幻術士第二部第一章

 バラダソールに着いて三日目の夜中のこと。妙な魔力を感じて目が覚めた。廊下側の扉が人ひとり通れるだけ開いてる。そして、この散布されたような魔力は知っている。〈不可視の衣〉のものだ。誰かが侵入してきている。俺は〈魔覚の強化〉を使って、ただでさえ敏感な魔覚をさらに鋭敏にした。やっぱり。侵入者の輪郭が魔力の塊として見える。そいつは音をたてないようにルソルさんの部屋への扉を開けようとしていた。暗殺か泥棒か、なんにせよ、いわゆる曲者ってやつだ。俺が起きたことには気付いてない。すぐさま〈幻惑放心〉をかけてやる。〈不可視の衣〉が解けたけど、暗くてよく見えない。どうやら黒ずくめの男らしい。そいつは扉の前で呆けて立っている。

「セラ姉、ごめん、起きて」

深夜に起こしてしまうのは可哀想だけど、一人じゃ心細い。セラ姉を起こす。

「えっ? 侵入者?」

セラ姉は縄を使って男を縛ってくれた。幻術を解除すると、男は混乱した様子だった。こいつにとっては、〈不可視の衣〉を使ってルソルさんの部屋に侵入しようとした次の瞬間、いきなり体を縛られてたようなものだもんね。

「何が目的? ルソルさんの暗殺? 誰の手下?」

セラ姉が何を聞いてもだんまり。仕方ない、ちょっと精神を乱してやろう。俺は中等幻術〈狂気の演目〉を掛けた。これは無茶苦茶な幻覚を見せる魔術だ。幻覚の内容は掛けられた相手次第。酷い悪夢のようなものを見ることになるって本には書いてあった。あんまり長時間掛けすぎると気が狂ってしまうらしい。それだけ精神への負荷が強いから、解除後はきっと心が無防備になる。侵入者の目玉があちこちを向いて定まらない。きっとわけのわからない幻覚を見てるんだ。加減がわからないので、侵入者の息が荒くなったところで解除した。明らかに怯えた目をしている。それでも、何を聞いてもだんまり。

「拷問するみたいで気が引けるけど〈恐怖の喚起〉を掛けようか」

セラ姉にそう言うと、ルソルさんが起きてきて〈光石〉の明かりをつける。俺は状況を報告した。

「暗殺者なら拷問に対処する訓練を受けているかもしれません。苦痛や恐怖では口を割れないでしょう。〈偽りの幸せ〉を試してみませんか?」

なるほど。〈偽りの幸せ〉はとんでもなくハッピーな気持ちにさせる幻術だ。これもやり過ぎると精神に異常をきたすらしい。ちなみに〈恐怖の喚起〉もそうだ。中等幻術は危ないものが多い。〈偽りの幸せ〉を掛けようとすると、侵入者は魔力を展開して抵抗してきた。でも、俺には魔力の穴や、薄いところが手に取るようにわかる。無駄な足掻きだ。

幻術に掛けられた男はすごく晴れやかな笑顔を浮かべる。

「こんな気持ちは初めてだ……。捕まってるっていうのに、楽しくてしかたがない……!」

おお、しゃべった。今なら質問に答えてくれるかもしれない。

「何をしに、誰の依頼で来たんですか?」

「ははっ、公爵ルソルの暗殺だよ。失敗したけどな! 何がどうなったのかわっかんねえ! 面白すぎだろ! で、誰の依頼かって? 組織の命令だから知らねぇよ、当たり前だろ、ははっ」

妙なハイテンションでべらべらしゃべる暗殺者。自分でやっといてなんだけど、幻術怖い。

「組織とは何ですか?」

「知らないのかよ、面白いな! 真鍮しんちゅうの鍵に決まってんだろ? って、秘密組織だったー! 知るわけねぇか、ぎゃはは!」

……なんていうか、もう狂ってない? 大丈夫?

「真鍮の鍵という組織について教えてください」

「教えてくださいなんて聞かれて教えると思うか? でも教えちゃう。俺やっさしい! 俺たちはなぁ、バラダソールに昔っから隠れ潜んでる裏の組織さ! どうだ格好いいだろう。暗殺でも窃盗でも、闇から闇に華麗にこなすぜ!」

