文芸部の幽霊ときみ


空は曇天。

いよいよ雨になる前に買い出しを済ませておこうとわたしは外に出た。


学校から最寄りのコンビニまでは徒歩10分。

すっかり顔を覚えられた店員に豚まんを勧められてしまった。


断るのが面倒でついつい購入してしまったけれど、摂取カロリー……。


まあ、いいか。

砂際夜羽わたしは嘆息する。



運命の日X-Dayまで残り16日。

油断はできないけれど逃げ切る事はなんとかできそうだ。


コンビニ袋を手に、豚まんを頬張りながら帰り道を行く。

食べ歩きは品がないが、幸い保泉第一には食べ歩きを禁じる校則はない。



かれこれ5年を過ごし、すっかり愛着の湧いた部室我が城のドアを開ける。




ガチャンと、コンビニ袋が床に落ちて中に入った缶コーヒーが床を叩く音が響く。

そこでわたしは、自分がコンビニ袋を取り落とした事をやっと自覚した。



いつも大希くんが使っている机の上にだらしなく尻をのせて。

そいつは気安く手を振って。

趣味の悪い革の上着ジャンパーの前を開けて胸板を見せつけるように下品に笑う。


野良犬に無理やり礼儀を仕込んだような男、それがわたしのそいつに対する評価。




「……鴫里しぎり よう



「おいおい、呼び捨ては酷いぜ夜羽。

 年長者を相手だぞ、ちゃんとおにいさまって呼べよ。

 愛を込めて、さ」



言いながら男は軽薄な態度で机から降りてぐるりと、私を迂回するように歩く。

わかっている、こいつが入り口のドアとわたしの間をふさぐ気だと言うのは。


だがそれでもわたしは、こいつに背を向けて逃げられない理由があった。


視線から気取られないように、目は向けない。

わたしの机の上のノートパソコン。



じりじりと、男から距離を取るように下がる。

ようにみせてノートパソコンに近寄って行く。




「あれれ~? これなーんだ??」



あにが唐突に掌を広げて、指先からチェーンでぶら下げたそれを誇示した。


USB、メモリ。

見覚えのある、クリスタルに閉じ込められたカエル


唇を噛む、油断が過ぎた。

近場だと思って生命線を手放してなぜわたしはここを離れてしまったのか。




「いや大したもんだよ、下一位げ・いちい

 中身、確認させて貰ったけど。

 よくもまあこう色々と書けるもんだ、便利な才能だよな。

 そりゃ〝会〟も手放したがらないはずだぜ」



にやにやと笑う男に、わたしはなるべく余裕を保って見せたまま返す。



「それはどうも、お褒めに預かり光栄です。

 下二位げ・にい鴫里しぎりにいさま。

 わたしに序列変動の通知が来ないところを見ると、まだそのままですか」



わたしの煽りにあにが目を細める。

相変わらず感情を隠すのがヘタクソなおにいさま。




「――やめようぜ。

 おまえの負けだよ。

 こいつが何かは把握済みだ。

 幽霊代筆家ゴーストライター、砂際夜羽。


 おまえが代筆した作家の作品、政治家のスピーチ。

 オリジナル原稿に連絡リスト、交友関係、全部ここに入ってる。


 こいつは連中の生命線で、おまえの生命線だ。

 おまえはもう俺の下で働くしかないんだよ」



「そんな重要なもの、予備バックアップがないわけないでしょう」



「やめろやめろ。

 マジで予備バックアップなんてあるなら自分から言わねぇだろ。

 おまえが俺の性格読み切ってるように、俺だっておまえの性格は見切ってる。

 人手に渡ったら不味いもんの予備なんて、無暗に増やす性格じゃねぇよおまえ。

 ――だろ?」



歯嚙みする。

正解、管理対象が増える事を私は良しとしない。

クラウドに上げる方法も考えたがそれも辞めたくらいだ。


予備はない、本体とあのUSBメモリの中にしかデータは入っていない。

本体のデータが無事なはずはないだろう、こいつはこう見えて馬鹿ではない。




「――なあ夜羽、おまえの能力を俺は評価してんだ。


 1月6日の誕生日で二十歳はたち、成人。

 親父の許可なく自分の資産動かせるようになったら。

 おまえは〝会〟から逃げる気だったんだろうがよ。


 わざわざ3留して半ば治外法権気味の高校に引き籠ったのもその為。

 いや実際、上手くやったと思うぜ。

〝会〟が手出しし辛い場所と学校、こうも見事に選んだんだからな。


 正直、清掃屋に手を回して忍び込むのも苦労した、認める、ギリギリだった」




だが、と男は両手を広げて見せる。



「俺は間に合った。

 おまえは逃げ損ねた。

 最後の最後に油断したな?


