寺院の高位神官でも把握できていない単語が含まれています」

「はは……。ははははは……」

「レイジさん?」

何が「言語の壁ぐらいは取り払ってやろう」だ。あの女神、とんでもないチート能力をくれてたんじゃないか。俺はあらゆる言語を理解できる。きっとそうだ。間違いない。

「なぁ、リラ。これは部屋で読もう」

セオゼさんに知られたら面倒なことが色々とある。今も不思議そうにこっちを見ている。

俺たちは足早に自室に戻った。セラ姉は教官の仕事に行ってるらしい。

「よく聞いてくれリラ。俺はシャナラーラ女神から、この世界の言葉がわかるっていう能力を貰ってる」

「すごいです! 知神の恩寵ですね!」

リラが興奮気味に言う。何が言いたいかわかったようだ。

「そう、俺は神聖語が読める。たぶん、古代語も、悪魔語だってわかるんじゃないかな」

つまり、魔導書さえ手に入れればどんな本でも内容を理解できるはずだ。キャナスさんもリラも『失われた空術』には意味のわからない部分があったと言っていた。そこを読めば――日本に帰れるかもしれない!


 さてどうしよう。『失われた空術』は今ルソルさんが持っている。隣の部屋にあるのかもしれない。勝手に入って読むか? ルソルさんに知神の恩寵の話をするか? まずは『神々の与えたもうた魔術』を読みきるか? さあどうする俺。要はルソルさんにあらゆる言語がわかることを打ち明けるかどうかだ。古代語研究に一生を捧げる学者もいるという。その研究成果のお陰で読める古文書が多いとルソルさんは言っていた。学者としてのルソルさんも、国の守護者としてのルソルさんも、こんな能力があると知ったらますます俺にここにいて欲しいと思うだろう。だから、隠しておくことも検討した方がいいかもしれない。もしも『神々の与えたもうた魔術』に〈反召喚〉のことが詳しく書いてあるなら、この一冊を読むだけで事足りる。ルソルさんには悪いけど、さっさと日本に帰ろう。セラ姉を同行できるかという問題はあるけど、それを考えるのは後だ。

この本に書いてないなら『失われた空術』を読まないといけない。でも、そこに〈反召喚〉を修得できるようなことが書いてあるとは限らない。その場合、更なる魔導書が必要だ。

隠された禁術の本を手に入れる方法に心当たりはない。ミリシギス伯爵はどうやって『失われた空術』を手に入れたんだろう? お金と権力。禁断の魔導書を手に入れるにはそれが必要だ。

よし、考えがまとまった。まずは『神々の与えたもうた魔術』を読もう。ダメだったらルソルさんを急かして『失われた空術』を読もう。それでもダメだったら、恩寵のことを話してバラダソールの貴族になろう。その時はその時だ。うだうだ悩まずに、結婚してルソルさんへの恩返しとして子供を……子供を作る!? お、俺が!? 彼女だっていたことがないのに!

まあ……でも……とりあえず道筋は定まった。リラに話すと、それでいいと思いますと言ってくれた。


 セラ姉が朝の訓練から帰ってきたので、決意を話す。

「シャナラーラ女神の恩寵は魔術の才能だけじゃなかったんだね。すごいよレイ君。今後の方針もわかったよ。ただ……」

ただ?

「お姉ちゃんも連れていってくれるっていう約束、できれば守ってくれると嬉しいな……」

できれば約束を守ってくれると嬉しい……。この言い方は、いざとなったら一人でも帰れってことだ。それは……なんていうか、セラ姉のこれまでの俺への想いを裏切ることになる。それは卑怯だ。

「もう一回約束するよ。セラ姉は連れて帰る」

セラ姉の表情がぱぁっと明るくなる。嘘じゃない。俺はセラ姉の望みを叶えたい。ただ、それが本当に可能なのかはわからない。セラ姉にもわかってるんだろう。

「ありがとう。でも、もし無理だってわかったら、お姉ちゃんの事はいいから」

……以前のセラ姉ならこんなこと言わなかったかもしれない。俺の幸せを本気で願ってくれてるんだ。

「とにかく、今ある本を読んで召喚術の事を調べるよ」



 午後はシアさんに冒険話をしに行く。確かマダに道を塞がれたところまで話したんだったな。迎えに来た馬車に乗り込んだ。

今日は伯爵は不在らしい。使用人に直接中庭へ連れていかれると、シアさんがすでに待っていた。

「来てくださってありがとうございます。お忙しいのではないですか?」

「摂政付武官と言っても自由にさせてもらっています。仕事はありませんよ」

「いえ、他の伯爵家からも縁談の話が行っているとか。きっと、すべての貴族が名乗りを上げるのでしょうね」

ああ、知ってるんだ。どうやらみんな本気で俺を結婚させたがっているらしい。嫌がってるのは俺だけ、か。

シアさんがふふっと笑った。「どうしました?」と聞いてみる。

「もし、レイジ様が全員と結婚なさったら、お屋敷はさぞ賑やかになるでしょうね」

シアさんは一夫多妻が当たり前の文化で育ったから、俺がシアさん以外とも結婚するかもしれないことを全然嫌がってないみたいだ。むしろ楽しみにしてそうに見える。本当に……俺だけが嫌がってるんだな。なんだか自分がワガママを言ってるような気がしてくる。

「レイジ様、前回のお話の続き、してくださいますか?」

「あ、はい。ジグニッツァを出たところからでしたね」

この人と結婚する可能性もあるのか、実感が湧かないな……なんて気持ちを頭の片隅に置きながら、魔物大発生の真相がわかったところまで話した。

「人が魔物になってしまうだなんて……。そんな恐ろしいことがあるんですね」

「はい。悪魔の非道さに言葉を失いました」

さあ、帰る時間だ。『神々の与えたもうた魔術』を読まないと。

「レイジ様……。何か心配事でもおありなのですか?」

しまった。顔に出てたのか。失礼なことをしちゃったな。

「すみません。今後は冒険をしてた頃と違って、色々な責任を背負わないといけないんだなって。そんな甘えたことを考えちゃいました」

その場しのぎでそう言うと、シアさんは俺の手を取った。ドキッとする。

「私の父も多くの責務に追われています。母たちがそんな父を支えてきたのを私は知っています。私も、母たちのように、誰かを支えられる妻になりたい。そう思っています」

その誰かが本当に俺でいいのかな……。

シアさんの侍女が、そろそろと言った。

「レイジ様、お話の続き、楽しみにしていますね」

帰ることを最優先すると決めたばっかりなのに、俺の心は揺れている。ダメだな、俺。馬車に揺られながら自己嫌悪に陥る。


 余計な考えを振り払うために『神々の与えたもうた魔術』を読み進めたけど、いまひとつ頭に入ってこない。召喚術について書かれてるのはたぶんまだ先だからいいけど、もっとしゃきっとしないと。

明日はエトナさんに会う約束をしてる。エトナさん、鋭いから恩寵の事、ばれちゃうかもなぁ。

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