ルソルさんは難しい顔をした。

「そんな組織がこの国にあったとは……」

少しショックを受けてる。

いくつか細かいことを尋ねて幻術を解除すると、ハイテンションだった男は一転、怯えだした。秘密をしゃべってしまったことで、粛清されるのを恐れてるみたいだ。

「情報が漏れたことを気付かれたくありませんね。レイジさんの幻術の腕も知られたくありません。レイジさん、この者の記憶を消せますか?」

「もちろんです。〈記憶の改竄かいざん〉も修得済みです」

〈記憶の改竄〉、これは少し前までの記憶を消せる魔術だ。本当にすごいことができるようになったよなぁ、俺。

こうして、暗殺者は記憶を消した上で衛兵に引き渡した。暗殺者にとっては、仕事のために宮殿に侵入した次の瞬間、なぜか捕まっていたことになる。理解が追い付かないという表情を浮かべていた。


 次の日。ルソルさんが宮殿から出掛けると言って俺とセラ姉に護衛を頼んできた。

「俺なんかが護衛になるんですか?」

「レイジさんはとっくに、私より優秀な魔術士ですよ」

そう言って嬉しそうに笑う。確かに、高等魔術は数に入れないのが普通だから、幻術をマスターしてるんだよな、俺。

昨日の夜に暗殺者から聞き出した情報をもとに、真鍮の鍵の連絡所になっている酒場に俺たちはやってきた。

酒場のマスターに、合言葉「海から昇る太陽は山の影へ」と言うと、奥の部屋に入るよう促される。

部屋でしばらく待っていると、陰気な顔の男がやってきた。

「盗みか? 殺しか?」

依頼をしに来たと、何の疑いも無く思ってるみたいだ。

「国王暗殺の依頼を受けないように頼むことはできますか?」

ルソルさんがそう言うと、男はしばらく考えてから「俺たちは王家の飼い犬になる気は無い」と答えた。

「残念です」

ルソルさんはそれだけ言って、あっさり引き下がる。俺たちは酒場を出た。

「あれで良かったんですか?」

「はい。あの酒場に出入りする者を調べさせ、地道にキンギスとの繋がりを探ります。時間がかかるので当分の間は警戒しながら日常を過ごしましょう」

また暗殺者が来るかもしれない。気を引き締めないとね。

「そうだ、レイジさんが書庫に出入りできるよう言っておきます」

そっか、今のうちに色々勉強しておかないと。



 ルソルさんが言っていた通り、ネッサの宮廷には魔族が何人もいた。奴隷という身分なのに官位と役職があって、奴隷じゃない部下までいるという不思議な制度。ただ、なるべく魔族同士が同じ部署に配属されないようになっていて、共謀して反乱できないようになってるらしい。見る限りでは奴隷という言葉から想像できないほど自由で、普通に生活を送っている。

「彼らはきっと、魔族の国に帰っても、もう馴染めないでしょう。場合によっては裏切り者として迫害されるかもしれません」

あと、扱いは人族と変わらないように見えたけど、それは官同士の話で、爵位を持つ貴族からは明らかに差別されていた。リラのことがバレたら嫌だな。

「私の故郷でもこのぐらい魔族の権利を守ってあげればいいのに」

そんなことを言うセラ姉に、捨ててきたみたいなこと言ってた領地について聞いてみた。

家宰かさいに全部任せて放り出してきたからね、今頃は遠縁の親戚が継いでるんじゃない? 別に家宰に乗っ取られててもいいし」

全然、後悔してないみたいだ。家族ももうみんな亡くなったみたいだし、もしかしたらかえって思い出して辛いのかもしれない。

ちなみに、家宰っていうのは家のことを司る使用人のリーダーみたいな立場の人らしい。貴族は自分の家の管理を人に任せちゃうんだね。

セラ姉としてはとにかく土地に縛られることが嫌らしい。俺の姉として今後は生きていくと宣言されてしまった。


 リラと二人でネッサ宮殿の書庫にやってきた。図書館みたいなところを想像してたけど、どっちかっていうと図書室だ。とりあえず、地理と歴史が知りたい。

『世界全図』という本を見つけた。どうやら今いる大陸はアルファベットのNを反転させたような形をしてるらしい。つまり、北西と南東に地中海みたいのが縦にあるんだ。バラダソールは中央部分の南端、その東海岸にある。大陸の東側は魔族の領域らしいんだけど、リラが住んでたのは東側中央の辺り。そこが攻め落とされたってことで、人族の勢力がすごく拡大してることがよくわかる。

だいたいの地形がわかったところで、次は歴史だ。でも何から手をつければいいかわからない。やっぱり、昔の方から勉強していった方がいいよね。悪魔と人間が戦ってたのが三万年ぐらい前だって言ってたな。すごく歴史の長い世界だ。

『英雄ヴァリス物語』っていう本があった。ヴァリス……。なんか聞き覚えがあるぞ? そうだ、クレイアさんが言ってたカイタリアケイアスにやられたっていう英雄の名前だ。物語なら読みやすそうだし、これからいってみよう。