 だが責めねぇよ、おまえはまだ子供で、孤独ひとりだ。

 悪い事は言わねぇ、おとなしく俺の傘下に加わんな。


 俺とおまえが組めば上二位…、は無理でも、中一位くらいにならなれる」




無理だ、と内心吐き捨てる。



〝会〟の中枢、幹部連中はそんな生易しい相手ではない。

教祖の実子であるというだけでその末席に数えられている自分わたしや。

その私すらより序列の低いこいつになんとかなるはずもない。


思わず視線にちからがこもる。

我知らず睨みつけたのをどう受け取ったのか、あには鼻を鳴らした。



「諦めろって、助けは来ねぇよ。

 なんつったか。


 最近おまえと仲のいいここの部員、男子生徒。

 あいつは特に警戒させてる。

 その気になったってここには辿り着けねぇぞ」




その言葉に、安堵する。


彼が助けに来るなんて、そんな都合のいい夢を見たわけではないが。

むしろ巻き込んで危ない目に会わせたくはない。


だから、胸の奥に多少の痛みはあっても、安堵の方が大きかった。




「あ?」



だから反応が遅れた。

部室の扉が開き、学校指定の制服を着た女子生徒が入って来る。




「おいおい、見てわかんだろお嬢ちゃん今取り込みちゅ、」




逃げろ、と言葉を吐く暇も無かった。


軽薄なあにの言葉は最後まで続かなくて。



女生徒の右脚が跳ね上がる、武術には疎いが、わかる。

教科書に乗せたくなるようなきれいな上段蹴り。


あにもまた大したものだった、不意打ちに反応して腕を上げて防御を、


――跳ね上がった右脚の軌道が湾曲してさらに上昇、転じて真上から落ちる。


かかと落し。



素人目に見てもあたる、そう思えた。




「おいおいおい、女の子がスカートで出す技じゃねーぞ」



だが、あには笑っていた。

彼女の右のふくらはぎを掴んで不安定な状態を作りながら。

踏ん張りがきかないあの状態では次手すらもない。


暴力に慣れた男は余裕で笑っていた、勝ちを確信していたと言っても良い。




彼女の上半身がごくごく自然な動作で後ろに倒れ込む。


彼女の全身が発条バネのようにたわむ。

掴まれた右脚を軸に、全身をしならせて、左足が跳ね上がる。


あにの視線は倒れ込んだ彼女の上半身に吸い寄せられていた。


死角から曜の顎を蹴り上げた左脚、円弧を描いて彼女の体が反転し、着地を決める。


まるで漫画みたいな動きだった。

砂際夜羽は漫画も嗜む、一応は、たまにはだが。




「――部長!」



「え?」




思考が現実に追いつくこともなく、彼女はわたしの手を取って走り出す。


反射的に、引きずられるようになりながら走る。


待って、私を部長と呼ぶ人なんて、




大希おおきくん?!」



「その話はあとで!」





第三棟を出る、曜はまだ追って来ない。


だが校内がわずかに騒がしくなっている気配がした。

おそらくは曜が部下に連絡を入れたのだろう。


そうなると逃げ切るのは難し、




「こっちこっち!」



校舎の影から囁くように声を張り上げる女生徒、見知らぬ顔。


だがかれは躊躇なく近寄り、かぶっていたカツラウィッグを取り。

声をかけながら彼女にそれを投げ渡す。




小鳥遊たかなし、任せた!」



「貸し1つだかんね!」




小鳥遊と呼ばれた女子生徒は受け取ったウィッグを手早く被る。

彼女がさらに校舎影に手を振ると、また別の女生徒が歩み出て来る。


黒髪の、丁度わたしと髪の長さも、背格好も似た。





「まさか」



「ヤバくなる前に正体ばらしていいからね!」



「なんでそんな」



「応援してます2人の事!」



「え?」



酷くきらきらした瞳で偽わたし女生徒に応援されてしまう。


2人の、こと?


酷く致命的な誤解があるように思えたけれど言い返す暇はなかった。



偽物の二人組は運動場グラウンドの方へ全力で駆け抜けていく。

かれは私の手をとって、校舎影の茂みに分け入っていく。




「ちょっと、どうするの」



「ここ、不良くんたちが使ってる校外への抜け道があるんです。

 部長もっと屈んで、フェンスの破れめから外へ」



「きみの交友関係が理解できないわ……」



「お褒めに預かり光栄です」



褒めてはない。



破れたフェンス(ご丁寧に針金は通る人間が怪我をしないように手入れまでされていた)を抜けると、曇天はついに崩れ、滝のような雨天に変わった。


あっと言う間に濡れそぼる服、冬の気温と相まって身体は凍えるように冷えていく。



――手を引く彼の体温ねつを強く感じる。



だが、ある種の興奮はあれど安堵はまるでなかった。

まるで青春小説か漫画みたいだな、なんて他人事のように思う。



だって大団円ハッピーエンドは訪れない。

あにから一時的に逃げおおせたところで、自分にはもう戦うすべがない。



切り札を失ってしまった自分には、逆転の目がないのだ。

取り返す機会は実際のところなかっただろう。



これ見よがしにようはUSBメモリを見せびらかして来たが。

あれだって実際、中身は削除済みでとっくの昔に別の場所に違いない。



他人の手に渡ることを警戒するあまり、自らの手に残らないという本末転倒。



いつの間にか、屋根のある場所にたどり着いていた。

雨音は続いていたが、肌を叩く冷たい雨の礫は失せている。


周囲を確認する気力もなく、手を引かれるままに彼の後に続く。





「――ふぅ、ひとまずここまでくれば安心かな。

 うへー、びっちょびちょ、さっむ、部長、シャワーお先にどうぞ?」



「え、うん」





うん、と頷いてしまってから顔を上げて、わたしは硬直する。

せざるを得なかった。



入った事はなかったが知識としては理解していた。


そこはホテルの一室、それも普通のホテルの一室ではなく。





「ねぇ、ここ」




「ああ、ラブホです。

 来るの初めてです?」





はじめてだよ馬鹿。


わたしは年長者としての余裕を崩さないように表情をとりつくろい、返事については曖昧に誤魔化すことにする、した。





「――のぞみくんはよく、来るの?」




「ん、よくではないですかね。

 女友達と2~3回くらいかなあ」




わたしは想定外の後輩カレの返事に動揺する。


そんなあっさり返事して。


それも女友達と来た?

彼女ではなく?

へぇ。

へぇ……。


そ、そうなんだ。



なんだか頭にきて、私は差し出されたバスタオルをふんだくって浴室に駆け込んだ。


濡れそぼった服を脱ぎ捨てて、熱いシャワーを頭から浴びる内に手足の指先に感覚が戻って来る、そうなるまでむしろ、指先の感覚が失せている事すら気付かなかった。



体温が回復すると、いよいよ落ち着かなくなって、けれど彼も濡れそぼっているのは同じだから、待たせてしまうと風邪をひくのではないかとか、そんな事を思い至る。


外に出る踏ん切りは中々つかなかったが、あえて思考を停止して胸元までバスタオルをきっちり巻き付けて外に出た。



声をかけるまでもなかった。

待ちわびていたように入れ違いに浴室に駆け込んでいくカレ



室内は暖房が効いていて暑いくらい。

暖房が効くまで、彼がここでどれだけ震えていたのか想像する。



視線を上げる、彼がいる浴室の方へ。



――絶句する、擦りガラスの向こうに肌色が見えた。



なにこれ。



浴室が部屋から見えるってもうちょっとプライベートに配慮すべきでしょう。

と、おそらくは場違いな感想を吐き出しかけて、自分の姿もこうやって見えていたのかと恐ろしい事実に理解が進んでしまう。


いやそういう構造の浴室があるという知識はあったけれど。

待って。



いやその、彼は待っている間あの肌色を、




「ふひゃー。

 生き返ったー」



浴室の扉が、扉としての仕事をまるで放棄しているそれが開いて彼が、



彼が――





「――大希おおき のぞみ



わたしは思わずフルネームでその名前を口にする。





「え、なんです。

 フルネーム呼び珍しいですね部長」



「それ、なに」



「どれ?」



「その胸についてるの」



「?