 悪魔との戦いは中断を挟んで百年以上続いたらしい。中でも人族と魔族が完全に協力しあって戦った第四戦役は悪魔との一大決戦だった。たぶん、読み物として脚色してあるんだろうけど、すごく面白かった。なんていうか、胸が熱くなる。英雄ヴァリスを中心とした話だったけど、カイタリアケイアスにやられてから少し先まで話は続いてた。ヴァリスの死によって人々の士気は下がり、魔物の軍勢が次々と都市を破壊していったと書いてある。どうも、この時代の魔物は今の魔物と同じとは思えない、悪魔に指揮されていたからなのかな? で、物語は最終的に神々が地上に現れて魔物を蹴散らし、十二体の悪魔を地獄に封印したところで終わってる。

……最初から神々がなんとかしてれば良かったんじゃないの? 少なくとも大きな被害が出る前に出てくれば良かったのに。でも、それよりも気になったのが、悪魔をわざわざ地獄に押し込めたこと。神々の力でも殺すことができなかったとでもいうんだろうか? まあいいや、神々が出てきていきなり終わったのは打ち切り漫画みたいで釈然としないけど、面白かったしこの世界のことが少しわかった。この調子で色々読んでいこう。


 本を読んでいただけじゃない。セラ姉に剣術と乗馬、あと上流階級の話し方を教わっている。だけどまず、俺は筋力も体力もない。セラ姉に組んでもらった特訓メニューで体作りだ。あの破術士にやられたことが忘れられない。絶対に強くなってやる。



 そんな感じであっという間に一ヶ月ぐらいが過ぎた。ルソルさんが調査に進展があったことを教えてくれた。

「ついに証拠を掴みましたよ。真鍮の鍵に依頼を行ったのは街のゴロツキでしたが、そのゴロツキは四等勲士の書記官に雇われていました」

相変わらずアルド王暗殺の動きがあったらしい。パラジャンディさんが頑張って防いでいたお陰で、この依頼主を突き止めることができたみたいだ。

「ゴロツキと書記官は捕らえてあります。書記官を尋問したところ、キンギスの家宰から命じられたと白状しました」

おおっ、それはもう、キンギスが黒幕だって判明したようなものじゃない。

「これから家宰の捕縛が行われ、公開尋問が行われます。証拠は揃っているので国王暗殺を企てたことを自供するでしょう」

「キンギスが黒幕じゃないんですか」

「十中八九そうですが、家宰は自分の一存だと言って主を守るでしょうね」

そんな……。

「しかし、キンギスを失脚させるには十分です。腹心の部下が国王暗殺を指示したのですから、摂政を続けることはできません。領地で謹慎することになるでしょうね」

「家宰はどうなるんですか?」

「国王を殺害しようとしたことは最大級の重罪です。一族連座で極刑は免れないでしょう」

可哀想に……。主のために家族まで犠牲にするなんて。そんなの酷すぎるって言いたいけど……この国の法律に俺が口出ししてもなんにもならないだろう。


 こうして、ルソルさんが摂政の地位に就くことになった。

俺は二等魔術官という官位と、摂政付武官せっしょうづきぶかんという役職を貰った。普通、官位は八等勲から一等勲まであって、勲士と呼ばれるそうなんだけど、試験や家柄で決まるらしい。それに対して魔術官は、魔術士として優れた人物が、偉い人に推薦されてなれるエリートだそうだ。だから二等魔術官というのは二等勲士よりちょっとだけ格上らしい。ちなみに、一等になるには国に貢献した実績が必要だとか。

一等勲士と一等魔術官の上にいるのが領地を持つ伯爵。そして国境の重要な土地を任された侯爵だ。王族は公爵というそのひとつ上になる。ルソルさんは領地を持ってないけど公爵だ。

うん? ちょっと待って。俺、二等魔術官なんだよね。俺より上は一等勲と貴族だから……すごく偉いってことになっちゃったけど、いいのかな。最初に官位だけ聞いた時には一等と二等があるうちの下の方なんだろうと思ったら、八等まであるなんて……。

ちなみに、摂政付武官っていうのは文字通り摂政であるルソルさん直属の護衛だそうだ。

リラは俺の侍女のまま五等勲士になった。このぐらいの官位なら摂政の権限で引き上げられるらしい。侍女で五等はかなり位が高いみたいだ。でも一応、リラに本当にそれでいいのかと聞いてみる。