 ちくび?」



「じゃなくてなんで?!」



わたしの叫びにきょとんとした顔で大希おおき のぞみは小首を傾げる。




「胸に胸がついてるのは普通では……?

 あ、もしかして先輩、気づいてなかったんですか」



「何がよ?!」



冷静さをわたしは失っていた、認めよう。

まるで理解が追い付いていない、まだ部室に突然、あにが現れた時の方が理解できた。




「ぼく、生物学的に言うとメスですよ、生まれた時から」





混乱の余り奇声をあげていたように思う。


5分くらい。



どーどー、とのぞみになだめすかされ。

冷静さを取り戻した私はベッドの上にと2人、大の字に転がった。




「……なんで男装なんかしてたの」



「なんとなく?」



「ああ、そう。

 じゃあの、ようを転がした怪しげな蹴り技は何?」



「ぼく、中学まで空手やってたんですよ」



「空手にあんな技ないでしょ」



実践空手フルコンタクトだったんで……」



実践空手フルコンにだってないわよ!」



「いや、他流の方が交流組み手に来られたことがあってですね。

 古流の…、なんとかって門派の〝ミズチ〟って言うらしいんですけど。

 あのを見せられて。

 流行ったんですよ」



「流行ったって何」



「いや、誰が最初にやれるようになるか! みたいな?」



呆れた、見せる方も見せる方だが真似して練習を始める方もどうなのだろう。

しかも流行ったという口振りからすると結構な人数がやったに違いない。



「呆れた……」



「まあ師範代に禁止されちゃったんですけどね」



それはそうだろう。



「自分ができるようになったら禁止するのずるくないですか」



何やってんだ師範代。



で、禁止されてなおこっそり練習したらしい。

望以外にも数人。



年単位でやってなかったし、そもそもできるというほどの成功率はないそうだ。

片足掴まれて詰んだと思ったのでイチかバチかでやったら上手くいった、とか。



――本当に呆れてしまう。




「で、なんで来たの」




わたしは突き放すような口調をわざと作って、言う。

そうだ、彼――、改め彼女には関係ないことのはずで。

そもそも終業式を終えて望が学校に来る理由はもうなかった。




「シブサワさんが

『おまえの学校、変なのが出入りしてるっぽいから気をつけろ』って」



「誰?」



聞き覚えがない名前が出て来て困惑する、思わず尋ねるが反応は芳しくなかった。




「――誰だろう……?」



「ちょっと」



「いや素性のよくわからない人なので」



「どうしてそんなのが知り合いなの」



「一緒に首なし騎士デュラハンを探した仲です」




どうしよう、こいつが言ってる事がまるで理解できない。




「で、慌てて行ってみたらマジだし。

 仕方ないから小鳥遊たかなしに予備の制服借りて入ったんです。

 男子生徒をと露骨に警戒してる感じだったので」



「普通に帰りなさいよ」



「え、やですよ。

 先輩は絶対部室に残ってると思ったし。

 だいたい先輩、変な噂多過ぎるんですよ。

 絶対先輩絡みの案件だと思いましたもん」




そう言われると反論の余地がない。

確かにあの学校で一番妙な背景を背負っているのはわたしだろう。

実際まさにその通りだったので本気で返す言葉もない。




「……でもそれ、きみが部室にまで来る理由にはなってない」



「え。

 なるでしょ」



「ならない」



「なりますって」



「ならない」



「――夜羽よはねの事が心配だったんです」




不意打ち過ぎる。

そこで突然名前を呼ぶのは卑怯だ。



わたしは適当に寝返りを打つ振りをして顔を背ける。

耳まで暑くなっているのは暖房が効き過ぎているせいだと自分を誤魔化した。




「ん-、おなかすいたな。

 何か頼みません?

 ピザとか。

 コンビニレトルトだと思うんですけど、結構おいしいですよ」



「詳しいのね……?」



「先輩、ラブホ女子会とか経験ないんですか?」




ああ、来た事あるってそういう。


高校生がラブホ女子会すんなばーか。


ていうか女子会すんのかきみは。





ごろん、と2人で転がってなお余裕のある大型寝台ベッドの上。



ずいぶん、気は楽になった。

なったが何も解決してはいない。


のそ、と起き上がった彼女こうはいがわたしを見下ろし、私の瞳を覗き込む。




「浮かない顔してますね」



「そうね」



「ところでぼく、女の子イケる方なんですけど」




唐突に宣言しながら圧し掛かって来る彼女のぞみに、私は硬直する。


待って、そんなの聞いてない。




ぶぶぶぶぶ。


寝台ベッドの片隅に投げ捨てられていた、ずぶ濡れの、それでもきっちりと動いていたスマートフォンが振動する。



これ幸いとわたしは彼女の腕をすり抜けてスマホに縋りつく。

妙な空気を打破できるなら誰でもよかった、なんなら曜でもこの際構わない。




――。



前言撤回、誰でもは良くない。



表示されていた名前に、わたしは動揺を隠せなかった。

なぜ今、このタイミングでこいつから電話がかかって来るのか。



日輪ひのわ 唯居ゆい




「ひのわ?

 どなたです?

 怖い顔になってますけど。

 ぼく代わりに出ます?」



横から覗き込んで来る望に、わたしは静かに首を横に振る。

通話、続けてスピーカーのパネルを押して寝台ベッド上に投げ出した。


他人に聞かせるような話ではないのはわかっているが。

このあねと1対1で話す気にはどうしてもなれなかった。




「――はい、夜羽です」


意を決して、名乗る。




『こんにちは、夜羽。

 唯居ゆいです。

 あなた、無事なのね?』



「……あなたの差し金ですか」



『あら?

 なんのこと?』



「まあ、そう言うでしょうね」



『安心なさい、あの子はもう、あなたに手出しできない、私の方で抑えたわ』



わたしは歯噛みする、つまりデータは唯居ゆいの手に渡った、という事だ。


どこまでが彼女の仕込みかはわからないが、曜が失敗しても成功しても結果は同じ。

いずれにせよ彼女に絡め捕られていたに違いない。


上三位ジョウ・サンイ〝座天〟日輪ひのわ 唯居ゆい


上二位ジョウ・ニイは現在欠番空位。

上一位ジョウ・イチイにはまるで動く気配がない。

つまり〝会〟の実質的な最上位幹部、それがこの人だ。



なんとなく、こいつが出てきた時点で筋は読めていた。

自分の手を汚さずにわたしの顧客リストを手に入れる事がこのヒトの目的。


ようが動くのをわざと見逃し、リストがあいつの手に渡ったところで捕縛。

曜を失脚させた上で顧客リストを手に入れる、最初からそのつもりだったのだ。




『夜羽、あなたが無事でよかった』





わたしを案ずる、憂いに満ちた声。

優しさに満ちたその言葉に、その本性を理解していてすら泣きたくなる。

こんなものは上辺だけのやさしさだというのに。


妹を弟の暴走から救った、という名誉を得るために彼女は動いたに過ぎない。




「……ご心配をおかけしました」



『いいえ、あなたが無事ならいいの。

 とりあえず後の事は任せて、あなたはゆっくり休んでいて』



「はい」




通話が切れる。

こうはいは事態が呑み込めないのかきょとんとしている。


巻き込みたくはない、が。

もう状況は変わり切ってしまったし、これ以上転がることはないだろう。


だとしたら説明位はしてあげるべきだろうか。





「……今の人、どなたです?」



「姉よ、たね違いの」



「ぼく会ったことないですよね?」



「あるわけないでしょ」



ううん、とわたしの言葉に唸る望、まさか、と思う。





「どこかで聞いたことのあるような…、ないような」



「……どこかで会った事くらい、あるのかもね」




わたしは嘆息する。


あのひとの事だ、どこかで彼、――彼女に。

いや、もう面倒だ。

今更これを彼女と認識することは私にはできそうにない。


なんにせよ、あの女が彼に接触くらいしていてもおかしくはないだろう。




ひとまずそれは置いておき、私は簡単に彼に説明をした。


実家の、宗教団体内部の派閥争いに巻き込まれた、という事。

幽霊代筆家ゴーストライターの顧客資料を奪われてしまった事。

あの男が兄で、電話の女が姉であること。


だいたいそんな話を。



「ううん?