「以前にもお話ししたように、私はレイジさんにお仕えする立場で構いません。いえ、むしろ居場所を用意してもらえて、嬉しいです」

魔族だとバレたら面倒なことになりそうだ。守ってあげないと。

セラ姉は遠い西の国の貴族だからということを考慮して、役職は無しで三等魔術官の位が贈られた。

「私はレイ君のお姉ちゃんってだけで十分なんだけどなぁ」

官位があった方が自由に宮殿を歩き回れるからこれでいいと思う。



 ルソルさんは俺が女神の使者だというようなことは国の誰にも言っていない。カルゲノでのことも、ルソルさんが託宣を受けて、俺とセラ姉の姉弟を護衛として雇って事件を解決したことにした。リラを救出した話も伏せておくことにする。実際、使者のつもりのない俺としてはそれでいいんだけど、以前、俺を利用する形になるかもしれないと言っていたことを思い出す。どういうことなんだろう。

それはそうと、剣術修行と読書の日々は続いてる。摂政付武官の仕事はいいから、自由に過ごしてほしいと言ってくれたお陰だ。だから存分に、この世界のことがわかるよう、たくさん本を読んだ。『博物事典』『バラダソール王国史』『現行法規概要』『現代魔術論』『世界略史』『高等魔術の手引き』……。こんなに熱心に勉強したのは初めてだ。高校受験ですらこんなに頑張ってない。生きるために必要な知識と思えば手を抜いていられないもんね。まぁ、それでも法律の本は読むだけでも辛かったけど。逆に魔術関係の本を読むのは驚くほど苦じゃなかった。その結果、初等強化術と初等呪術は完璧に体得できた。でも、中等幻術を体得済みの俺に初等呪術はあんまり必要無さそうな感じだ。それだけ適性の差の影響がある。そして、俺はついに高等幻術修得のための勉強も始めた。

高等魔術というやつは基本的にオリジナル魔法みたいなものらしい。高等魔術の使い手はみんな自分の開発した魔術を人に教えようとしない。ただケチでそうしてるわけじゃない。自分の適性と魔力操作の癖に合わせて最適化した高等魔術は、教えようと思っても簡単ではなく、しかも教えた相手が同じようにできる保証が無いそうだ。

ルソルさんは毎日忙しくしている。学問ができないのが悲しいと言っていた。俺とも寝る前と朝起きた時に少し会話できる程度で、しばらくまともに話してない。

王の叔父で摂政という、国で一番偉いと言える立場なのに、自分は神官です、なんて言って身の回りのことはなるべく自分でやろうとする。ただでさえ自由時間が少ないのに。

対して俺はというと、セラ姉とリラにお世話されているうえにやるべき仕事もない。勉強と剣術をことさらに頑張ってるのは、ちょっと罪悪感があるからだ。

ちなみに当たり前と言えば当たり前なんだけど、リラの召喚術の勉強、具体的には帰還の儀式については何の進展も無い。公に禁じられているうえに伝承の途絶えている召喚術を学ぶには、密かに隠されて焚書を免れた魔導書を手に入れるしかない。今のところ手がかりはゼロだ。

いつになったら日本に帰れるんだろう。いざとなったらこの世界で一生を終えることになってしまう。そういう意味でも勉強を頑張らないといけない。


 勉強といえば、書庫をよく利用している四等勲の学者のセオゼさんという人と仲良くなった。世界を知るためにはどんな本を読んだらいいか尋ねてお世話になっている。そんなある日、書庫の本の数の話になった。

「ひとつの本棚は四段で、本の厚さにもよるけどだいたい一列に二十冊入る……。その本棚がここには十五台あるから……千二百冊かぁ、読みきれないなぁ」

そう言うと、セオゼさんは驚いた顔をした。

「二等魔術官殿は商家のご出身ですか?」

父さんはよくわかんないけど電器メーカーの広報とかそんなところで働いてたはず。母さんは百貨店の事務だ。商家っていうと、家でお店をやってる人のことだろうから、違いますと答えた。

「桁が小さいとはいえ、そんなに早く暗算ができるとは……数学を学ばれたんですか?」

高校生になって一ヶ月程度でこっちに来ちゃったから中学校レベルだけど数学は一応やってる。得意科目じゃないけどね。だから、ちょっとだけと答えると、すごく感心してた。貴族は高等教育を受けるものだけど数学を修めるのは珍しいらしい。盛大に勘違いされてるけど、まぁいいか。

ちなみに、千二百冊を多いと俺は言ったけど、セオゼさんは一国の王城の書庫がこの程度しか蔵書が無いのは問題だって言ってた。ルソルさんに直訴するつもりらしい。ルソルさんも学者だから、きっと叶えてくれると思うよ。

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