 幽霊代筆家ゴーストライター……。

 もしかして小説家の砂際さぎわ 冬火児ふゆひこって、」



「ああ、それは父親」


 ちなみにペンネームじゃなくて本名そのままだ。




「うわー!

 ぼく先生のファンなんでサイン欲しいんですけど!」



「そうなの?

千過センカムラ〟以降って全部わたしだけど……」



「サインください」



わかったから手を握るな。


生徒手帳のページにおざなりにサインをしてやると。

望はウキウキしながらそれをしまい込む、かと思えば胸に抱いてにこにこ。


喜ばれるのは素直に悪くないのだけれど。

全裸の女が胸の谷間にサインをねじ込む姿というのはなんともアレじゃないかしら。




「でも、砂ぎ、――冬火児先生って宗教の話聞いたことなかったです」


ふと冷静さを取り戻した望がそんなことを言う。


まあ、それはそうだろう。




「宗教どっぷりなのは母親の方だから。

 ……父さんは兄や姉、母親にだって無理に関わらなくていいって言ってくれてた。

 凄いわよあの母親、9人の内縁の夫がいて9人の子供がいるの。

 自分がその一人じゃなきゃ今どき漫画でもないわって笑うところよ」



だから、だというわけではないだろうが。

父は父なりに可能な範囲で私に便宜を図ってくれている。


幽霊代筆家ゴーストライターとしての仕事、その報酬は。

きちんと私名義の口座に、破格のバイト代として振り込まれているし。


未成年であるがゆえに父親の同意なく動かす事はできないし。

母親との関係性を崩したくない父さんは母親の顔色を窺って許可を出さない。


――成人を待っていたのはそういう事情だった。




「へぇ。

 てか先輩、3留もしてたんですね、っていうか20歳?」



「あと16日くらいは19歳」



「通りで大人びてると思った。

 でもまああと2週間ちょっとで自由の身なんでしょう?

 良かったじゃないですか」




気軽に笑う望に、私は隠す気も失せてこれ見よがしのため息をつく。




「顧客リストがこっちの手元になくて、相手の手元にある。

 一方的に不利なのはこっち。

 せめてこっちにもリストがあればね……」



「はぁん。

 リストがあれば大団円ハッピーエンドですか?」



「あれば、ね。

 でもないんだから仕方ないでしょ」




わたしの言葉に、望は輪をかけて深い笑みを浮かべる。

何笑ってんだこいつ。




「そのリスト、手に入れてきたらデートしてくれます?」



「そんなことできるなら、デートどころかお泊りでもいいわよ」




投げやりに、わたしはそう答える。




「言質、とりましたからね!」



「へ?」




最近のラブホテルは洗濯してくれるし乾燥機まで貸してくれるのには驚いた。

他は違うのかもしれないが。


休憩費用が足りずに例の小鳥遊たかなしちゃんを呼び出してお金を借りる羽目になったのはいよいよ笑い話だが、気の利く彼女は傘まで持って来てくれた。


ホテルを出たわたしたちはすぐにお金をおろして利子をつけて返済したのだが。

(主に払ったのはわたし、望にそういった甲斐性はなかった。



「先輩、金銭感覚壊れすぎ」



「そんなに貰えませんから」



と、2人してかわいそうなものを見る目で見て来たのはすごく失礼だと思う。






――その後の話をしよう。




なぜか大希 望のパソコンにあった顧客リストのデータを、わたしは回収した。



成人を待って資産を動かし、リストを手に私は日輪あねと交渉をして、あちらから一切の干渉をしないこと、こちらはあちらの邪魔をしないことを取り決めた。


手打ち、というやつだ。




データの礼をする、お泊りでもいい、と言質を取られたわたしだったけれど。

あまりにもデータが出てきた経緯がアレ過ぎたので却下した。



あたりまえだってば。







――その後の話をしよう。




わたしが卒業した後、文芸部の部長には望がなった。


わたしは相変わらず幽霊代筆家ゴーストライターを続けている。


その合間を縫って礼と、口止め料という名目で逢瀬デートを繰り返してもいる。


……誰とかは言うまでもないだろうし、わたしも言いたくないので言わないけれど。





――そして、文芸部にはまだ、幽霊がいる。


たぶん、もうしばらくは。





























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